【書評】『男はなぜ暴力をふるうのか—進化から見たレイプ・殺人・戦争』

【書評】『男はなぜ暴力をふるうのか—進化から見たレイプ・殺人・戦争』
  (M.P.ギグリエリ、松浦俊輔訳、2002.10.30.発行、朝日新聞社、2,300円)

 「本書には少なくとも二つのことが期待できる。一つは男の暴力に関するいくつかの事実である。全世界やアメリカにおいて、どのような男が暴行や殺人を犯すのか(さらに、どのような場所でどのようなときにそうなるのか)がわかるだろう。もう一つは、なぜ男がそれほど暴力的なのかに関する、最も妥当で、正確で、かつ筋の通った、進化論的説明である。本書は、男と女、セックスと暴力についての本であるが、人々がこのような行動に駆り立てられる根っこにある、基本的な生物学的・文化的な力も探究する」。
 「われわれは今、人間の暴力が文明化の不幸な産物ではなく、はるかに根深いものであることを知っている。本書の目的は、男の暴力の誘因が男の心にどれほど深く根づいているものか–そしてなぜその誘因がそこにあるのか–を、正確に解き明かすことである」。
 本書は、類人猿学者である視点から、男の暴力についての考察を進める。さて著者によれば、男の暴力はこう語られる。
 「男の暴力の起源は氏か育ちかの問題ではない。育ちは氏によって遺伝的にプログラムされているのだ。(中略)男と女は生まれながらに、生物学的性(セックス)も社会的性(ジェンダー)–人間の心とアイデンティティの最も基本的な要素–も違うようにできているし、親の養育を通じて、あらゆる形態の繁殖競争で他の同性に勝てるように適応して、適切で競争力のある性別役割分担を文化から学ぶよう、本能ができている。男の暴力は、この過程の中で、氏、生物学的性、育ち、社会的性などによって形成される繁殖戦略として現れてくるのである」。
 すなわち「ジェンダー的行動をもってプログラムされているこの必要と欲求」を前提にして、「人間に暴力行為を犯させる本能的な感情」が存在することを認めることで初めて男の暴力についての正確な理解とこれを克服する視点が得られるとされる。ところが人間行動に関する生物学の理論を拒否し、現実を回避する態度(「社会のチャンネルを回せば諸悪を遮断できる」という思い込み)が現在の社会科学にあまねく行き渡っており、むしろこれが科学的研究の成果を利用するためには妨げとなっている、と著者は警告する。
 「要するに、大きな脳、暴力的ではあるが協力的な男の社会組織、DNAによる繁殖戦略の組み合わせが、人類の人類らしいところを必然的にしたのだ。ホモ属の男達が力を合わせたり、(中略)ホモ属の類人猿の脳が大きくなって文化的創造と象徴言語が可能になったりしたとき、人類らしさが鍛えられていった。競争において文化がいちばん有利になったとき、はじめて類人猿は人類になった」。
 このホモ属の行動の進化は、さまざまな要素がきわめてまれな結びつきをしたために、「洗練された性差別や協力的な暴力など、あらゆるものに至る狭い道に」追い込まれていったのであろうと推測され、これらが、人類の人類らしさを描き出しているとされる。
 このような視点から著者は、レイプ、殺人、戦争といった「男の暴力」の根源を探る。その個々のデータについては本書を読んでいただくとして、これらの項目について著者の意味づけを記してみよう。
 レイプについてはこう特徴づけられる。
 「要するに人間の男がレイプを始めたのではない。むしろ、人間の男はレイプ行動を類人猿の祖先から受け継いだ可能性が非常に高い。レイプは雄の普通の繁殖戦略であり、数百万年もの間続いてきたと思われる。人間、チンパンジー、オランウータンの雄はあたりまえのように雌をレイプする」。
 すなわちレイプに関する事実からは、レイプもまたマッチョ的な性淘汰による産物であることがわかるのであり、多くの男性が自然淘汰の繁殖競争に『勝つ』ために役立つ『道具』あるいは適応能力とされる。
 次に殺人についてはどうであろうか。
 著者は、殺人の根本的な原因を生物学的なものであるとし、「繁殖に有利になる個人的利益」の拡大と「すでに獲得した大きな利益」の保持のために、「男を殺しへと駆り立てるように設計されて、性淘汰によって男の心根の中にコード化されて備わっている本能」に求める。つまり「殺人は、われわれのDNAにコード化されている」のである。
 さらに戦争については、次のように語られる。
 「戦争は、まさに、男たちの繁殖のための、のるかそるかの賭けである。戦争という生命を左右する危険に見合う、いちばんの価値ある目的は、女たちであり、あるいは、より多くの女たちとその子孫を惹きつけたり、支えたりできる資源である。
男–あるいは、類人猿の雄–が戦争を通じて求めるのは、自分の一族を利己的に拡大すること、あるいは、安定したものにすることだ。雄に取ることができるのは、繁殖におけるのるかそるかの最大の賭けという究極の形をしたマッチョな雄の性淘汰である」。
 そして戦争の場合に見られる雄の結束と相互利他性という特徴は、「ただただ、そうした先祖たちが結束できなかった先祖たちより多くの子孫を残したから」というのがその理由とされる。「要するに、戦時に男たちが示す証拠によれば、世界中の男たちは、彼らの戦争行為が成功する確率を高めるために、結束する」のである。
 以上見てきたように、著者は、「人間は白紙状態ではない。人間の本性は行動に関する内容を抱えこんだ状態で生じる。その行動は、個人の生存と繁殖という究極的な機能に役立つものである」という視点から、「男の闇の部分」にメスを入れ、生物学的自然を暴き出す。
 そしてこれに対して本書は、例えば殺人について、「殺人の『温床』–熾烈な繁殖競争の世界であり、そこでの勝者が、何百万年にもわたって、われわれが受け継ぐ行動の遺伝子を決定してきた–を理解して初めて、われわれはこの遺伝的傾向を克服する期待を持つことができる」と主張する。すなわちわれわれは、レイプ、殺人、戦争などの先祖からの生物学的自然の遺産を理解することを通じて、それを適切に押さえる術を–個人としても社会としても–身につけることにより、「自身の暗黒面の奴隷」から解放される可能性を持つことになるのである。
 このような著者の姿勢は、生物学的自然を無視あるいは嫌悪しがちな社会科学に再考を迫るものであり、また従来の倫理学的アプローチからス言えば、否定されるべき主張に過ぎないと思えるかもしれない。けだし生物学的自然からの解放を目指す著者の姿勢が、かえって生物学的自然をわれわれの制御不可能なまでに解放してしまう危険を招くかもしれないからである。
この点については、さらなる生物学的研究の成果を踏まえた論議を深めることが必要であろう。しかし著者の批判的視点は、挑発的であるが、説得的であり、かなりの有効性をも持っているように思われる。
 「今やわれわれには、暴力が男と女の繁殖戦略により進化の中で形成されてきた行動であり、男と女では、精神も感情も優先事項も違うのはなぜか、それはどう違うのかを理解できるだけの手段がある。この男女の相違は人類に特有なものではない。われわれに最も近い同じ系統の動物にも見られる。ホモ・サピエンスが暴力を考え出したのではなく、暴力的な起源からホモ・サピエンスが登場したのである」。
 本紙の先月号の書評でも言及したが、人間本性に「遺伝的規定性が優越する〈堅い部分〉と生活条件によってさまざまに変形される〈柔らかい部分〉」とが存在する問題に関連して、本書は、俎上に載せて検討されるべき書であろう。(R)

 【出典】 アサート No.307 2003年6月21日

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