【投稿】スマトラ島沖地震・津波が警告するもの

【投稿】スマトラ島沖地震・津波が警告するもの

 <<「津波警報ではない」>>
 昨年末の12/26、インドネシアからアフリカのソマリアにいたる海岸線を襲った未曾有の大津波によって、少なくとも15万人以上の人々が死亡し、そのほぼ3分の1が子どもたちであるという。国連のヤン・エーゲラン緊急援助調整官によれば、11の国で何千人もがいまだ行方不明のままであり、何百万人もの人々が家を失い、家財道具一切を失い、飲料水の汚染に直面し、「これらの貧困な国々や名も知れぬ多数の漁民や漁村などの被った犠牲の大きさは見当もつかない」事態である。被害は拡大の様相さえ示している。
 問題は、これほどの多くの死と破壊は、実は非常に単純で安価な津波検出ブイ「ツナミーター」による警報システムがあれば防ぐことが出来たはずだというところにある。今回の事態を受けてそのシステムが整備されることは間違いないと思われるが、それでも問題は、現在の津波警報システムでも最善の努力がなされたのかどうかということは、今後のためにも検証しておく必要があるといえよう。
 12/26、午前7時58分53秒(現地時間)の発生から15分後に、米海洋大気局(NOAA)の太平洋津波警報センター(PTWC、ハワイ)が第1報を発信している。この情報の発信先には、太平洋津波警報組織国際調整グループ(26カ国・地域)の加盟国でもあるインドネシアとタイ政府も含まれていた。しかしこの段階では、この文書は「津波警報では無い」と二度も断り、「地震の規模はマグニチュード(M)8.0。太平洋の外で起きており、歴史的データによれば、破壊的な津波の脅威は存在しない」と説明していた。
 そして地震発生から1時間5分後の午前9時4分、同センターは第2報を発信。地震規模をM8.5に上方修正し、「震源付近での津波の可能性」を追加した。それはあくまでも、near the epicenter(震央付近)にすぎず、バンダ・アチェ近辺だけを想定したものであった。しかもそれは、同局によると、「地震の規模から考えた推定で、実際の津波データに基づくものではなかった」といい、「強い津波警報」までには至らなかった。
 その結果タイでは、驚くべきことに津波が実際に押し寄せてきてから1時間も経過し、何千人もの死者が出た後まで、テレビからもラジオからも警戒警報は出されなかったのである。被害のもっとも大きかったといわれるタイのプーケットでは、津波の到達が、地震の発生から実に約2時間後であったが、何の警告もなされなかった。

<<ディエゴガルシア島米海軍基地>>
 ところが、「TUP速報433号 IAC緊急声明:米国は現地政府に津波警告を出さなかった!」によると、NOAAは、インド洋中央部に位置する英領ディエゴガルシア島の米海軍基地には地震発生と同時に即座に警報を発していたという。この島は全島米軍が借り上げ、アフガン戦争やイラク戦争への出撃拠点としているところである。当然、あらゆる手段で警告を受けたのであろう、津波の被害はほとんどなかった。つまり、現地政府は警告を受けていなかったが、米国政府は警告を受けて、直ちに行動した、というのが真実であろう。NOAAのジェフ・ラドゥスは、インドネシア政府の役人に電子メールを出したと言い訳をしたが、電子メールを送った後のことはわからないと言う。そして、米国の週刊誌タイム(1/3発売)が、インドネシアでは12/26にハワイの津波警報センターから津波の警報を受け取りながら、翌日まで見ていなかったという情報を流している。日本の朝日、毎日、日経など各紙も、これを敷き写した共同・時事の記事を検証もせずに掲載している。責任は当方にはないというわけである。そのうえ、同警報センターの職員が津波の大きな被害を知ったのは、地震発生から約2時間半後、インターネット上でのニュースを通じてだったと言い訳をしている。
 つまりNOAAは、最初の津波が海岸部を直撃するまでに数時間もの通報のチャンスがあったにもかかわらず、その地域の米軍基地には警報を出したが、被害が想定されるインド洋諸国の政府当局者には電話やその他の通信手段を使った何の警告もせず、タイとインドネシア当局には電話一本もかけず、津波警報をあくまでも回避した電子メールを送っただけであり、ましてや津波の直接の進路に何千万人もの人々が住む海岸地帯に住む民間人への警告や警報、避難勧告などは何もなされなかったのである。これは、まったくの犯罪的な怠慢であり、津波災害を拡大させたのは米国の「不作為」という批判も当然のことであろう。

