【書評】大西巨人『二十一世紀前夜祭』
(2000.8.31.発行、光文社、1800円)
マルクス主義のあり方が激変し、その進むべき道筋を見い出すのがきわめて困難な現在、これをなお堅持して、凛とした視点から現代日本を凝視する作家の短編小説集である。著者の特徴は、私見によれば、マルクス主義の思想と「市民倫理ないし民族道義の問題」が不可分に結合した、妥協を許さぬ生命観・世界観にある。すなわち社会変革を目ざすマルクス主義思想は、「個々の私的人間の関係を支配するべき道義および公正の単純な諸法則」(マルクス)と両立しなければならず、革命の大義といえども、その内実をここに持つ以外にはあり得ないのである。
本書では、その姿勢が、著者の20代前半期作短歌から堅持されてきたことが語られる(所収「悲しきいのち あるいは二十一世紀前夜祭」)。
それは、ある山中での旧石器時代・穴居(けっきょ)生活の遺跡見学時の作である。
『ここに生きし穴居の民もわれわれも悲しきいのちはおなじことなり』
そしてこの歌とともに、「若くして亡くなった(虐殺せられた)質実な革命家・小説家P」の生き方が重ねられ、対比される。Pについては、「1970年代に没した優秀な詩人・小説家・批評家・革命家Q」からの「教訓的・感興的な話」として伝えられるが、そのPの特徴は、次のようである。
つまり、PおよびQを含む秘密相談会で、地下運動・反権力活動の行動計画があった場合、行動計画(の細部)にいたるまで、Pの態度は、はなはだ慎重すぎるほどのものであり、検討・駄目押しは桁外れである。しかし時としてPの不納得のまま、秘密相談会が計画実行を決定することがある。その時「Pは、『僕の意見(不納得)は、依然として変わらないけれども、決定には服します。』と言う。・・・/・・・さて、実行段階が来て、最も忠実に、最も果敢に、最も積極的に、最も徹底的に、計画の遂行を追求するのは、Pである。Pは、そういう人間であった」。このようなPが、反権力的非合法運動のため逮捕虐殺されたのである。
上記の短歌とPの生き方との関わりについて、著者はこう述べる。
「二十代前半期作短歌『ここに生きし』一首の生命観・世界観を、男は、少年後期の『マルクス主義者』という自己規定をとともに、高年期の今日も堅持した。(略)/男は、・『ここに生きし』一首の生命観・世界観の堅持があったからこそ、また『マルクス主義者』という自己規定の堅持もあり得た・と確信し、いよいよ深い愛着を往年の腰折れに覚えている」。
「穴居の民」と比較される「われわれ」とは、まさしく現代に生きる「われわれ」であり、それは、皮相的にはペシミズム的に見えようが、その本質では、現実を踏まえた市民倫理・道義を貫く存在でなければならない。このマルクス主義者であるが故にこそ、頑固に筋道を通す姿勢が著者の原点と言えよう。
そしてこの視点からの社会批判・知識人批判は、例えば次のような点に特徴的にあらわれている。
それは、第二次大戦直後の九州において、著者がある総合雑誌の編集者をしていた時の体験を題材にした短編である(所収「昨日は今日の物語り」)。主人公である編集者は、仕事柄多くの作家達に「原稿依頼状(返信用はがき付き・世間並みの稿料明記)」を発送していた。この中で主人公は、諾否いずれかの「返事を呉れる人と呉れぬ人との区別には、皮相な見方(世間通念的な予想)を裏切る生々しい何者かが、たしかに存在した」と確信する。そしてこの雑誌の発行が、「首都においてではなく、西海の一地方都市において行なわれた、という事実は、この際とりわけ意味深長な与件であり得たようである」と見る。
すなわちその結果は、「『老大家』村正黒鳥からは、その都度、(略)無愛想な、だが明快な返事が来た。(略)『文学の神様』大津順吉の返事態度も、澄明にして立派であった。俗称『デカダン派』とか『無頼派』とかの津島修、逆口鮟鱇、小田策之助などが、諾否どちらの場合にも、実に気持のよい親切さをもって、市民倫理を実践した」というように、「各様の意味において、さしあたり、・返事を呉れそうにない・呉れなくても不思議ではない・部類の人たち」は、市民倫理を守ることが多かったのである。ところが、これの反して、「いわゆる『進歩的・民主的』な人たち、また『人生派』とか『庶民的』とか呼ばれてきた文筆家たち(たとえば(略)森不味子だの(略)鍋井萎だの)などは、まずは・返事を必ず呉れそうな・呉れなかったら不思議である・部類の人たち」の多くは、この市民倫理(前掲の「個々の私的人間の関係を支配するべき道義および公正の単純な諸法則」)を守ろうとはしなかったのである。
