小野暸さん講演録 「21世紀のグランドデザインをどう描くか」を読んで
【感想1】 講演録を読んで (依辺 瞬)
小野暸さんの講演録を興味深く読ませていただいた。編集者から感想を求められたので、今後の議論に向けた理論上の問題提起をさせていただく。
「組織の失敗」という議論にもあるように、小野さんの主張を貫くキー概念は「組織」である。しかし、その扱いは、あまりにもアプリオリではなかろうか。
「組織」の捉え方はそれ自体が、論争的なテーマである。組織理論は、すでにいくつかのパラダイム転換を経てきており、古典的管理論や官僚制論のような古典的な組織理論は、組織を内部秩序としてのみ理解するものとして、その有効性は限定されている。すなわち、「組織」はそれ自体ダイナミックに変化するからである。そのことを説明しようとして、今世紀半ばには開放システム理論が導入され、組織は環境との相互作用によって理解されることになった。1960年代から80年代初頭まで支配的なパラダイムであったコンティンジェンシー理論では、情報制御装置として組織を把握した上で、組織構造と環境条件の適合性によって組織の有効性を因果的に説明することを試みている。しかし、環境決定論的な見方に陥り、十分な説明ができたとは言えず、1980年代以降の新たな理論展開では、組織変動の内生的な過程に焦点が当てられることになった。例えば、マーチ、オルセンの「ゴミ箱モデル」は、情報制御装置としての合理的な組織像への批判を提起し、組織が偶然性に依存する秩序であることを明らかにし、組織内の無秩序性やカオスに積極的な意義を与えた(1986)。また、ウェイクは、組織にとって環境は客観的所与ではなく、組織が適応できるような環境が組織内の解釈枠組みを通じて意味的に創出されるのであり、その環境に対して組織化の過程が働きかけることになると主張し、意味概念を初めて本格的に組織理論に導入している(1980)。バーゲルマンらの「戦略プロセス論」では、組織と環境との関係づけのパターンである戦略が、組織内的過程のなかで創発的なものとして形成されてくる点を強調した(1987)。また、組織内の解釈過程をつうじて情報や意味が創造されるメカニズムの解明に焦点が当てられ、「ゆらぎからの秩序形成」に着目するタイプの自己組織性論が導入されている(野中、1985)。おそらく、小野さんと私では「組織」に対する先行的な評価が、異なっているのかもしれない。「組織」は決して固定的なものでも、超歴史的なものでもないという実感が私にはある。善し悪しは別にして、「組織の変革」には、従前組織との同一性を否定するような、ある種の「飛躍」を伴う構造的な変革が、(希ではあるが)あり得る。
私は、それを説明するのに、ルーマンが社会システム論に導入したオートポイエーシス論を組織論に展開しようとする主張に注目している(奥山敏雄「近代産業社会の変容と組織のオートポイエース」/駒井洋編「社会知のフロンティア~社会科学のパラダイム転換を求めて」第6章、新曜社、1997年)。その要諦は、組織というシステムを高度な偶有性をはらむ(組織システムにおけるコミュニケーションシステムであるところの)組織的意思決定から構成されているシステムととらえ、組織システムは高度に偶有的な秩序、それゆえに別様の可能性に開かれた秩序として自己了解するということである。この場合のコミュニケーションとは、いくつかの種類の行為のうちの一つというものではなく、また、単なる「情報の伝達」として把握されるものでもない。ルーマンが述べるところの、情報、伝達、理解の三つの総合が自我と他我において繰り返される社会システムの要素としてコミュニケーションである。
組織も、このような多種多様な可能性を有した「複雑な系」ととらえることが必要ではなかろうか。
【出典】 アサート No.292 2002年3月16日