<<わずか25万ドル>>
 ところで、津波をモニターする検出ブイは何十年も前からあり、1960年のチリ地震津波を教訓にして、1966年、UNESCOの政府間海洋委員会に設置された、ITSU(太平洋津波警報組織)というネットワークに26の国と地域が加盟している。そのキーステーションになっているのが、アメリカのPTWC(太平洋津波警報センター)であり、その下に日本の北西太平洋地域津波センター(気象庁)、南西太平洋地域センター、東インド洋地域センターがある。当然これらのそれぞれのセンターの役割は、地域ごとに地震.潮位に係る情報(予報・観測値)を迅速・詳細に提供し、お互いの情報を共有することにある。
 米国北西海岸の沖には、地震を監視、計測するために、50基以上の地震計が設置されており、太平洋中央の海域には、「ツナミーター」と呼ばれるセンサーを装備するブイが6基配置されていて、通信衛星で警報センターと直結され、リアルタイムに津波発生状況を監視し、海中の異常な圧力変化を読み取って、わずかな水圧変化も測定し、ハワイとアラスカの2箇所の米国立津波警報センターに自動的に警告を送るシステムが機能している。
 問題は、こうした機能・性能、そして役割が今回の地震の場合、敏速かつ的確に機能しなかったこと、その上に情報の提供・公開に怠慢と不作為があったのではないかということである。
 さらに言えば、このブイのいくつかがインド洋に配備されておれば、被害は最小限にとどめられたことは間違いがない。昨年6月に開かれた国連の政府間海洋委員会の会議で、専門家は「インド洋の両岸国は、近海並びに遠洋からの津波による多大な脅威にさらされている」ので、警告ネットワークを持つべきだと主張したが、具体的措置の合意はなされなかった、という。米国地質調査所の地質学者ブライアン・アトウォーターは、「スマトラはたくさんの巨大地震の起こった歴史を持つ。だから、インド洋津波警報システムがないことは、なおさら悲劇的だ。スマトラは弾を込めた銃だ、ということは、誰もが知っていたことだ。」と語っている。さらに、シアトルの米国海洋大気管理局太平洋海洋環境研究所長のエディー・バーナード博士は、たった数個のブイがあれば間に合ったはずだと言う。研究者たちは、インドネシア近海を含めインド洋に、もう2基の津波測定器を置くことを要望したが、その計画には資金が出なかったと、バーナードは語っている。
 ツナミーター1基当たりの費用はわずか25万ドルである。けれどもブッシュ政権には、毎日支出されている軍事資金15億ドルの予算はあっても、そのような人命救助のための予算はない。

<<「ブッシュは守銭奴だ」>>
 被災諸国に向けた緊急援助のために最初にブッシュ政権が指し出した千五百万ドルという金額について、12/30のニューヨークタイムズ紙は、お話にならない、ブッシュの党が再選大統領の就任祝賀会を実行するために費やすことになる資金の半分以下であるとして、「ジョージ・ブッシュはまったくもって守銭奴だ」と断じ、仏紙のフィガロは、「悲劇の規模を考えれば、まったくもって馬鹿げている」とし、それが「米国で犬猫のエサのために使われる費用の半分」であり、さらには「イラクで米軍が費やす金額の十分の一」、「新型F16戦闘機の値段の半分」でしかないとすら書く事態となった。批判の強さに驚いたブッシュ政権は、その後、援助金額を三千五百万ドルまで増やし、結局は3.5億ドルと、十倍にまで引き上げたが、それでもイラク戦争に使われた戦費の数パーセントに過ぎない、イラク占領のために過去21カ月に1500億ドルを優に超える浪費、イラク占領に日に2億7000万ドルも使っているという批判に直面している。
 さらに問題なのは、津波災害の支援をめぐって、ブッシュ大統領が日米豪印の4カ国を中心に「核(コア)グループ」を創設して被災地支援・復興にあたると発表し(12/29)、自国中心の支援を行おうとする米国と、あくまで「国連中心」の支援を行うべきであると主張するEU・欧州との間に対立を持ち込んだことである。しかしこの場合は、一時失われかけていた国連の有効性が逆に立証され、イラクと同じくここでも「有志連合」方式援助を行おうとしていたブッシュ政権の目論見は成功はしなかった。

