【投稿】歴史教科書問題とマルクス主義史観 by 生駒 敬
☆小泉新政権登場の意味
小泉政権の登場によって、がぜん日本の政治状況は騒々しくなってきた。前首相の森氏はいわば粗雑、粗暴、底の知れた乱暴者の程度、自民党内でも御し易しき存在であったが、小泉氏は御し難く、奇人、変人といわれながらもスマート、シャープ、ソフト、そして実行力が売り物である。それが一〇%以下の支持率と九〇%にも達する支持率という、対照的な差となって、異常な小泉旋風を巻き起こしている。しかし両者は同根である。後者が前者を徹頭徹尾支えていたのである。いや、後者のほうが靖国公式参拝へ異常な熱意を示し、集団的自衛権の行使を当然のごとく主張し、そのためには憲法改悪もいとわず、この際首相公選も、と前者よりは悪質でたちが悪い。しかし前政権の無能・無策・利権漁り、放漫財政をさらに拡大しようとする無責任さにほとほとあいそをつかしていた世論は、歓呼の声で小泉氏を迎えた。野党のふがいなさを見るとき、ある意味では当然とも言えよう。民主党の支持者では八割前後、共産党の支持者でも五割前後が小泉支持という事態である。かくも世論が軽々に流れ、それに棹さす者が非難、難詰される、これは危険な事態の到来ともいえよう。タカ派の内実を、その場限りの大衆迎合的な「構造改革」や環境政策で補完して一気に押し通してしまおうというこの新政権、一見「改革的」な側面ももたざるを得ないし、政策転換も行い、矛盾と軋轢を生み出してはいるが、大勲位・中曽根元総理に庇護され、おだてられ、何をしでかすか分からないという意味では、前代よりも危険であり、反動的でさえある。あの石原都政と相通ずるものがあろう。
しかし私はここで、小泉新政権論を論じようとするものではない。軌を一にして問題が浮上している教科書問題である。この問題、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書も、きわめて復古調であり、反動的である。小泉新政権と自民党はこの際一気にこの反動的な教科書を全国の教育現場に広めようとさまざまな画策をしている。これに対して韓国、中国からは検定の撤回と個々の具体的な修正要求まで出されている。自民党内や右派勢力からは「干渉に屈するな!」の大合唱である。この教科書の情緒的で非科学的・反動的な内容に対する一通りの批判ならば、いとも簡単であろう。事実、鋭い的確な批判が多数出されている。あえて付け加えることもないといえよう。問題提起としたいことの一つは、こうしたものがなぜ台頭し、これとどのように対抗すべきかという政治的思想的な位置付けの問題である。
☆「フリーパス」の検定
この「新しい歴史教科書をつくる会」は、周知のとおり、「現行の歴史教科書は旧敵国のプロパガンダ(宣伝)をそのまま事実として記述するまでになっています。」として、「新しい歴史教科書をつくり、歴史教育を根本的に立て直す」ことを設立趣意書に掲げてきた。そしてついに、皇国史観を「誇りうる歴史」、「大東亜戦争」を「アジア解放の戦争」と主張する歴史教科書と公民教科書の検定を合格させ、教科書採択の前から産経新聞社と一体になって大々的な宣伝を行い、教科書の市販本まで出版して大量販売に乗り出し、地方議会や教育委員会、教育現場に彼らの教科書の採択を迫るよう、右翼暴力団と結びついた政治的暴力的な圧力までかけだしている。
つくる会の西尾幹ニ会長は、検定合格前までは、「個別部分は屈辱的ともいえる修正も受け入れた。ただ、マルクス主義史観とは違うわれわれの考え方そのものは残っている。」(『朝日新聞』三月五日)などと述べていたのだが、検定が合格するや、「(家永三郎氏の教科書は四〇〇箇所もの修正があったのに対して)一三七ヶ所といいますとほとんどの他の部分は修正されていないといってもいいんですよ。重大な叙述の部分がほとんどそのままフリーパスで通っているというのが、実は一方の事実なんです」(産経新聞社『正論』二〇〇一年七月号「我々の歴史教科書は死なず!」)と本音をずばり吐露している。
同教科書の共同執筆者の小林よしのり氏も、「特攻隊員の遺書は、白表紙本のなかでは、本文の記述になっていたんです。そこに検定意見がついて削られてしまったからコラムを作って、本文で一本だけ紹介していたものを二本に増やしてやった。このように闘争心に燃えた検定に対する処し方もあるわけです。検定でどうのこうのと意見をつけられても、唯々諾々とそれに従ったわけではありません。…だからいろいろ修正されたといっても、この教科書の記述は決して薄まっていない」と豪語している。(同上、『正論』誌)
