【書評】『棟梁を育てる学校–球磨工業高校伝統建築コースの14年』

【書評】『棟梁を育てる学校–球磨工業高校伝統建築コースの14年』
              (笠井一子著、2003.2.25.発行、草思社、1,500円)

 「高度経済成長以後、猫も杓子も大学進学へ、大学進学へとなびいていく間に、伝統にかかわる分野の職人が、めっきり減ってしまった。手仕事やもの作りが『ダサい』とかたづけられ、職人の子どもは親の仕事を継がなくなり、徒弟制度も影を薄めた。
 ところが今から十数年前に、日本で初めて公立の工業高校で職人教育を始めていたところがある。それは九州の南端、人吉球磨地方にある県立球磨工業高等学校だ。その建築科に〈伝統建築コース〉が設けられ、平成元(1989)年スタートしている」。
 本書は、高度産業化社会、情報化社会と呼ばれる世にあって、伝統建築に携わる技能者を学校教育の中で養成し続けている工業高校の記録である。著者には他に京都の職人衆の仕事を扱ったルポルタージュもあり、今では影が薄くなりつつある手仕事に焦点を合わせて、そこから逆に現代社会における技術・教育のあり方を浮かび上がらせるという視点は興味深い。
 さて本書に登場する球磨工業高校の〈伝統建築コース〉は、県教育委員会の方針から言えば、進学率の上昇、生徒の志望の多様化に応じた「特色ある学校づくり」──〈美術コース〉〈体育コース〉〈国際観光科〉〈バイオ工学科〉等──という流
れの延長上にあり、文化財、林業、建築科という三つのキーワードを満たしている当校に開設された全国初の学科である。そしてその目指すところは、「技能を身につけたり、実際に経験を積んで体で覚えるということが、これまでの教育制度のなかでは欠けていた」という反省を踏まえて、「徒弟制度ではなく公教育のなかで、しかもたった三年という短い期間に、伝統建築の技能を習得させる」ことにあった。このユニークさ=「職人教育を学校教育に持ち込んだ」点は評価される。
 では「その重要な意味を持つ実習を、〈伝統建築コース〉では誰がどう教えるのか」。この点で主任の富岡先生と職業訓練校から実習担当者として迎えられた寺田先生は、こう考えた。
 「人がすることを盗み見て覚えるという『見取り稽古』も修行の一つだが、手取り足取りして基礎基本をキチッと教え、それを繰り返し習得できるような環境を作って育てていくことこそが、学校教育だ」と。
 このために〈伝統建築コース〉では、大工技能についての寺田先生の模範演技とその上での技術上の細部の指導というかたちで教えることとなった。
 「たとえば、木材に線を引いてノコギリで切断する場合でも、(略)まず、鉛筆で引いた線には幅がある。その線の幅を拡大して考えたときに、鉛筆の線の幅の外側で切るのか内側で切るのか、あるいは真ん中できるのか、そういうことを想定しながら仕事をする」ということを教える」。そしてノコギリの幅、切るときの目線を考慮に入れれば、挽くときの姿勢も重要になる。右足の置き方、左足の置き方、道具の構え方、力の入れ方等々具体的に教える。すなわち「大工技術を身につけさせる
のは、ノコギリの挽き方にしても、ノミの研ぎ方にしても、釘の打ち方にしても、まず正しい姿勢と正しい道具の使い方が肝心だ。その基礎基本さえ身につければ、あとは本人の努力しだいでいくらでも伸びていける」という視点が教育の基底に据えられた。
 そしてこの視点はまた、長年剣道に精進してきた富岡先生によれば、剣道の修行にいう「守・破・離」(しゅ・は・り)という発展段階に通じる。すなわち、「先生の基本的な教えを一通り習得して自由に動けるようになる段階」(守)から、「自分なりに創意工夫する」段階(破)を経て、「先生の教えにとらわれることなく、自分自身のものの考え方や見方、(略)自由自在の動きが理合にもとづいてできるようになった段階」(離)に到って「一人前」になるという捉え方である。
 このような中で進められた〈伝統建築コース〉の教育は、具体的には一方で、実技実習の基礎である「規矩術」(差し金の使い方)を、「四方転びの椅子」(四方に勾配のある脚をもつ椅子–この椅子の製作は、昔から技能士資格試験の課題でもあった)の製作を通して習得することを目指し、他方で、伝統建築物の宝庫である人吉球磨地方での実測調査や特別講師(日本を代表する伝統建築の研究者から現場の古建築や文化財を扱う工務店、専門職人等)による講義を通じて次第に定着していく。そしてその集大成として、平成10(1998)年の「鞠智城(きくちじょう)鼓楼」の10分の1模型が制作されることになる。「鞠智城」とは7世紀後半「白村江の戦」での大敗の後、大宰府防衛のために築かれた福岡、佐賀、長崎等の城への補給支援基地であったとされるが、県による発掘調査、復元事業の一部として、八角形の鼓楼模型が文化課より依頼される。科内での激論の末、この製作に〈伝統建築コース〉の教職員、生徒が一年間にわたって取組み完成させたことは、記念碑的な意味を持ち、その後の外部事業へのさきがけとなった。
 〈伝統建築コース〉はこうして一定の評価を得て、卒業生もそれぞれの進路を開いていったが、その個々の仕事ぶりについては、本書後半のインタビューを基にした章(「はばたけ若い大工たち」)を読まれたい。そこには彼らの仕事への姿勢が生き生きと真摯に語られている。
 とはいえこのコースにも、就職先の確保の難しさや生徒の個性・相性の問題、あるいは技能者が技術者よりも低く見られがちな世間の風潮、設計者と施工者が分離されてしまう現在の建築方法の問題等、問題がないわけではない。しかしにもかかわらず、日本文化の伝統・文化財を守るという大きな視野に立てば、〈伝統建築コース〉は重要なものであり、将来的には大工技能周辺の技能–古色づけ、漆、壁紙、竹等–とも結びついて総合的な技能となる未来を有しているとされる。
 以上のように本書は、棟梁を育てることを目標にしたユニークな工業高校の記録ではあるが、現代社会においてはマイナーな技術であるように見える伝統技能が、逆に現代社会においてある側面では本質的な意義を持つことを指摘する。それは現代の労働概念よりももっと広い労働(働くこと)という概念に気づかせてくれる点であり、本書はその手がかりを、まさしく手仕事として与えてくれると言えよう。(R)

 【出典】 アサート No.308 2003年7月26日

カテゴリー: 教育, 書評, 書評R パーマリンク