前者にあげられている人たちが、それぞれ正宗白鳥、志賀直哉、また太宰治、坂口安吾、織田作之助であり、後者にあげられているのが、林芙美子、壺井栄であるらしいことは、容易に推察される。「『進歩的・民主的』を標榜する小説家、批評家、学者の類は、何よりもまず生活現実のかかる卑近な目前の倫理において、『進歩的・民主的』でなければなるまいに」という著者の指摘は、1940年代末の時代から約50年経た今日においても、なお有効である。この視点の確認が有効とされる左翼「知識人」の姿勢(それは、現代においては、セクシャル・ハラスメントや喫煙についての意識・無意識とつながるものである)こそが、これからもなお問題とされねばならないであろう。
そして本書における、さらに重要な問題は、「『戦後声高に』の問題」であろう(所収「現代百鬼夜行の図」)。
これは、戦後民主主義を語る上で見落とすことのできぬ視点を提出する。すなわち、戦後において、そして現在でも、「声高に」ということの意味は、「声高らかに」「尊ぶべき何か」といった肯定的内容ではなく、「居丈高に」「嵩(かさ)にかかって」「先入主によって歪められた解釈」などの否定的内容を意味するとされるのである。 この視点から著者は、「『敗戦直後』には、反戦的または反軍国主義的(略)または反天皇主義的または民主主義的または左翼的な言論が、『いまだから言う(ことができる)』的に堰を切りました。その中には、語の否定的意義において『声高に』と呼称せられるべき言論もいろいろ含まれていたにちがいありません」とする。そして続けて、「その裏返しのように、近年・現今には(1980年代~1990年代──引用者)(略)『大東亜戦争』肯定的または国家主義的(略)または天皇護持的または右翼的または反民主主義的言論が、『いまだから言う(ことができる)』的に振り回されました。のみならず、そのおおよそすべてが、語の否定的な意義において『声高に』行なわれたのです」と指摘する。
しかしこれらの『声高に』の内容は、前者と後者では、決定的に質が異なるのであって、前者・「敗戦直後」の言論は、「たしかに『いまだからこそ言う(ことができる』的な内容であって、もしもそれを人が戦前戦中・十五年戦争中に表明したならば、その人の前途には必ずや牢獄か死かその類かが、待ち構えていたはず」のものである。しかし後者・「近年・現今」の言論は、決してそのようなものではなく、「それを人は、(略)なんら牢獄か死かその類かの危険なく、それどころか往々にして『虎』の隠然たる庇護を蒙りつつ、公表して」きたのである。そしてこちらは、「『いまだから言う(ことができる』的な風情を『いじらしげ』に装って、特に初手はおのおのおしなべて内容上お涙頂戴式に、そして今度は『虎の威を借りて』ならぬ『反米』の香辛料付きで、打って出」たとされ、最近の「自由主義史観」はその「好個の事例」であり、「なかんずく年少世代・後続世代にたいして、・歴史の偽造・」にほかならぬと厳しく批判する。
さらにここから著者は、加藤典洋の『敗戦後論』(1997年)を、「〈近年・現今の『いまだから』的な言論〉および『その類の知ったかぶりの受け売り』のアップ・ツー・デート版」として解明・批判する。加藤にある「いまだから」的な言論は、本書に詳細に論述されているが、これに対する加藤の反論への再批判も、「付録エッセイ」に、「あるレトリック」と題して収録されている。
以上のように本書は、短編小説集というかたちをとった時代批判の書であり、著者の姿勢の明確な宣言である。それは、社会変革・革命の大義等々という言葉に比較して、ともすれば軽視される傾向に置かれる市民倫理の、根底的で不可欠の重要性をしっかりと認識していくことをわれわれに迫ってくる書である。『大西巨人文選(全4冊)』(みすず書房、1996年)とともに読まれるよう推す次第である。(R)
【出典】 アサート No.278 2001年1月20日