<<「マラッカ海峡は日本の死活問題」>>
 そこでブッシュ政権は、軍事力を中心とした支援体制を急遽浮上させ、米軍主体で支援する枠組み、「中核グループ」構想を実行に移し、タイ・ウタパオに救援活動の拠点を置き、在日米軍が活動の主体となって、米国の「単独行動主義」を補完するものとして、日本の自衛隊をインド洋に派遣させる方向を打ち出した。
 1/5付け毎日は、防衛庁の動きがあわただしくなったのは、米軍主体で支援する枠組み「中核グループ」構想が出てからのことと指摘、あわせて「今回の救援オペレーションは、テロとの戦いを目的とした今後の日米同盟そのもの」との防衛庁幹部の声を紹介している。この作戦には、1000人規模の部隊派遣、C130輸送機、U4多用途支援機、大型輸送ヘリコプターCH47、多用途ヘリコプターUH60Jなど、これまでになく大量に投入する予定である。この「インド洋津波 自衛隊をスマトラ島に派遣 先遣隊が出発」という記事は、この派遣計画が「在日米軍が再編された後の日米同盟のあり方を先取りしたもの」となりそうだと指摘している。これに対して、防衛庁はあくまで「自主的に活動計画を考案した」と強調しているが、災害支援よりも、米国の求めに応じた軍事的な日米共同作戦であることをはしなくも暴露しているといえよう。
 こうした脈絡の中で、大野防衛庁長官がインドネシア、シンガポール、マレーシアの東南アジア3カ国を歴訪し、津波被災国への自衛隊派遣をアピールし、自衛隊の海外活動を本来任務へ格上げする絶好の好機ととらえたのである。
 ところが大野氏は、戦前の日本軍国主義の幹部と同じく、「マラッカ海峡の安全は日本にとって死活問題だ」と語ってしまった。これに対して、テオ・シンガポール国防相は「安全確保は沿岸国が一義的に責任を持つべきだ」と反論し、マレーシアのナジブ国防相は「沿岸国の主権と矛盾しない範囲で協力を」と注文をつけ、インドネシアのユウォノ国防相からは「当面の活動期間は3カ月」、「延長にはインドネシア政府の了承が必要」など、次々と歯止めをかけられ、大野氏は「日本は平和国家で自衛隊の海外活動は平和協力活動に限られている」と弁解せざるを得なかったのである。
 ブッシュ・小泉路線の問題が、こうした津波被災援助問題でも浮かび上がってきたといえよう。

<<放射能漏れのうわさでパニック>>
 今回のスマトラ島沖地震・津波報道の中で、非常に重大で見過ごしえない、しかしほとんど報道されなかった問題がある。それは、インド南部、臨海都市チェンナイ(マドラス)近郊海岸部のカルパカム核複合施設の津波被災である。ここでは津波と核の恐怖という二重の災厄に襲われたのである。
 今回の大津波で原発の冷却装置につながるポンプ室に大量の海水が流入し、稼働中だった原子炉1基が緊急停止した。インド政府当局がろくに調べもせずにあわてて出した最初の報告では、当核複合施設にはまったく被害はなかったと断定し、さらに強い調子で、いかなる放射能漏れもなかったと否定している。しかし、この報告の中でさえ、施設の職員が住むカルパカム全地域で破壊的被害があったことを認めている。災害直後に、施設内でおぼれ死んだ従業員、突堤の廃液排出口で仕事をしていて行方不明とされている作業員、職員の住宅地区で研究員や技術員など少なくとも60人、その他の地区で約250人の死亡が報告されており、死者数は、その後も増え続けているが、実際にはさらに多いと思われる。核施設の被害をことさらに隠そうとする当局の姿勢からして、被害の全貌が明らかになるには時間を要するであろうが、非常に厳しい事態も予想される。
 このカルパカムの核複合施設には、加圧水型重水炉2基(84年と86年に運転開始)、実験炉1基、再処理施設、09年の完成を目指し建設中の高速増殖炉原型炉が存在している。さらに問題なのは、高速増殖炉の位置が海抜わずか3メートルから5.6メートルであるという事実、そして今回の津波の結果、沿岸部において「地盤沈下」が、必至であると予測されていることである。
 この核施設における津波被災はまったくといっていいほど報道されてこなかったが、ようやく登場したのは、1/9付け毎日新聞である。それによると、この地区の原発労働者と家族ら2万5000人が暮らす隣接の居住地区も津波の直撃を受け、計38人が死亡。海沿いのアパート1階にいた原発職員のラビクマルさん(40)は「灰色の波が押し寄せ、首の高さまで海水につかった」と恐怖を語る。また近くの漁村プドゥパティナム・クッパムに住むサディーシュ・クマルさん(20)は「津波発生直後に原発から放射能が漏れたとのうわさが流れ、パニック状態になった」と話す。チェンナイ在住のジャーナリスト、シュリ・ラーマン氏は「インドの原発は今回のような大津波を想定した設計になっていない。一歩間違えれば原子炉が破壊され第二のチェルノブイリになる危険性があった」と指摘する。
 カルパカム原発は03年1月にインドで過去最悪とされる放射能漏れ事故を起こし、作業員6人が被ばくした。しかし、当局は半年近く事故を公表せず、「秘密主義」が批判されたばかりである。

