【コラム】ひとりごと—親王誕生と皇室典範—

【コラム】ひとりごと—親王誕生と皇室典範—

9月6日秋篠宮家に親王が誕生した。これが女帝論議をぶっ飛ばした。小泉の私的審議会が、女性天皇も可能とする見解をまとめたことが嘘のような雰囲気だ。
マスコミは競って奉祝報道を終日繰り返していたが、一人の特別な子供の誕生を騒ぎ立てる雰囲気が不愉快だった。望まれて生まれてくる子供がいる反面、子育てもできない父母の間に生まれてきた子供もいる。それぞれが一つの命なのである。いずれ天皇になる子供だ、と特別扱いすることは、見捨てられてしなう子供を容認することを招く。
さて皇室典範問題である。万世一系の男子家系では天皇制が危ういと、女帝論議が始まったが、確かに男女平等の時代には、天皇も女性であっていい、という一面前向きな雰囲気で、危機回避論議がされ、春の国会では採決強行論もあった。しかし、紀子さんの懐妊報道が、機運を鎮めた。見守ろうというわけだ。週刊誌では、男子誕生論も出ていた。今は、皇室典範改正議論は遠のき、時期を待ってもいいのではと、事実上たな晒しとなった。皇太子親子は、出産の時期を見計らって欧州へ静養に出かけ、マスコミ報道の的になることを避けたが、何かしら「権力闘争」のような雰囲気も漂う。
男子出生を喜ぶ流れは、明らかに世間一般の常識とは異なる。天皇制・天皇家という存在が、明らかに時代遅れというべきか、時代錯誤の存在となりつつある事態は、今回の親王誕生によっても何ら止まるものではない。皇室典範論議を推進した方々の「ご苦労」も、何らの国民的議論を呼ぶこともなく、いずれ忘れ去られるのであろう。それ自体がまた、天皇制の衰弱過程であり、天皇制の実質的な死滅への一歩をまた歩んでいる事ではないか。男子誕生でも天皇制礼賛・保守主義者達の焦りは静まらないのである。(佐野秀夫)

【出典】 アサート No.346 2006年9月23日

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