【追悼】森信成略年譜

改訂新版:唯物論哲学入門より

森信成略年譜
(「知識と労働」第3号 及び 改訂新版「唯物論哲学入門」より)

1914年
6月24日 父森長三郎、母つねの次男として大阪市に生まれる。
1921年 7歳
4月 大阪第一西野田小学校に入学。
1927年 13歳
3月 大阪第一西野田小学校を卒業。
4月 大阪府立北野中学校に入学。
1931年 17歳
3月 大阪府立北野中学校を卒業。
4月 高知高等学校文科甲類に入学。
1935年 21歳
3月 高知高等学校を卒業。
4月 京都大学法学部に入学。この年に文学部史学科奈良本辰也、仏文科野間宏らと知り合う。小野と下宿をともにする。

1936年 22歳
4月 京都大学文学部哲学科哲学専攻(主任教授田辺元)に転入。
小野義彦、哲学科村上尚治、永島孝雄、
同年、京大学友会代議員選挙に当選、増山太助、佐々木時雄らとともに「改革派」代議員として活動。
6月 雑誌『学生評論』創刊を支持。この年から翌年にかけ梯明秀氏宅での 「哲学研究会」 に熱心に参加。
1937年 23歳
5月26日 京大事件三周年記念日に京都朝日会館でおこなわれた京都学生祭に参加、末川博氏の反ファッショ演説に感激。

 

京大時代の森さん(中央)

1938年 24歳
1月 「共産主義者団」結成、機関誌『民衆の声』を編む。
1939年 25歳
3月 田辺哲学批判の卒業論文パスせず。
1940年 26歳
3月 卒業論文再度パスせず。
1941年 27歳
3月 ようやく京都大学文学部哲学科を卒業。論文はやはり田辺哲学批判。
10月 大阪市立第七商業学校教員となる。

1943年 29歳
2月頃 共産主義者団関係の追及をうけ、特高警察に検挙され、2、3カ月後、執行猶予で釈放。
3月  右検挙のため、大阪市立第七商業学校退職。
5月 大阪商工会議所調査書記となる。同月、上阪静子と結婚する。
1944年 30歳
10月 大阪商工会議所を退職。
11月 尼崎化学工業所(骨炭製造)の経営にたずさわる。

1945年 31歳
10月 尼崎化学工業所を退職。
1946年 32歳
5月 神戸民主政治学校講師嘱託となる。
1946年 32歳
3月 大阪商科大学高商部講師(非常勤)となる。
1948年 33歳
5月 大阪商科大学高商部専任講師となる。
2月 「書評 ハイネ作 くりはら・ゆう訳『ドイソ宗教・哲学史考ヒ(『経済学雑誌』第二一巻第六号 大阪市立大学経済学会)。

1949年 35歳
4月 「現代歴史哲学の論理」(『経済学雑誌』第二二巻第四、五、六号)。
8月 「弁証法的唯物論と史的唯物論についての一考察」(『唯物論研究』第六号 伊藤書店)。

1950年 36歳
1月 「唯物論はいかに歪められたか」(『唯物論研究』第七号)、「最近における唯物論の実存主義的修正について」(民科『理論』一、二、三、四月号)。
3月 大阪市立大学法文学部講師となる。
6月 「価値論における唯物論と実存主義」(『経済学雑誌』第二三巻第二号)

1951年 37歳
4月 「いわゆる 『原始マルクス主義』 についてーK・レヴィット 『ウエーバーとマルクス』評」 (『経済学雑誌』第二四巻第四号)。
6月 「唯物論と実存主義」(『社会科学文献解説』七 日本評論社)。
10月 「フォイェルバッハの宗教論」 (『新宗教論大系』第二集 五月書房)。

1952年 38歳
6月 「唯物論か観念論かー田口憲一『西田哲学・どう対決すべきか』 について」(『経済学雑誌』第二六巻第四、五号)。

1953年 39歳
3月 「戦後日本の哲学的修正主義」(『思想』三、五月号 岩波書店)。
1954年 40歳
五月 「現代唯物論について F・A・ランゲのフォイェルバッハ解釈の批判への序」 (『人文研究』第五巻第五号 大阪市立大学文学会)。
この年『哲学小辞典』(創元社)に約一五項目を書く。

1955年 41歳
1月 大阪市立大学文学部助教授となる。このころから大阪民科哲学部会とは別に山本晴義らとともに唯物論の研究会を始める。
この年『経済学小辞典』(岩波書店)に「唯物論」「観念論」「土台と上部構造」を書く。

1956年 42歳
5月 「日本唯物論にたいするーつの批判的省察(戦後篇)」(『人文研究』第七巻第五号)。

1957年 43歳
11月 「歴史科学と唯物論 石母田正氏の自己批判によせて、唯物論倫理学の確立のために」(『経済学雑社豊第三六巻第二号)。
4月 「歴史科学と唯物論ー石母田正『歴史と民族の発見』について」(『人文研究』第八巻第四号)。
5月 「実証主義と唯物論 石母田氏の自己批判によせて、唯物論についての混乱した理解をとりのぞくために」(『人文研究』第八巻第五号)。
11月 大阪唯物論研究会(思想部会、教育部会、のちに政経部会)を森、山本晴義、横田三郎、小野義彦らが中心となって結成。

