【投稿】「国民の歴史」を読んで
この本が私の家に送られてきて間もないとき、私は通勤で電車を待っていた。電車が入ってきてドアが開き、乗客が降りてきた。その流れを待っていたのであるが、降車客の最後の方にいた茶髪を逆立てている学生らしい若者が、手荷物を落としてホームにばら撒いてしまった。なんと、そのひとつに「国民の歴史」が混じっていたのである。私も同じ物を持っていただけに「ほう、まだ発売されたばかりなのに、もう持っている人がいるんだなあ。」と何か感慨深いものと共に、「こんな厚い本を電車に持ち込むほど、この本が若者の心をとらえているのだろうか。」と少し不安を覚えたのであった。
私はこの本「国民の歴史」を「新しい歴史教科書をつくる会」から突然郵送され、手に入れることになった。何人かの知人にも送られていて、聞くところによると「つくる会」が大量に買い込み、郵送しているそうだ。知人の中には返送した人もいるが、私は読ませていただくことにした。
さて、この本の構成であるが、作者が関心のある歴史的テーマを年代を追って書いている。送ってきてくれた団体が「新しい歴史教科書をつくる会」だったので、教科書風に書かれているものと思っていたのだが、ちょっとあてがはずれた。ここで書かれているテーマ一つひとつに批評を加えることは、私の知識ではできないので、全体を通して感じたことを書いていくことにする。
この本を読んでみて私なりにまとめた著者の主張は、次のとおりである。
①日本が旧石器時代から高度な生活が営まれてきた歴史ある土地であり、メソポタミアやエジプト、中国と並ぶ文明圏であったこと
②その歴史が神話という形で語られていること
③神話で語られている神が現代の天皇家につながっていること
④日本の歴史は、中国や朝鮮の影響を直接受けることは少なく、むしろ独自の発達をしてきたこと
⑤日本の歴史を考えるとき、中国・朝鮮との関係だけで考えるのではなく、モンゴルも入れた東アジアの動きの中で捕らえる必要があること
⑥世界史を考えるときも西洋の動きを中心に考えるのではなく、モンゴルの歴史を重視すること
⑦日本が経験した対外戦争は、すべて不可避であったこと
⑧戦争での残虐な行為は戦争には付き物で仕方がないこと
以上が私なりのまとめであるが、とにかく、私が面白いと感じたところは⑤と⑥に関わる章と、終戦前後、著者が少年時代を過ごした回想のところだけである。それ以外については、まったく興味が持てなかった。この原稿を書くという作業がなかったら、絶対に途中で投げ出していただろう。表紙の帯にある「歴史はこんなに面白くてわかりやすいのか。」は明らかに誇大広告である。
読み終えて気づくのであるが、この本は「日本は、天皇に代表された悠久の歴史を持つ世界に誇るすばらしい国だ。そこに住む日本人も独自の文化を創造してきたすばらしい国民だ。しかし、現在の欧米追随の風潮は嘆かわしい。自分の国を再認識せよ。」と主張し、その結論に都合のいい資料や書物を並べた本である。
例えば、①の点で、宮城県の上高森遺跡が78万年前のものであることや青森県の蟹田町の遺跡から16500年前の土器が発見されたことなどを取り上げて論証しているが、私であれば「日本の土地でも古くから生活が営まれていたのか」という理解で終わるのであるが、著者にかかるとそこからロマンが始まる。「78万年前に人が住んでいたのだから、その人たちがずっと住んでいたのかもしれない。となると、メソポタミヤやエジプトなど四大文明と並ぶ文明が栄えていたかもしれない。」という考えに結びつき、ここから、「日本は世界でも古くから栄えていた国の一つなのだ」という結論となっていく。まあ、ここまではまだ納得ができる。確かに、この本が出版されてからも更に多くの遺跡が発掘され、高度な生活をしていたという証拠が多く見つかってはいる。
しかし、著者はここでこれをさらに天皇の正統性と結びつけようとする。その論法は、「これだけの文化があったにもかかわらず、これを伝える文字が日本にはなかった。だから、口承でいろいろなことが伝えられてきた。それが神話である可能性は否定できない。」と述べ、神話は事実の伝承であるという結論を導く。そして、その一方で、「弥生人は縄文人と同じ民族であったが、異なった生活様式を採用し始めた集団である可能性は否定できない。」とし、弥生人=渡来人説を否定しようとしている。さらに、中国の皇帝と日本の天皇の体制の違いや自称の仕方の違いを例にあげながら、結論としては、大陸から天皇が渡ってきたことを否定しようとしている。日本の歴史という題がつきながら、この本の前半部分の多くが古代中国の解説になっているのも、そうしたことを論証しようとしているためである。
このように、著者は日本という国と天皇に、びっくりするほどの絶対的な愛着と誇りを持っている人物である。しかも、その誇りは優越意識という危険な意識も間違いなく含んでいる。それは、全編いたるところに見られる中国や朝鮮を過小評価する記述、後半に見られるヨーロッパやアメリカに対する敵対心に表れている。
次に、戦争に関する考え方であるが、秀吉の朝鮮出兵については、中国全体を支配しようとした勇気ある行動と位置付け、朝鮮での略奪も戦乱の時代でモンゴルも中国も行っていた。戦争とはそういうものだと結論付けている。太平洋戦争も「先に敵意を持ったのはアメリカだ。」「アジアに対する差別に抵抗する戦争であった。」と一面だけを強調している。その一方で、日中戦争については、「不幸な戦争で、日本と中国・朝鮮が手を取り合って欧米と対決するのが自然であり・・・」と3行述べるに留まっている。しかもその内容は、戦争を回避する方向性を持つ評価ではない。これは、著者の根本姿勢にかかわっており、「私は、人間の本性に宿っている戦争への衝動を否定するものではない。人間が生物であるかぎり、自分のエゴを守ろうとするのは本性であり、言論が尽き果てたときに、暴力によって決着をつけるという古代からの人間性に根ざした紛争処理の知恵は、自然法によって守られている」(P.446)と述べられている。つまり、著者は戦争肯定論者なのである。未だこのような考えに立っている人がいることは驚きであるが、これが著者が懐かしんでいる戦前の教育の結果であることを考えると、教育の影響の大きさを改めて実感させられてしまった。
以上、つれづれなるままに、私の感想を書いてきたが、ところで、駅で見た若者は最後までこの本を読んだのだろうか。私は、古本屋に持っていくことにする。今なら、高く売れるだろう。(大江 和)
【出典】 アサート No.266 2000年1月20日