【投稿】「大きな政府」の前で立ちすくむ日本

【投稿】「大きな政府」の前で立ちすくむ日本
                                  (民主党の敗北の原因-郵政民営化から考える )  
        福井 杉本達也

福井県は3小選挙区がある。ここ2回の衆議院選挙ではいずれも自民党が独占する保守王国ある。今回も結果的に自民党独占となったが、その経過は自民党にとっても大混乱であった。福井市を含む1区選出の松宮勲氏が郵政法案に反対票を投じたため、1区には稲田朋美氏という大阪の弁護士が「刺客」として送り込まれた。稲田氏は本多勝一氏などを相手とした、いわゆる「百人斬り訴訟」の主任弁護士や靖国神社関係訴訟の弁護士を務めるなど、超右翼的な弁護士であるが、福井では全くの無名であり、出遅れも響き、選挙カーも運動員も内閣官房副長官である山崎参議院議員の借り物で、当初は泡沫候補と見られていた。一方、無所属から立候補した松宮氏はほとんどの自民党系県会議員・市議会議員の支援を受け、また、前回まで無所属で出馬し落選していた笹木竜三氏は今回民主党の公認候補とし、これまでの保守系支持層に連合系の労組票を上積み出来るものと考えていた。ところが、いざ選挙戦に入ると稲田氏は「郵政民営化」1本の波に乗り、土建業界、農協の一部、商工会の支援なども受け、女性票などの浮動票も獲得し、民主党の笹木氏に373票の差で競り勝ってしまったのである。民主党の笹木陣営としては、ボランティア層と労組との軋轢などもあったが、選挙戦最終盤までは個人ポスターもろくろく貼りきれない、全く動きの「見えない敵」になぜ負けてしまったのか。全く奇妙な選挙戦であったといわなければならない。

(1)民意は歳出の削減による「小さな政府」
現在の日本は米国型のような「小さな政府」ではない。国民皆年金・医療保険・介護保険制度等、既に「大きな政府」である。その一方、財政的には平成16年度末の国債及び借入金の残高は781兆円、これに地方分204兆円を加えると985兆円もの膨大な借金を抱えている。このままでは日本の財政は立ち行かなくなることは誰の目にも明らかである。その選択肢は消費税等を中心とする「増税」か(増税時期は別として)、年金も医療保険も切り捨てた「小さな政府」しかない。
政府税調の石弘光会長は朝日新聞とのインタビューで「今回の選挙では都市部を中心に『地方などにばらまかれる無駄な歳出を削れ』という民意が示されたように思う。」(朝日・2005.9.14)と述べている。小泉首相の掲げた「改革」とは大きな政府をぶっ潰すということであり、その一点で衆議院の2/3の絶対多数を獲得したということであるから、民意は歳出削減=増税なしの「小さな政府」ということになろう。
しかし、ここに大きな錯誤がある。小泉首相は本気で「大きな政府」をぶっ潰すシナリオも心構えも持っていなかったのではないか。それは財務諸表が2つもあるといって大騒ぎした道路公団のニセ「民営化」の結果からも明らかであろう。公団の借入金に「政府保証」を付けて「民営化」もくそもない。現状のままでは、残り9,242kmの高速道路は粛々と建設されることとなる(道路特定財源を使った国交省の直轄事業と分担して)。逆に言うと、自民党は、「小さな政府」というトリックの「小さな成果」だけを上げて、やはり無理だから「2007年度をめどに消費税を含む抜本改革をする」という「増税」路線に踏み込むシナリオを描いていたのではないか。そのシナリオが思わぬ2/3の「大勝」により手足を縛られることになるのではないか。

(2) 郵便貯金が特殊法人をはじめとする「大きな政府」の無駄使いの「本丸」というトリック
小泉首相は選挙期間中「改革の本丸」「郵政民営化は経済活性化のため、景気回復のため、将来の社会保障の税負担軽減のためにも必要な改革だ」とあたかも郵政民営化で将来の税負担が軽減され「小さな政府」が実現するように訴えた。
つまり、官業の郵便貯金の資金の運用先である道路公団や政府系金融機関などの特殊法人で不良債権が発生し(つまり、国民から見えないところで膨大な赤字が膨らんで)、多額の税金を補填せざる得ない状況となっている。もちろん特殊法人は官僚の天下り先であり、利用料金は高く、何の経営努力もしていない。この制度を根本的に改革することが、「構造改革」であるというものである。
しかし、「郵政改革」の国民への問い方に決定的なトリック=「ウソ」がある。既に郵便貯金は2001年4月の改革より資金運用部への預託が廃止され、自主運用に任されるようになった。郵政公社のHPからも明らかなように、平成16年度末における郵便貯金の運用資産現在高210兆円のうち国債は107兆円を占め、財政投融資資金は79兆円に過ぎなくなっている。同簡易保険運用資産現在高は118兆円で、うち国債が56兆円を占めている。財政投融資は財投債と財投機関債で資金調達される仕組みに変更されたのであり、郵便貯金からは切り離され、「自主運用」の主な運用先は『国債』である。

