【投稿】イラク派兵--展望なき小泉政権の象徴
<<派兵セレモニー>>
野党の無力さ・迫力不足、マスコミのおざなり・無批判報道のせいであろう、最近の世論調査ではイラクへの自衛隊「派遣反対」が「賛成」に逆転されかねない形勢である。1月中旬に行われた各紙の調査では、「派遣賛成」が毎日は35%(昨年12月)が47%になり、朝日は34%(同)が40%になり、読売では反対の44%に対して賛成が53%という事態である。日本テレビが、1/23-25に行った世論調査では、派遣賛成が50・3%に対し、反対は38・4%、テレビ朝日でも、賛成54・9%、反対35・6%と同様の傾向である。
こうした事態に気を良くしたのか、小泉首相は「自衛隊派遣をめぐって、いま国論を二分している。幕末も鎖国勢力と開国して新時代を築く勢力とに分かれたが、最後は一つにまとまり近代国家の基礎が築かれた」などと、まるで維新の志士気取りである。ここぞとばかりに派兵セレモニーに駆けつけ、ハイテンションで自衛隊員を激励し、あきれたことに、たとえ「自衛官に死者が出ても辞める気はない」とまで言い出す始末である。
宮崎県の一女子高生が「武力に頼らないイラク支援をしてほしい」という生徒5500人分の署名・嘆願書を内閣府に提出したことに対して、頭にきたのであろう、「自衛隊は平和的貢献に行くんですよ。学校の先生も、よく生徒さんに話さないと」と怒りだし、派兵正当化教育を要求する、まさに古色蒼然たる「大政翼賛会」政治の発想である。
海外派兵は明々白々たる憲法違反である。憲法遵守義務を課せられた首相自らが「憲法破り」を強行して、何が「平和的貢献」であろう。首相自ら「どこが非戦闘地域かは分かるわけがない」と居直らねばならないほど、イラク特措法に対してさえ違反しているのである。ところが国会は、審議ストップもなければ、野党の抵抗らしい抵抗もなければ迫力もない。政府答弁は従来通りの詭弁、こじつけの繰り返しに終始。唯一のハプニングは「現地は安全」という「先遣隊の調査報告は事前に作成されていたもの」ではないかという共産党・赤嶺委員が追及した問題だけ、しかもその報告書は、公明党の神崎代表がたった3時間サマワ入りした時の報告書を書き写した程度の代物でしかなかった。国会審議さえ与党内の暗黙の了解のもとに派兵セレモニーと化し、ただただ自公の薄汚い出来レースを浮かび上がらせただけであった。
<<「私も真実を知りたい」>>
おりしも、ブッシュ大統領の言う「イラクの大量破壊兵器保有」の根拠が次々と崩れ、肝心の米調査団のデビッド・ケイ前団長が議会証言で「大量破壊兵器の保有を確信した判断は誤り」「備蓄を証明する証拠もない」「私も含めて、われわれはほとんど間違っていた」と断言し、テネット中央情報局(CIA)長官は、核兵器については「サダムが行っていた計画の進行を過大評価したかもしれない」、生物兵器は「イラクが生産を開始したかは確認していないし、発見もしていない」、さらに化学兵器については「兵器は発見に至っていない」などと述べる事態である。追い詰められたブッシュは「私も真実を知りたい」と開き直り、真相を究明する「大統領直属の委員会」の設置を認める方向に動き出さざるを得なくなっている。
先制攻撃論の急先鋒であったラムズフェルド国防長官は、上院軍事委員会の公聴会で証言し、イラク戦争の開戦時点でイラクに大量破壊兵器がなかった可能性はあると述べ、兵器が「どこにあるか知っている。ティクリットやバグダッド周辺だ」などと根拠のない誇張発言をしたことを認め、ケネディ上院議員(民主党)の追及に対して「振り返ってみれば、言わなければよかった発言もあるのは確かだ」と述べざるを得なくなってきたのである。
さらにイギリスでも、昨年まで国防省情報部で大量破壊兵器の分析責任者だったブライアン・ジョーンズ博士が、02年9月に英政府が発表した報告書の作成段階で、「イラクは45分以内に大量破壊兵器を実戦配備できる」という情報が盛り込まれることに、情報部のほとんどが疑念を抱いていたが、首相官邸が「見込み」を「確かな事実」と解釈し、結果として、見通しを誤らせたとする証言を一般紙に寄稿する事態である。しかも“45分”で配備可能という兵器が、戦場で使用する短距離射程のミサイルで、地中海のキプロスにある英軍基地にまで着弾可能な長距離ミサイルではなかったという同首相の脅威認識のお粗末ぶりまでが改めて明らかになったのである。
国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)のブリクス前委員長に至っては、英BBC放送のインタビューで、大量破壊兵器によるイラクの脅威をあおって戦争を強行した米英両国政府を「誇張して商品を売りつけるセールスマンだ」とまで非難している。明らかに米国でも英国でもブッシュ・ブレア両政権はよりいっそう孤立化しはじめているといえよう。
