【投稿】小泉改革と地方自治~市町村合併を中心に~
小泉改革の目玉である「今後の経済財政運営及び経済社会の構造改革に関する方針」いわゆる「骨太の方針」の素案が、さる6月11日の経済財政諮問会議において示された。すでにマスコミ等において報道されているように、不良債権処理や首相公選制など様々な構造改革に向けた大胆な施策が打ち出されており、その実現が小泉内閣の成否に関わるものであるとして、大きな議論を巻き起こしている。
本稿では、この「骨太の方針」が、今後の市町村合併をはじめとした地方行政の議論にも大きく影響を与えるものとして、とりわけ地方自治に関わる部分でのいくつかの論点について、考えてみたい。
<自立=市町村再編?>
素案では、6章あるうちの一つの章をさいて、「個性ある地方の競争-自立した国・地方関係の確立」と題して、地方行政の方針を謳っている。
まず、「地方の潜在力」を発揮させるべきだとして、「均衡ある発展」重視から「個性ある地域の発展」「地域間の競争による活性化」重視へと基本理念を転換することが求められるとしている。その下で、「自助と自律の精神」に基づいて、自治体が自らの判断と財源で行政サービスや地域づくりに取り組める仕組みへの是正が必要であるとしている。
このこと自身は、何年も前から、地方分権を議論する大前提として指摘されてきたことであり、全く目新しさがないものであることは言うまでもない。
その上で、「自立し得る自治体」を確立するために、市町村合併を強力に推進し、目途を立てすみやかな市町村の再編を促すべきだと、唐突に言い出すのである。
確かに、地方分権や少子高齢化、介護保険、環境問題、IT革命など、地方行政を巡る課題が山積している中で、ほとんど地方交付税頼みの財政体質で、自治体の体をなしていない町村が数多く存在しているのは事実である。住民サービスを維持・充実させ、将来の展望あるまちづくりを進めていく上で、市町村合併は避けて通れない課題ではある。
<「自主的な」は何処へ?>
しかしながら、これまでの国のスタンスは、あくまでも「自主的な」市町村合併の推進であったはずである。地方交付税や地方債などの優遇措置を定めた合併特例法の期限が、2005年3月に迫る中、一向に飛躍的な成果が挙がらない状況において、国のホンネとして強力に推し進めたいとは言え、地方分権の趣旨は尊重せざるを得ず、ある意味で自治体に気遣い、「自主的な」の4文字ははずせなかったのである。国の公式文書として初めて1000自治体という目標値を掲げた、昨年12月の行政改革大綱ですら、「自主的な」という文言は抜くことはできなかったのである。
これらの経過を一気に飛ばして、「強力に」「すみやかに」市町村再編を進めるなどと謳うこと自体が、素案の言うところの自助・自律、自立した国・地方などの理念と相容れるものではないことは明白である。
そのようなはき違えた理念に基づくならば、後段の「地方財政の抜本的改革」の中で、国庫補助負担金の整理合理化や地方交付税の見直し、地方税の充実確保をいくら謳ったところで、合併特例法のアメでは足らず、いよいよムチが登場してきたのだと、うがった見方をせざるを得ないのである。
<本来の自治体改革>
では、本来の地方自治の構造改革とは何か。それは、国から言われるまでもなく、まずもって自らが自治体改革を進めていくということに他ならない。すなわち、公共事業はもちろん、あらゆる施策・事業に対して徹底した自己評価を行い、それらを住民に広く開示し、説明責任を果たす中で、真にあるべきまちの将来像を住民との協働により打ち立てていくことである。その結果として、市町村合併というのも大きな選択肢の一つになっていくのである。
そのようなこともできず、また、課税自主権も制度的には十分保障されている中で、その一歩を踏み出せないでいるのは、ある意味で、利権にまみれ、がんじがらめになっている自治体側のサボタージュであると言っても過言ではない。国に付け入るスキを与えてしまっているのである。(なお、景気対策や雇用対策の名の下で、否応なしに国の愚策を押しつけられ、体制としても財政的にも、自治体が疲弊しきっていることは、十分に理解されなければならない。)
もちろん、国:地方の仕事が3:7であるにも関わらず、税源が7:3になっている制度的な欠陥を是正していくことは急務である。ただし、そのことは、昨今喧伝されている「都市対地方」という論理のスリカエに、議論を陥らせてはならない。小規模の自治体においては、いくら所得税や消費税の配分を見直したところで、税収が上がることなど考えられない。住民の生活・生命がかかっている中では、地方交付税の調整機能は維持せざるを得ないのである。その意味で、素案が地方交付税の「見直し」というレベルに止まるとともに、「規模に応じた市町村の責任」を言わざるを得なかったことは、当然のこととは言え、理にかなった落とし所であると言えよう。
<市町村連合型の政令指定都市へ>
では、大都市部においては、どのような自治体改革の議論が求められているのか。一定の行政水準を有し、ある程度の税収が確保されている大都市圏の自治体においては、国・地方の税源配分の制度的な見直しはもとより、説得と納得に基づく自主課税の議論を推し進めるべきである。
さらには、中核市や特例市などという中途半端な権限委譲ではなく、府県の顔色を気にすることなく、あらゆる施策や事業、事務を自らの判断で行いうるという点で、現行制度における最大の権限を有する最良の形態=政令指定都市をめざすべきである。例えば、大阪においては、堺市が府内2番目の政令指定都市を市町村合併により実現させようとしているが、他地域においても、そういった議論をもっと活性化するべきである。一定の規模の中で一定の自立をそれぞれの自治体が確率している大都市部では、国に尻を叩かれて中途半端な規模で合併して、疲労と混乱を招くくらいであれば、区役所行政として旧市町村の枠組みや一体性を残し得る政令指定都市の方が、むしろスムーズに議論が進むのではないだろうか。言い換えれば、広域行政の一つの形態として、市町村連合としての政令指定都市をめざし、強力な自治体をつくっていくべきなのである。
折しも、地方分権推進委員会が最終報告を提出したところである。分権論議の中で先送りにされていた税財源問題に一定の回答を示したものであり、まずもってこれらの提言を実行に移すべきである。そのような足腰の議論を抜きに、行政体の存廃に関わる議論を情緒的に優先させるべきではない。
小泉首相の地方自治への理解・見識は、如何ほどのものかは分からない。ただ一つ言えるのは、市町村合併というものは、中央政府のリーダーシップによって進むものではないということである。決して忘れてはならないのは、地方政府には「大統領制」に基づいて住民から直接選ばれた3200余のリーダーがいるということであり、自らの任命権に担保された中央省庁や官僚に対するのと同様に、軽々しく「再編」などと言うこと自体、おこがましいのである。 (大阪 江川 明)
【出典】 アサート No.283 2001年6月23日