【投稿】迷走する三位一体改革~地方行政の質の転換を~
(大阪 江川 明)
<二つの意見書>
さる6月6日、政府の地方分権改革推進会議は、昨年6月のいわゆる「骨太の方針第2弾」を受けたものとして、国庫補助負担金・地方交付税・税源移譲の「三位一体の改革についての意見」を取りまとめた。
その内容は、地方自治体側がこれまで強く求めてきた権限委譲に伴う税源の移譲については、増税を伴う税制改革まで先送りし、地方交付税については、その財源保障機能は廃止するというものである。
この「結論」に至るまで、それまでの議論の経緯を無視した水口小委員長「試案」なるものが突如提案され、地方6団体はもちろんのこと、地方側に立つ委員が猛反発する中で、強引に取りまとめられたものである。意見書の末尾には、委員名簿に反対した委員に*印がが付けられるなど、異常な状況を物語っている。
第1次分権改革を引っ張ってきた地方分権推進委員会とは違う、地方側の意見を無視するその態度には、鳥取県の片山知事が分権会議の西室議長が会長を務める東芝製品の不買発言までするなど、その異様さが伺えるものである。
一方で、分権委員会の委員長を務めた諸井氏が会長となっている地方制度調査会は、先の5月23日、「試案」で揺れる最中に、地方側の意見を反映した「地方税財政のあり方についての意見」を発表している。
いわば、地方自治に関わる政府の二つ諮問機関が、小泉構造内閣の目玉の一つである三位一体改革に関して、全く正反対の意見書を答申しているのである。
<小泉の決断?!>
地方交付税や税源移譲については、そもそも総務省と財務省で根本的な対立が以前から存在していた。国庫補助負担金についても、各省庁の大きな抵抗が今もって続いている。
この結論は、この6月下旬に予定されている経済財政諮問会議の場に委ねられている。この混乱に妥協点を見出そうと、民間議員である本間教授の試案や塩川財務大臣の税源移譲容認発言など、様々な「落とし処」が提起されている。
最終的な判断は、小泉首相自身の政治的決断次第ということになっているが、これが最も「怖い」のである。地方自治に関する見識は全く不明確であること、持論としていた郵政改革や特殊法人改革ですらあの状況であること、何よりその出自は「大蔵族」であることを考えるならば、その行き先は大方の予想がつきそうである。
地方分権そのものが「中央集権体制の制度疲労」や「行政改革の一環」というあくまで国の都合、中央政府の論理によって進められてきた経過を思えば、この議論の帰結も当然のことと言える。「自主的な」市町村合併も、半ば強制合併の色合いを濃厚にしていることも同じである。何よりも、地方自治制度の骨格を形作るのは、あくまでも中央政府であり、中央国会であるという、国家体制の限界が厳然とした事実がある。
<量から質へ>
しかし、住民を目の前にした地方自治の現場としては、いかなる制度の改変が行われようとも、逃げ出すわけにはいかず、その責任を果たしていかなければならない。いかに交付税が減額されようとも、国庫補助負担金削減に見合う税源が移譲されなくとも、住民サービスを提供しつづけなければならないのである。
確かに、これまでは歳出の拡大路線を続け、その歳入を補わんとして、借金までして(これは国の交付税会計の借金も含む)、サービスの維持を図ろうとしてきた。そのような施策誘導をした国が悪いのか、それに安易にのってきた地方自治体が悪いのか、今その責任論を展開しても始まらないが(もちろん、いずれは明確な結論を示さなければならない問題ではある)、要は、今一度原点に立ち返り、歳入に見合った歳出の構造改革が地方の側にも求められているのである。
言い換えれば、家計と同じで、入ってくる収入以上のことはできないのである。身の丈にあった行政しかできない、ということを住民にハッキリと示し、「行政はここまでしかできません、あとは住民自身の自助、互助でお願いします」と言わなければならない時代にきているのである。その議論の過程の中で、受益と負担、協働のあり方、公共事業の優先順位、施策の選択とそれに伴う税負担について、行政は説明責任を果たし、住民も行政に参画しながら、真摯に「わがまちの将来」を展望しなければならないのである。
こういった議論は、今や「キレイ事」ではなくなってきている。成果主義の観点で捉える行政評価をはじめとしたニュー・パブリック・マネジメントの試みやマニフェストの提案、ボランティアの活性化やNPO法人の活躍など、全国各地で様々な実践、実験が取り組まれている。先の統一地方選にも見られるように、ここ数年、「行政改革」を公約に当選している首長が増えているのも事実である。量の多さではなく質の高さが問題であることが、認識され始めているといえる。
<もう頑張らなくていい>
もはや、公共事業や福祉の無原則な拡大で行政が「頑張る」時代は過ぎたのである。むしろ行政が「頑張って」成功した例の方が少ないのではないか。人口が減少したからといって行政が血道を上げたところで人口が増えるのだろうか。即効性が求められる数多くの少子化対策を打っても出生率は下がる一方ではないか。支える世代が減少するならば、それに合わせた制度設計をせざるを得ないではないか。少子高齢社会、人口減少社会、歳入減少の時代の中で、いかなる質の行政をめざすのか、真剣に考える絶好の機会が訪れているのである。
国の迷走劇をインセンティブにするのも、まるで国の意図に乗るようで皮肉なことではあるが、これまで地方自治体自身が、ある意味で「国のせい」にして回避しつづけてきた問題に、そろそろ回答が求められているのである。もちろん、三位一体改革が、少しでも地方側に有利な結論になることに期待しつつ。
(大阪 江川 明)
【出典】 アサート No.307 2003年6月21日