<<「打ち首、獄門、何でも好きにやってくれ」>>
ところが日本では、小泉首相はことここに至っても「大量破壊兵器はないとは言い切れない」と強弁し、「持っていたと断定しても不思議はない」と居直り、詭弁を弄し、答弁不能になると「見解の相違だ」と議論を拒否し、何が何でもブッシュに追随し続ける。野党はそれを攻め切れない。逆に首相が「国民的な議論も踏まえて、新しくふさわしい憲法をつくっていくべきだ」と憲法9条の明文改悪を正面に持ち出し始め、「憲法違反だといっていた人のなかでも、憲法に反しないというふうに変わってきた」(2/10衆院予算委員会)などと述べ、「すっきりした形で憲法を変えた方がいい」(同)と、攻守ところを代えるや、これに待ったをかけるべき野党の民主党までが改憲論に乗り出し、民主党の岡田克也幹事長は、「私も憲法改正には決して後ろ向きではない」と応じ、「(歴代政府は)無理に無理を重ねて自衛隊を九条の中に読み込んだ。もし(憲法に)問題があるなら、憲法改正をしっかり議論すべきだ」(2/10、衆院)と応じたのだから首相にとっては笑いが止まらない。
さすがに1/30の衆院本会議では、野党は派遣承認採決を欠席したが、この日は日本が憲法を公然と蹂躙することとなった日として銘記されなければならないだろう。この日のおまけとも言うべきものは、自民党の有力幹部、加藤紘一、古賀誠両元幹事長が退席し棄権、亀井静香元政調会長が欠席という気骨のあるところを示したことであろう。加藤氏は「イラク戦争に大義はない。そこに自衛隊を出すのは適当でない」と述べ、イラク特措法に際しても棄権した古賀氏は「戦争の不幸と愚かさを体験した私だ。派遣に慎重である議員がいることを示したい」として退席し、亀井氏は「イラクは戦争状態。そこに自衛隊を出すには集団的自衛権の解釈を変更しなくてはならない」と国会に姿をさえ見せなかった。
その亀井氏は「米国の世界政策は間違っていて、日本は米国に協力するのではなく注文をつけるべきだ。経済政策もブッシュの言いなりで日本はハゲタカの食い物になっている。」と述べ、「米国の誤りには直言せよ」と小泉政治全般について批判している(毎日2/1付「発言席」)。現在の安倍幹事長が、「打ち首、獄門、何でも好きにやってくれ」とうそぶいたといわれる亀井氏も含め、この三人に対して行った処分は電話による「戒告」通告で、ロクに相手にもされない有様である。
<<「日露戦争に学ぶ会」>>
こうした事態と連動したもう一つの危険な動きは、日露戦争で日本がロシアに宣戦布告して百周年にあたる2/10午前、自民・民主両党の国会議員43人が明治神宮を参拝し、彼らは、近く「日露戦争に学ぶ会」を発足させ、中国東北部、朝鮮の支配権を帝政ロシアと争った日露戦争を「明治のみなさんが国を思い、心を一つにして国難に対処した精神を引き継ぐ」などと美化しだしたことである。
これに意を強くしたのか、同じ2/10午後の衆院予算委員会で、小泉首相は中国などが強く批判している靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)について「(合祀に)抵抗感がない。とやかく言う立場にはない」と述べ、さらに「日本には死者にまでむち打つ感情はあまりない。戦没者に哀悼の誠をささげるのは自然な感情だ。よその国にああしなさい、こうしなさいと言われて気持ちを変える意思は全くない」と述べ、今後もA級戦犯十四人を「昭和の殉難者」としてまつっている靖国参拝をあくまでも強行し続ける考えを示したことである。
これほど露骨に中国や韓国からの批判を意に介さない態度をあらわにしたことはこれまでにもなかったことである。そもそもA級戦犯は彼らの言う「戦没者」ですらなく、戦後の極東国際軍事裁判で侵略戦争を計画・準備・遂行した「平和に対する罪」「人道に対する罪」で裁かれた戦争犯罪人であり、侵略戦争の中心的指導者であり、遂行者である。その合祀を「抵抗感がない」として肯定し、「哀悼の誠をささげる」ことは、ファシズムと軍国主義を否定し、侵略戦争を拒否してきた戦後国際社会の諸原則に真っ向から挑戦するものであり、平和憲法を根源的に否定するものである。
長引くデフレ不況下で進行するこうした一連の危険な動きは、近隣アジア諸国との共存を拒否するものであり、展望なき小泉政権の危機を象徴するものであり、たとえ底の浅いヒステリックで民族主義的な首相のたわごとであったとしても、無視し得ない段階に来たといえるのではないだろうか。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.315 2004年2月21日