(3) 財政投融資先は国民負担を増やす不良債権先ばかりか?
小西砂千夫関西学院大学教授は『政策コスト分析を活用した財政投融資改革』(大和総研「経営戦略研究」2004秋季号)の中で、「清算時の純価値が、平成16年度でマイナスになっている機関は、農林漁業金融公庫、地域整備振興公団工業再配置等事業勘定、環境再生保全機構(継承勘定)、本州四国連絡橋公団、民間都市開発推進機構(融資勘定)」などであり「債務超過の状況は、個別の機関のあり方について議論があっても、国民負担の増加という意味ではそれほど深刻ともいえない。」と述べている(むろん土建法人の道路公団などの事業をどう見直すかは別の政策判断がひつようではあるが)。

(4)民営化は経済理論からは説明がつかない
郵政民営化は、民間金融機関と競争条件を同じにして競わせるということである。しかし、全銀行の預貯金の1/3を占める巨大金融機関の出現は不良債権処理で傷め続けられてきた民間金融機関から見れば、虎を野に放つようなものである。そこで、様々な縛りをつけることとなる。廃案となった民営化法案でも、民営化当初は政府が持ち株会社に全額出資し、持ち株会社も郵貯銀行と郵便保険の株式をすべて保有し、定額貯金などを管理する旧勘定で民営化後も国債による資産運用を義務付け、郵貯.保険に「暗黙の政府保証」をつけるしかけであった。

(5) では、何のための「民営化か」
小西教授は「財政投融資は、メカニズムとしては欠陥があるわけではないが、政治的に制御できないとなったときに、それならば制御できるように政策運営のあり方を変えるという選択肢と、それならば政策手段を丸ごと放棄しようという選択肢がある。この2つを並べると、多くの良識のある方は、前者を選ぶであろう。政策手段の放棄はいつでもできるからである。まずは、運用のあり方を変えるべきという方が常識的である。ところが筆者の印象では、わが国の近年の改革論議は、政策手段を廃棄すべきという、いささかヒステリックな方向に傾いている。緻密に考え、制度改革の論議を地味に積み上げるということができなくなっている。」(同上「経営戦略研究」)と述べている。
緻密な議論をして、制度設計ができなければ、320兆円という膨大な預金は当面の運用先を求めてグローバルな金融市場に投げ込まざるを得ない。保守派の論客:佐伯啓思京都大教授(社会経済学)は「郵政民営化は、明らかに、90年代以来の、金融市場のグローバル化と市場競争の強化という流れを背後にもっているからであり、問題は、この市場のグローバル化の中で340兆円にのぼるといわれる郵貯資金をいかに有効利用するか、という一点にこそある。ひとつの考えは、郵貯資金の市場化によって資金をハイリス・ク、ハイリターンのグローバルな金融市場に放出するというものである。言い換えれば、アメリカ主導のグローバル市場競争への適応を説くもので、だからこそアメリカは郵政民営化を強く要求しているのである。」(『壮大で皮肉な「茶番劇」有効な政策選択肢示されず』(朝日新聞:2005.9.14))と述べている。
ルービン元米財務長官はその「回顧録」(2005.7日本経済新聞社刊)の中で、1997年4月、橋本龍太郎総理が始めてクリントン大統領を訪問した際、「サマーズと私は首脳会談に備えて、大統領に要点をかいつまんで説明し、日本に現状を認識させることが肝要だと念を押した。大統領は日本の総理大臣を脅すような態度を取ることはあまりに乗り気ではなかったが、プレッシャーは重要であると割り切り、実際にプレッシャーをかけた。」と露骨に表現している。

(6)「大きな政府」の前で立ちすくむ国民
以上、国民は「大きな政府」の前で立ちすくんでいる。さすがに小泉首相は今回の選挙では「年金」を争点にしなかった(「日経」2005.09.15)。年金を争点にすると社会不安を煽ることになること(グローバル市場相手に貯金が目減りしても持てるものだけが損をするが、年金は社会の根底を揺るがす)を彼の政治的臭覚が感じ取ったからであろう。現在の民主党も自民党もグローバル化という米国の経済的覇権主義の要求にどう対処していくのかという明確な意思も方向性も持ち合わせていない。民間に「金」はあるが、政府は「金の使い道がわからない」。日銀の「量的緩和」・「ゼロ金利政策」・「インフレターゲット論」等々を含め、米国から「金」の使い道を教えましょうといわれてその通りに実行していくという実に情けない状況である。今後、米国の「脅し」に屈せず、来るべき少子高齢化社会に向けた社会的共通資本を整備するためにどのように「金」を使っていくのかを、自分の頭で考え「緻密な議論で指し示す必要あろう。」

【出典】 アサート No.334 2005年9月24日

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