【書評】『検証・憲法九条の誕生

【書評】『検証・憲法九条の誕生
     –「押し付け」ではなく、自ら平和条項の条文を豊富化した論議の全過程』–
           岩田行雄編・著〔自費出版〕、2004年6月30日初版、500円)–

「自衛隊の存在は憲法違反である。その自衛隊の海外派兵、さらに多国籍軍への参加は、二重、三重の憲法違反である」(本書『刊行にあたって』)。
しかし「政府は、自ら創り出した憲法違反の状態を解消し、日本を、戦争を出来る国にするために、憲法の改正を急いでいる」。そして「憲法前文の書き換え」と「第九条の見直し」を主張し、改憲に関しての根拠を並べ立てる。
それらは、「『現憲法は占領軍に押し付けられたもの』であり『自主憲法の制定を求める』とするもの、『古くさくなった』というもの、個別的自衛権から進んで集団的自衛権を容認するもの(中略)、等様々だが、最大の狙いは第九条の廃棄である」。
本書は、この問題意識に立って発行された。「本書を刊行する目的は、これらの主張に対して、歴史的事実を以って第九条が押し付けられたものではないこと、平和憲法の先駆性を明らかにし、憲法改悪に真っ向から反対し、第九条を守る運動を広げ、その運動を勇気付けることにある」。
そしてこのこのために本書は、二つの具体的歴史的文書を再現して詳細に検討することでその根拠を裏付ける。
その第一は、憲法草案の準備過程で作成された法制局による『憲法改正草案に関する想定問答』(昭和21年4月及び6月作成)と『憲法改正草案逐条説明』(昭和21! 年4月及び5月作成)であり、第二は、第九十回帝国議会衆議院本会議、帝国憲法改正案委員会議、帝国憲法改正案委員小委員会の議事録からの憲法九条に関するすべての論議の再録である。
著者は言う。「これらの資料で論議の全体を通して読んでみると、各党の議員と政府の間での自主的な、そして真剣な論議により、平和の理念が語られ、平和条項である憲法九条が、短文ながらも格調高い、豊富な内容を持った条文に仕上がっていく様子が手に取るように分かる」。
第一のものからあげれば、まさしく文字通りの、法制局の役人による政府答弁用の文章が残されている。
「第九条 本条はわが国が今次の戦争の経験に徴して、将来全く戦争を放棄することを宣言した条文であって、草案の最大の特色を成すものであり、世界に比類を見ざる徹底した平和主義の表明である。
(中略)
おもふに従来の世界に於ては、各国余りにも、紛争の解決に、武力を手段として恃(たの)み過ぎた。(略)これをわが国の例に徴するに戦前及び戦時中を通じて戦争及び武力行使は、他の目的を達成する手段と謂うよりも寧ろ、夫れ自体が目的と為ったかの観があり、(略)戦争に依て、政治的、社会的或は経済的に不當の利益を得んとする、悖徳漢(はいとくかん)は遂に国を誤って国民を無限の苦悩に陥れ、剰(あまつさ)へ相手国の国民に譬(たと)うべくもない苦痛を蒙らしめるに至った」(『逐条説明』より)。
また第二の記録からは、戦争の廃棄に関して次のような議論がなされているのも注目すべきであろう。
「野坂議員(日本共産党):(略)戦争には、我々の考えでは二つの種類の戦争がある。(略)一つは正しくない不正の戦争である。これは、日本の帝国主義者が満州事変以来起したあの戦争、他国征服、侵略の戦争である。これは正しくない。同時に侵略された国が自国を護るための戦争は、我々は正しい戦争と言って差し支えないと思う。この意味において、過去の戦争において、中国或いは英米その他の連合国、これは、防衛的な戦争である。これは、正しい戦争と言って差し支えないと思う。
一体、この憲法草案に戦争一般放棄という形でなしに、我々はこれを侵略戦争の放棄、こうするのがもっとも的確ではないか(後略)」(第九十回帝国議会での論議、昭和21年6月28日)。
これに対して政府側はこう答えている。
「吉田内閣総理大臣:また、戦争放棄に関する憲法草案の条項につきまして、国家正当防衛権に依る戦争は、正当なりとせらるるようであるが、私は、かくの如きことを認むることが有害と思うのであります(拍手)。近年の戦争は多くは国家防衛権の名において行われたることは顕著な事実であります。故に、正当防衛権を認むることが、たまたま戦争を誘発する所以であると思うのであります。(略)正当防衛に依る戦争がもしあるとするならば、その前提において侵略を目的とする戦争を目的とした国があることを、前提しなければならぬのであります。
故に正当防衛、国家の防衛権に依る戦争を認むるということは、たまたま戦争を誘発する有害な考えである(後略)」(同日)。
吉田は、これについて他の答弁でも、こう述べている。
「吉田内閣総理大臣:(略)私の言わんと欲しました所は、自衛権に依る交戦権の放棄ということを強調するというよりも、自衛権に依る戦争、また侵略による交戦権、この二つに分ける区別そのことが有害無益なりと、私は言ったつもりで居ります。今日までの戦争は、多くは自衛権の名に依って戦争を始められたということが、過去における事実であります。自衛権に依る交戦権、侵略を目的とする交戦権、この二つに分けることが、多くの場合において戦争を誘発するものであるが故に、かく分けることが有害であると申したつもりであります。(中略)交戦権に二種ありとするこの区別自身が無益である。侵略戦争を絶無にすることに依って、自衛権に依る交戦権というものが自然消滅すべきものである」(7月4日の発言)。
ここに見られるのは、「理論的には自衛戦争は正しいにしても、すべての戦争が自衛戦争の名を借りて、しからざる戦争に赴くという労いを、憲法の中に残して置くような言葉を避けるほうがよろしいという考えも成立する訳であります。この憲法は、そのような考えに依りまして、特に区別せず、いわば捨身になって世界の平和を叫ぶという態度を執った次第であります」(7月11日、金森国務大臣の答弁)という明確な姿勢であろう。
本書に掲載された九条成立の帝国議会での論議を通じて、われわれは、第九条についての当時の真摯な雰囲気を感じ取ることができる。この後の世界情勢の激変に伴って、残念ながら政府の姿勢は次第に変化していくことになるが、しかしわが国の敗戦直後の再出発にあたっての平和を希求する熱意は、今なお汲み取られるべきものであろう。
またこの中の「第七章 改正案委員小委員会論議」において、「国権の発動」か「主権の発動」か、「戦争の放棄」か「戦争の否認」か、「保持せず」か「保持しない」か、等の語句と順序に関わる論議の記録も興味深い。
本書は、著者の心意気による九条擁護運動の普及のための自費出版であるので、購入には直接注文することになるが、是非一読を薦めたい。(R)

【出典】 アサート No.347 2006年10月21日

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