【投稿】自治労再生への道とは
はじめに
昨年9月以降、日本最大の労働組合に激震が走っている。使途不明金問題、右翼対策費、そして簿外口座処理問題、関連会社の幹部による横領発覚・逮捕起訴、続いて法人税法違反で元委員長まで在宅で略式起訴される事態となった。マスコミ報道が先行し、組合側は対応に追われ、組合員の不信は底流で広がり続けている。
一体、何が原因でこうした事態となったのか。私の勝手な見解を明らかにして、自治労の再生の道を考えてみたい。
1、連日の「自治労報道」、狙われていた自治労
自治労は2001年8月末に第72回定期大会を開催して、新しい執行部体制を確立した。そのわずか1ヵ月後の9月30日、読売新聞と朝日新聞が「自治労が右翼と関係」「2億円の使途不明金」との報道を行う。
関係会社UBC、そして共済事業の手数料などの収入の流れ(簿外口座)とその使途(組織対策費等)、手数料収入をめぐる法人税法違反へと追求は止まらなかった。10月10日関連会社役員の逮捕から簿外口座暴露、そして39億円とも言われる、簿外での借財問題。そして後藤元委員長逮捕(12月初旬)、と昨年の秋から冬へ、闘争どころではない事態だった。まさに公務員制度改革の山場の時期であったにも関わらず。
2、決定的なダメージ
自治労という労働組合の位置と役割は、非常に大きいことは周知のことだ。政治闘争にしても、自治体を取り巻く政策課題や市民と結びついた活動、平和・人権運動など、連合労働運動の中でも地域闘争を担う「律儀」な組合という、今どき稀有な労働組合なのだ。
今回の一連の事件の発覚によって、これまでの社会的な信頼もかなりのダメージを受けてしまった。組合員の信頼も然ることながら、社会に対してダーティな印象を与えてしまったことは、大きな後退である。自他共に「誇り高い」自治労組合幹部(本部から単組まで)は、従来の自信を無くしているようにも思える。一連の再生議論も内外の不信にいかに対処するか、この危機的状況をどう乗り切るか、に議論の中心があるように思えてならない。「自治労」という名前を変えるとか、300億円を超える自治労基金を取り崩し「社会貢献基金」を創設するという議論に象徴的だ。
3、組織運営・組合資金をめぐる問題の存在
今回の事件は、以下の問題に集約できるように思う。
A共済事業における手数料収入の組織的処理・法人税問題、B関係会社における常識的な経営関与の問題、C簿外口座含む財政政策と組織内チェック体制の問題、D役職員の問題点 E以上の問題をすべて包含する意味での巨大組織運営の問題点、と思われる。
A、B、Cについては、「マネジメント」感覚の麻痺ということに収斂するように思う。言ってしまえば、当たり前のことが出来ていなかった、という意味で、「組織の弛緩」状況を助長したシステムをどう改善するか、という問題だと思う。なぜ、自らの手で是正・改革できなかったか、ということこそ議論されるべきなのである。
D,Eについて「再生プログラム」議論の中では、長期に役員を務める事の是非が語られているが、議論が逆だと思う。100万人の組合員の組織と運動を牽引するエキスパート、熟練工をどう組織的に育てるか、こそ議論されなければならないと思う。地方組織も同様だ。
さらに、連合の結成、自治労の分裂(自治労連との組織戦争)、非自民連立政権と政界再編成と激動した80年、90年代において、問題は生まれて温存され、改革されることなく、今回の事態となった点も大きな視点として押さえる必要があると思う。
4、自治労再生議論について
一時期の「連日のマスコミ報道」という時期は確かに去った。修正申告やら法的な処分も進み、残るは組織での「犯罪的行為」への責任追及と「自治労再生議論」に移りつつある。
自治労本部は、昨年12月不祥事問題への対応のみを議題に中央委員会を開催した。真相究明の徹底と「自治労再生」に向けて、「自治労再生委員会」を設置し、1月末の臨時大会で「再生プログラム」を議論する予定だ。
私の希望は、拙速な議論は止めた方がいいということ。信頼の回復とは、運動で勝ち取るものであり、その運動にとって何が必要であり、何が不要なのかを明らかにした改革が必要であるということだと思う。「分権型」組織という議論の方向もあるようだが「ミニ中央本部」を再生産するだけなら止めた方がいい。組織と財政は集中してこそ、力を発揮するのではないか。問題は民主的で公開された適正な運営が確保されるかどうかである。
そして、産別組合本部への家宅捜査により自治労の財政・組織運営に関わる大量の資料が権力の手に渡り(明らかな対権力対応の弛緩があった)、組織・財政の運営実態を権力が押さえているということも忘れてはならない。不正の摘発を自らの手で自律的に行えなかったツケが権力の介入を招いたという事実に対して、単に本部の責任追求に止まらず、全組織の反省が必要だという前提を忘れてはならないと思う。そうでなければ、再生議論もまたもや自治労内の「組織内政争」という、組合員を忘れた「従来の議論」に陥りかねないことを指摘しておきたい。(H)
【出典】 アサート No.290 2002年1月26日