1958年 44歳
7月 「戦後反動思想と修正主義」(『前衛』七、八月号 研究と討論欄)。この論文に対する当時の日本共産党文化部長蔵原惟人の批判論文「思想闘争における教条主義と修正主義」 への反批判を『前衛』に投稿するも、『前衛』編集者は森論文を「ゆくへ不明」にする。
9月 「フォイェルバッハと俗流唯物論ー肉体と精神の二元論に抗して」(『現代思想』第二号 表現社)、『史的唯物論の根本問題ー戦後日本の思想対立』(青木書店刊)。
10月 「唯物論と観念論についてのエンゲルスの命題の意味するもの」(『人文研究』第九巻第九号)。

1959年 45歳
4月 「理論と実践—-宇野理論について」(『経済評論』四、六月号 経済評論社)。
6月8日 日本唯物論研究会が東京唯研、現代哲学研究会(名古屋)、大阪唯研、松山唯研、札幌唯研、下関唯研(のちに水戸唯研、静岡唯研)の連絡機関として発足。森はこの結成を中心的に推進する。

1960年 46歳
4月 季刊『唯物論研究』創刊(六六年、第二三号で休刊)。
5月 「人間・歴史・世界」(『哲学』第一〇号 日本哲学会)、日本哲学会シンポジウム 「人間・歴史・世界」に報告(大阪大学で)。
6月 「批判にこたえるー形而上学の理解をめぐって」(『人文研究』第11巻第五号)。

1961年 47歳
5月 「マルクス主義人間観の前提」 (『唯物論研究』第五号 青木書店)、「フォイェルバッハについて・第1テーゼー戦前唯物論の回顧と批判」(講座『現代のイデオロギー』第一巻 三一書房)。
9月 「近代主義的自由主義と民主主義」(『唯物論研究』第七号)。
12月 「思想上の平和共存と集団的認識」(『唯物論研究』第八号)。

1962年 48歳
3月 「組織と民主主義」(『唯物論研究』第九号)。
9月 「グラムシ思想の評価をめぐって」 (『唯物論研究』第11号)。
12月 『マルクス主義と自由』(学術出版社刊)。

1963年 49歳
9月 「ベイビイ・マルクシズムへの訓戒」(『新日本文学』九月号 新日本文学会)。
12月 「毛沢東『実践論』『矛盾論』批判」(『唯物論研究』第一六号)、改訂版『経済学小辞典』(岩波書店)に 「イデオロギー」を書く。

1964年 50歳
4月「二つの毛沢東解釈」(『唯物論研究』第一七号)。
10月 「疎外と民主主義の概念」(『唯物論研究』第一九号)。
12月 翌年の1月にかけて、ソ連邦科学アカデミーの招待により大井正らと訪ソ。

1965年 51歳
1月 「中ソ論争の哲学的背景—-周揚論文について」(『人文研究』第一六巻第一号)。
2月 「周揚『哲学・社会科学工作者の戦闘的任務』批判」(『唯物論研究』第二〇号 『人文研究』第一六巻第一号より転載)。
5月 「毛沢東『実践論』をめぐる批判・反批判」(『唯物論研究』第二一号)。
7月 『毛沢東「矛盾論」「実践論」批判』(刀江書院刊)。
9月 「戦後日本の唯物論について ソ連科学アカデミー哲学研究所における報告」(『唯物論研究』第22号)。
12月 「人間に関する理論的諸問題」(大阪学生唯研編『唯物論』創刊号、一九六九年一〇月に掲載)。

1966年 52歳
4月 大阪市立大学文学部教授となる。「唯物論と倫理」(『新日本文学』四、五月号)。

1967年 53歳
1月 「対立物の統一と闘争についてー 毛沢東『矛盾論』再論」(『人文研究』第一九巻第一号 『新世界ノート』一二月号に再録)。

1968年 54歳
4月 増補版『マルクス主義と自由』(合同出版刊)。
8月 「人間学的唯物論(主体的唯物論)について 戦前唯物論の回顧・船山信一教授の『人間的実践論』をめぐって」(『人文研究』第二〇巻第三号)。

1969年 55歳
6月 市立大学紛争激化の下で全共闘学生に約二週間軟禁されるも意に介さず、封鎖学生に感化を及ぼす。なお、文学部において、58~60年、62~63年、68~69年、三度にわたって学生部委員として学生の面倒をみる。

1970年 56歳
7月 雑誌『知識と労働』 の創刊を同人とともに決定、同年12月創刊。
12月 「哲学の根本問題について 東ドイツの哲学論争によせて」(大阪唯研編『知識と労働』創刊号)。

1971年 57歳
5月 「哲学の根本問題について 世界の物質性」(『知識と労働』第二号)、「日共代々木派の哲学とルカーチ・コージングの哲学」(『知識と労働』第二号)。
7月10日 肋間神経痛と胃潰蕩の疑いで京都済生会病院に入院。
7月23日 阪大病院第三内科へ移る。
7月25日 午前6時5分「心不全」 により死去。

12月 遺稿「哲学の根本問題について」(『知識と労働』第三号)掲載。

1972年
5月 『唯物論哲学入門』(新泉社刊)。

1973年
12月 『現代唯物論の基本課題』(新泉社刊)。

1979年
4月 新装版『現代唯物論の基本課題』(新泉社刊)。
9月 『史的唯物論の根本問題ー戦後日本の思想対立』復刊(新泉社刊)。

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