【追悼】大木さん逝く
(弔辞に代えて 友人代表・生駒敬)
生き方を問う人だった
ハンガリー事件に失望し
それでもフルシチョフに希望を見出し
ブレジネフにプチ・スターリンを見
メドベジェフ兄弟の分析に共感し
ゴルバチョフとそのペレストロイカにこそ
あるべき社会主義と民主主義の姿を見た
そうしたわれらが遍歴の中で
あなたは常に我らがありようを問う人であった
その問い方が生半可ではなかった
片っ端から電話をかけまくり
深夜に人を呼び出してまで問いかけ
連日朝方近くまで酒を酌み交わし
それでも人を追い詰めることなど無縁な人であった
強制的抑圧的態度を忌み嫌い
共にありえる可能性に賭け
常に我に振り返り、自省する人であった
とりわけ師の苦悩を理解し、共に行動し
ありのままを受け入れられる人でもあった
だからこそ酒を飲み
飲みながらその純な思考が冴え渡り
鋭く本質を付けば突くほど
これでいいということなど常になかった
酒が酒を呼び込み
それでも複雑多岐にわたる仕事をこなし
ついにそれは脳内出血という非常事態をもたらした
共にあった我らはうろたえ、動転し
その存在の大きさに改めて気付かされた
あれから18年
芳子夫人
お二人の娘さん
そしてそのお連れ合い、お孫さん、ご家族の方々
その並々ならぬ愛情と努力によって
「まさに奇跡的にカムバックを果たした」
詩人・大木透の本来の姿の登場であった
「この精神的荒廃の時代に」
「若い人々との交流と対話を」勝ち得た
安らかに眠られんことを
【出典】 アサート No.331 2005年6月18日