【書評】『開発と健康──ジェンダーの視点から』
(青山温子・原ひろ子・喜多悦子共著、2001.9.30.発行、有斐閣選書、1600円)
最初に少々長くなるが,本書の終章から引用する。
「光をあてる角度を変えれば,見えなかったものが見えてくる。あたりまえと思っていたことが、実はとんでもない思い込みだとわかることは少なくない。その中から,本質的に大切なものが浮かび上がってくる。
なぜ、開発途上国の母親が病気の子どもを診療所に連れていけないのか、あるいは行かないのか、それは、女性が村の外に出られないなど社会的行動を制限されているためかもしれない。診療所が遠くて、交通手段がないためかもしれない。『子ども、中でも女の子は死んでも仕方がない』と思っているからかもしれない。あるいは、母親は出稼ぎに出ていて祖父母が子どもの世話をしているのかもしれない。どの子どもも献身的な母親が面倒を見ているはずという思い込みにとらわれていると、問題点は見えてこない。父親の役割はどうなのか、女性への社会的行動制限が強いのか、どのようにしたら社会規範に反しない形で健康改善ができるのか、家族の中、社会の中で人々が公平・公正な位置づけを得ているのか、さまざまな視点で、吟味を重ね検討していく必要がある」。
ここに見られるように本書は、社会や経済の開発過程で顕現する健康についての諸問題に、ジェンダー的視点からアプローチしようとする書である。
本書によれば、「開発の目的は、人々の幸福と社会の発展であり、言い換えれば、人々の健康と社会の健康を達成すること」とされる。それ故「健康と開発は相互に作用しあい関連しあうため、開発により健康が改善するばかりでなく、健康改善により開発が促進されることも広く知られている」と述べられる。すなわち「人々の健康状態は、開発の度合いを示す指標」となるのである。
この「開発」概念のとらえ方には異論もあると思われるが、本書では「開発」の内容については、次のように変化したとする。
1970年代までは、開発とは経済開発によって生活を向上させて貧困をなくすことに主眼が置かれ、農業や工業の生産増加、道路・鉄道・ダムなどの建設が取り組まれた。しかし多くの開発途上国では、経済開発はかえって貧富の差を拡大させ、社会的公正の実現などの社会全体の近代化は取り残されたままであった。
1980年代に入ると、経済主導のやり方が行き詰まり、社会が不安定な状態になった。この反省から、生活向上のためには人間の基本的ニーズ(基礎的な教育や保健医療など)を満たすことに重点を置き、貧困の克服に向けて意識的に努力する必要があることが認識されるようになった。これが社会開発(social development)の考え方であり、その課題は、貧困、雇用、環境、人権、社会的公正、食料、住居、健康など多岐にわたっている。
そして1990年代以降、社会開発に重点が移るが、その中で、経済開発という点から見ても、教育や保健医療などの水準を向上させることによって人材の基礎水準の引き上げをはかることが有効性を持つということが理解されてきた。こうして開発目標を人間そのものに置く人間開発(human development)の考え方が生まれた。
本書では、この経済開発、社会開発、人間開発の視点を踏まえる。「第1部、健康と開発」では、貧困(とくに「貧困の女性化」)のために生じる健康の問題、経済開発過程で起こる環境汚染などの健康への影響の問題、自然災害が社会のひずみによって被害状況の格差を大きくしている問題などを検討する。そして健康の問題に、ジェンダー・社会階層・エスニシティーに代表される社会的文化的要因が深くかかわっていることが解明される。
また「第2部、健康とジェンダー」では、ジェンダー的な視点から健康と開発が見直される。この中で、従来の健康問題の分析研究や保健医療計画が、男性の視点から取り組まれていて、女性の健康改善がつねに後回しにされてきたこと、多くの開発途上国で女性の教育水準の低さが、女性の健康改善や社会参画への妨げとなっていること、またこのことが子どもたちの健康や生活水準にも悪影響を与えていることが指摘される。すなわち「女性の教育水準と乳幼児死亡率は、ともに、その家庭やその国の人間開発・社会開発の水準を反映する指標であるとも考えられる」のである。
ここで紹介されている考え方で注目されるのは、経済開発が女性に負の影響を与えることが多いことへの反省から、経済開発への女性の参画や開発成果の女性への公平な波及をめざすWID(women in development:開発と女性 )の概念やこれをさらに進めたGAD(gender and development:開発とジェンダー)の概念である。後者はジェンダー間の不平等・不公平の除去が開発につながるという考え方であり、今後の発展課題とされる。
また性と生殖にかかわる健康を包括的に捉える概念として「リプロダクティブ・ヘルス(reproductive health)の概念が提唱されている。これはWHO(世界保健機構)とUNPFA(国連人口基金)によって、「性と生殖に関し、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態にあること」と定義される。具体的には、妊娠と出産、避妊と不妊、性感染症、思春期保健、更年期以降の健康、男性の健康など多方面にわたっており、母子保健や人口・家族計画などとも密接な関連をもつ。そしてこれを達成する権利として、「リプロダクティブ・ライツ(reproductive rights)」が基本的人権の一部とされている。
しかしこのような概念・権利を効果的に浸透させていくためには、各国各地域の社会的文化的政治的状況を考慮した施策が採用されねばならず、また教育や医療以外の分野の対策も同時に行っていく必要があるとされる。
以上のように本書は、ジェンダー的視点からの基本的人権の向上、とくに健康権の改善を訴え、女性と健康に関する問題が、男性のジェンダーとも深くかかわっていることが強調されている。開発と健康という一見直接関係がないと見なされがちな事柄について、視点を変えて見ることを教えてくれる書である。一読を薦めたい。
なお各章のエピソードも興味深く、日本に関して言えば、敗戦後GHQ(占領軍総司令部)の軍医サムス大佐によって行われた保健医療改革が紹介されており、その教訓にも教えられるところが多い。(R)
【出典】 アサート No.291 2002年2月16日