彼らが自ら暴露しているように、文部科学省は彼らの教科書のためにだけ一ヶ月以上遅らせた第三次修正期間を設け、それまでにこの教科書の不合格を主張していた検定調査審議会委員を更迭し、韓国側からの反発を字句修正問題に持ちこめるように表現を和らげ、町村文部科学大臣の「特別の計らい」で検定をゆるめ、明らかに検定を合格させる「通すための検定」が行われたのである。
☆「歴史学者の問題」なのか
それでも事態は、韓国・中国両政府の根本的な修正要求となって日本政府に突き付けられる事態を招来した。事実上のフリーパスで、語句の修正だけでは切り抜けることのできない本質的な欠陥を数限りなく抱えている以上、小手先のごまかしでは対処できるものでないことは当初から明らかであった。それでも小泉首相は「これは再修正はできないんだけど、お互いに歴史学者の見解が違うから将来、どういう対応をできるか前向きに考える必要がある」(五月八日・記者質問に対して)などと、問題の重要性さえ認識できず、歴史学者の見解の相違のごとく装い、逃げ切り策に終始しようとしている。しかし韓国政府が問題にしているのは、歴史学者の問題などではなく、韓国・日本間の合意事項、日本が自ら表明した国際的約束、国際社会が公表した歴史教育に関する基本的立場に反しているものであると明確に指摘し、日本政府の公約違反を問題にし、批判しているのである。
こうした事態に対して、「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」(中川昭一会長)などは「これは明らかに内政干渉だ」と叫び、「つくる会」理事の坂本多加雄・学習院大教授は「要求に応じれば禍根残す」として、「韓国政府より再修正要求があった。要は自分たちが書いてほしいように書いていないという指摘である。…一方的な修正要求に直面しているのである。韓国政府による「検定」が今後慣例化すれば、日本国民の多くは、阿諛追従するか反発を強めるか、いずれにしても心底から隣国に親愛を抱くことはむずかしくなろう」(『朝日新聞』五月十四日)として、いずれも意図的に問題を内政干渉論にすり替えている。
問われている問題の本質、「日本軍国主義が犯した侵略の残虐行為を美化し、あれこれ逃れようとしている」、「すべてのアジアの被害国人民の感情を侮辱する」、「歴史的事実と人類の英知に対する挑発」(中国外務省談話)としての今回の歴史教科書問題の本質を一切問うことも省みることもなく、「一方的な修正要求」、「国内問題に対する外国からの干渉」、「国家の存立の基本にかかわる」などとして排他的なナショナリズムを鼓吹する、こうした態度からは偏狭な拝外主義が生まれても、国際的な協調と連帯、相互交流と信頼の精神は生まれないであろう。
☆「日本人再生の糸口」
さてここまでは、いわば当然のこと、言わずもがなのことを述べてきたとも言えよう。問題提起したいことはここから先のことである。こうした動きは、ドイツやオーストリアにおけるネオナチの動き、歴史修正主義の胎動、ヨーロッパにおける外国人排斥運動などと共通の根を持っていること、等については、本誌前号「社会主義と全体主義論」でも指摘したところである。論を進めたいのは、マルクス主義、唯物史観との関係である。
前出の西尾幹ニ・「つくる会」会長は「マルクス主義史観とは違うわれわれの考え方」と言い、坂本多加雄・同理事はマルクス主義に基づくこれまでの「日本近代史解釈」を「講座派の立場からする歴史の物語」として批判する。彼らはマルクス主義史観を十把一からげに階級闘争史観=「自虐史観」と決め付け、敵意を剥き出しにする。そこには真剣でまじめな論証もなければ、悪罵・中傷・冷笑はあっても対話の可能性など存在し得ない。このように論ずることこそが彼らの存在意義でもある。しかし彼らの動きが一部の言論やマスメディア、資本と結びつき、大々的なキャンペーンを展開し、一定の支持を獲得し、政治勢力としても無視し得ない段階に達し、自民党や右派政治勢力が彼らを取り込み、彼らに頼り、依存する事態にまで進展していると言えよう。