<<原発震災を避けるために>>
 しかし日本は、こうした事態を対岸の火事視することは到底出来るものではない。津波大国として有名なこの日本において、東海地震の震源域のど真ん中に浜岡原発を建設し、地震危険地帯の活断層やその近くに原発銀座といわれるほどの核施設を建設・稼動させている日本である。さらに最も多くの津波被害を受けてきた三陸海岸部近くに核再処理施設まで建設しているのである。
 1896年の明治三陸地震津波では、38.2mという本州最大の津波の高さを記録しており、犠牲者数も死者22,066人に至っている。その地震は三陸沖約150Kmを震源とするマグニチュード8.5という巨大地震で、この地震発生後35分たった午後8時7分に津波の第一波が三陸沿岸に襲来、続いてその8分後の午後8時15分に津波の第二波が襲い、第一波で残った家もすべてさらって流し去ったものである。はたして2005年の現在において、もしこのような津波が襲ってきた場合、このような短時間の間に避難し、安全を確保することは可能であろうか、大いに疑問なところである。
 さらに三陸地方を襲い、地震と津波の大きな被害をもたらせた過去の地震は、1611年(M8.1)、1677年(M8.0)、1896年(M8.5)、1933年(M8.1)、1960年(チリ地震)、1978年(M7.4)と、たびたび襲来しており、ある周期で地震が発生し、津波が襲来している形跡さえ指摘されている。
 しかも日本に住むわれわれが日ごろ経験しているように、たとえ津波警報体制が整っているはずの国でさえも、津波が警報よりも先に到来したり、往々にして地震情報があったにもかかわらず津波警報が遅れるといった事態になる。
 その意味では、地震・津波災害と原子力災害が同時に起きる可能性が最も高い国は日本なのである。本誌前々号でも紹介したように、これを地震学者の石橋克彦神戸大教授は原発震災と名付け「原発震災―破壊を避けるために」という懸命な警告を発しておられる。日本はこの警告を真剣に受け止め、原子力発電からの撤退、核施設の全廃に向けて動き出すべきであろう。

<<「人身売買」と日本>>
 今回のスマトラ沖震災で、日本にとってもう一つ気になるニュースは、インドネシア・アチェ州などで、孤児となった子どもたちが「保護」名目で連れ出され、行方不明になっている、ユニセフ(国連児童基金)の調べでは、その数は四百人に上るという。アチェ州で推定三万五千人とみられる孤児が人身売買の危険にさらされており、スリランカ北部でも三千人以上の孤児が出ており、うち九十人が何者かに連れ去られたという情報があり、「人身売買」の組織が関与した子どもの連れ去りが問題化している、というものである。
 1/4、ユニセフは、こうした子どもたちの早急な保護を求める声明を発表し、この関係者は「子どものいない白人家庭では東南アジア系の子どもを育てたいという夫婦が多いし、売春組織は七、八歳の女の子を求めている。臓器売買などを目的とした人身売買も行われている」と指摘している。
 日本にとって問題なのは、日本は人身売買の受け入れ大国であるという重大な事実である。すでに昨年6月、米国国務省から、日本は「人身売買を防止する最低限の基準も満たしていない」国と指摘されている。日本国内において、人身売買禁止ネットワーク(JNATIP)などが中心になり、加害者の処罰、被害者の保護・救済、被害防止を3本柱とした、包括的な人身売買禁止法の制定を求める運動が展開されており、ようやく政府も重い腰を上げかけてはいるが、その姿勢は不十分であり、遅々としたものである。
 おりしもこの1月初めには、日本では臓器摘出の可能な対象年齢を、これまでの15歳以上から、年齢制限を撤廃してより新鮮で拒絶反応が起きにくい15歳以下から新生児・胎児にまで対象を拡大する提案がなされている。
 日本人が第三世界で腎臓移植等の臓器移植を実行する例が相当数に増えており、これに対応した幼児誘拐、臓器売買が以前から指摘されていたところである。梁石日著『闇の子供たち』(2002年、解放出版社発行)は、こうしたフィリピン、タイを経由した、日本が関与した臓器売買の実態を克明に描いている。
 スマトラ島沖地震・津波は、かくも多くの問題をわれわれに突きつけているといえよう。
(生駒 敬) 

 【出典】 アサート No.326 2005年1月22日

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