【書評】『絆(きずな)』

【書評】『絆(きずな)』
  (加藤登紀子・藤本敏夫、2005.3.30.発行、藤原書店、2,500円+税)

 周知の歌手、加藤登紀子とその夫であった藤本敏夫との間の獄中書簡集である。藤本は、1944年生。同志社大学で学生運動に参加、京都府学連書記長、68年には三派全学連分裂後に結成された「反帝全学連」の委員長となる。数度の逮捕・拘留を経て、69年、内ゲバ激化に反論し学生運動から離脱。72年4月に公務執行妨害・凶器準備集合罪などで実刑判決を受け、下獄。74年9月に出所。(藤本は、その後農業志向の運動体を組織したが、2002年7月に死去、享年58。)

 本書はこの間の書簡を集めている。量的には加藤からのものが大半を占めている。その中で、加藤の歌の視点と藤本の運動観・歴史観が相互に影響しあいながら、変化していく。(なおこの二人は72年4月に結婚し、12月に長女が誕生している。)

 加藤からの書簡・・・「うたは、人が生きること、それ自体ではない、もっとかなたの何かに想いをかけてしまう時に、生きる営みのすき間からこぼれるものではないか、と思います。/生きるということに執着する世界は、それとして、あくまでも生きていくのでしょう。幕末の志士たちの死に絶えた後に、着実に、権力を築いた人たちのように・・・。これまで、ほとんどいつも、革命家は死にました。それは、ずっとかなたの何かに向って、飛び立つ人の運命なのでしょう」(72.9.19.)。

 藤本からの書簡・・・「驚くなかれ僕は小説を書こうと思っているのです。(略)私としては論理化しえないものを論理化しようがないと云う気持ちもあるのです。(略)題はサガン女史にならって『マルクスなんて知らないよ』とでもしようと思っています。学生運動がテーマなのですが、(略)六〇年代後半のかなり高度な行動力を支えた学生達の夏の在り様を、左翼の論理ではなく、彼ら自身の言葉と心情で書いてみようと思うのです。(略)マルクスなんて知らないよと云うことは言葉に対する反抗という所まで行った総体としての状況否定の心情をあらわしており、今日、多分マルクスは論理派の立脚する最後の砦となっているのです。論理が無意味だと言うのではありません。従ってマルクスの諸説が無意味だと言うのでも当然ありません。私の言いたいのは運動の中であらわれた論理信仰が無意味だと云うことです」(73.5.3.)。

 ここから両者は、それぞれに変化、進展していく。加藤は、それまで属していた石井事務所からの独立と中南米・中近東への旅の後、次のように書く。

 「うたうことは以前よりはるかに、私にとって大切なことになっています。と同時に、その大切さは、日常の生活の中の大切さと同一のものになっていきます。/私のコンサートには、七〇に近い老人から、十八くらいの少年まで来ます。/今までは、音楽の質による断層がとても気になって、そうした客層の開きが嫌だったのですが、それは大変な間違いだとわかりました。/(略)フォークやロックの連中が生み出した、音楽とのかかわり方のナイーブさは、老人に伝わりにくいけれどそれがナイーブである限りは拒絶し合う関係にはないはずだと思うのです。/数百年生きてきている民俗音楽と、最も新しい音楽とが今ほど近づいたことはないのです」(73.10.6.)。

 「(前略)この二年間、私の中では、一つの確かな思いがありました。/中近東の旅の中で見た、宗教と人間共同体との結びつきのすごさから発し、近代都市のかたわらにありながら、全く数百年の営みを脱していない、無数の人間の、土俗的な生活の存在です。/モロッコの原住民のベルベル族は、少女の頃に、天空のかなたへとどく、叫びを身につけるそうです。それは、愛の叫びともなり、神への祈りともなるのです。音楽というものは、もともとそうしたものでありました」(74.7.10.)。

 藤本の方の変化は、出所後の準備とも関連するが、次のようである。

 「ライフ・ワークに対する僕の目標は新たなコミュニティを創ってみたいと云うことに尽きます。旧いコミュニティは断片的で専門分化的で機械文明を代表します。それに対して新しいコミュニティは有機的で、包括的で、巨視的な統合文化の表現としてたちあらわれます。僕の視点の一つは時代変化の動因たる技術の価値転換にありますが、そもそも技術は人間機能のいずれかの部分の拡大・延長ですから、価値の基準は人間機能の全面平衡・調和にあると言えるでしょう」(73.10.3.)。

 藤本は農業志向を加熱させ、「農業を軸とする地域共同体の試みは、僕の考えでは全く新たな実験となるはずです。政治、経済、文化の新生を可能とする新たな生活構造を先験的に作れるかどうかと言う所です」(74.4.7.)と述べる。

 そしてこれを支える背景として、仲小路彰『未来学言論』等の影響下に、各地の「産須那」(ウブスナ)の神々の再興を唱えるに至る。藤本がこの「産須那」の神々(地域の土着的伝統的守護神)の位置づけをどう見たかは十分展開されていないが、出所後の「大地」「鴨川自然王国」等の試みに繋がるものと言えよう。

 以上、加藤-藤本書簡集の紹介をしてきたが、両者の関係の中に、加藤の歌と藤本の運動を目指すものとの間に微妙なズレがあり、それをただ加藤の方がカバーしていこうとする記述が目立つというのが正直な感想である。しかしその過程で加藤が次第に自立していく側面を見せるのが印象的である。また藤本の視点が変化していく跡付けも、今後の興味深い課題である。

 なお付言すれば、1930年代以降中野重治が獄中から妻政野(女優の原泉)に宛てた書簡集(『愛しき者ヘ』上・1983年、下・1984年発行、解説・澤地久枝、中央公論社)と本書を読み比べて、本書に緊張感とユーモアが欠けると評者が感じるのは、戦前と戦後の政治状況の差と同時に、先述の両者の微妙なズレに起因するのかもしれない。(R)

 【出典】 アサート No.333 2005年8月13日

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