こうした事態は、大きく言えば、ソ連崩壊と相前後する冷戦体制の崩壊に伴う事態の進展の反映でもある。冷戦体制の崩壊は、それぞれの体制を防御し、統制していた冷戦を維持する構造をも崩し始めた。それは急速な市場主義の拡大と貿易・経済の国際化、グローバリゼーション化として現出し、国境や体制の相違を突き崩し、公開せざる情報をも公開させ、非民主主義的な権威主義的政治体制はもちろんのこと、一見進歩的な開発主義的独裁主義的政治体制をも風前の灯と化させ、先進諸国においてもこれまで押さえつけられ、表面化していなかった矛盾や問題を噴出させることとなった。その典型の一つが強制連行や強制労働、従軍慰安婦問題に現れた戦後補償の問題である。冷戦体制下では解決済みの問題であったものが、民主主義と人権、国際的道義的規範に照らして未解決の問題として浮上してきたのである。過去に問題解決を図ることなく責任を回避し、封印してきた「ツケ」を払わなければならない段階に達したのであるが、一方では国家の統治能力がグローバル化とともに低下し、方向喪失状態に陥っている。
こうした事態を危機意識と不安感でとらえ、坂本多加雄は「輪郭を失い人類や市民に拡散してしまった日本人のリアリティの再生の糸口」を皇国史観に見出し、自虐史観の克服に「日本」再発見を重ねる、その意味では単純に復古主義的なものではなく、グローバリゼーションに対応するものとして持ち出されていることに注意すべきであろう。
☆「マルクス主義的史観」の反省点
冷戦崩壊後の社会、二一世紀は、それぞれの諸国が孤立しては存在しえず、相互に複雑に絡み合い、相互依存関係の中で社会が形成されている、ゴルバチョフがかつて述べたように「共同の家族」をお互いに構成しあっているともいえよう。そうした世界では、環境問題が諸国の一致した協力と解決への努力がなければ無に帰するのと同じように、一国の歴史といえども他の諸国との関係を無視しては成り立ち得ないし、侵略と植民地化を正当化するような自国本意の優越主義的歴史観は有害無益である。むしろそうした史観をどのように反省・克服するかということが、一国の内部だけではなく、国際的な共同の努力の中で形成、蓄積され、それらが諸国の共通の成果として獲得されなければならない段階に来ている。しかもそれらが国家的・専門家的レベルだけではなくて、市民的・社会的・民際的レベルでこそさらに広範に追求されない限り、実となり花となり得ない段階でもある。
二〇世紀社会主義は、まさにこの点において本質的な欠陥を持っていたと言えるのではないだろうか。その国際主義は一国社会主義の中に埋没し、その民主主義は国家主義的権威主義と官僚主義の中に圧殺され、本来自由闊達に競い合うべき政党政治が一党独裁に合理化され、その党内民主主義さえピラミッド型組織体制の下に有名無実化し、党官僚が真理の決定権を独占し、市民社会の民主主義的発展を抑圧する国家権力が正当化され、「個」の民主主義と人権は「公」の利益と統制の下に従属させられ、市場経済の合理性と普遍性がその無政府性と暴力性のゆえに国家主義的統制経済の中に窒息させられ、結果として、「富国強兵」的軍事経済、冷戦体制の中でしか存続し得なかったという、深刻かつ苦渋に満ちた経験である。しかもその中には一貫して進歩主義的・生産力主義的史観が他に優越するものとして脈々として受け継がれてきた。その負の遺産は「包囲された社会主義」の名の下にすべて合理化されてきた。これらは筆者自身の深刻な反省でもある。
ところが、自虐史観を口を極めてののしる自由主義史観の彼らは、彼らがもっとも忌み嫌う「共産主義者」の手法そのままに、国家主義的権威主義を追い求め、「公」の優先の名のもとに自由な批判を封じ込め、劣っているアジアを解放し、進歩し優越している日本の成果を分け与える「大東亜共栄圏」を当時としては西洋列強に包囲された中でのやむを得ざる選択であったと正当化する。滑稽な歴史の逆転でもある。しかし笑って済ませられる問題ではない。かれらはすでに「君が代」と「日の丸」ですでに国家主義的な権威主義にひざまずくことを強制し、民主主義的な選択可能性を排除している。今度は彼らの得手勝手な進歩主義史観に基づいた「誇りうる歴史」を唯一正当な歴史観として押し付けようとしている。これに対抗する側の思想性と政治性が問われているし、社会主義の本質としての民主主義の発展、成熟度が試され、再試練を受けているとも言えよう。
【出典】 アサート No.284 2001年7月21日