【コラム】ひとりごと–大阪府知事選挙に思うこと–
◆久しぶりの(民)の<ひとりごと>で御無沙汰。さて今、大阪は知事選挙で、ちょっとホット。以前に「大阪や東京の話題には感心ない」という投稿意見もあったけれど、しばらくの我慢・退屈しのぎで読んでいただきたい◆そもそも突然の知事選挙は、御存知のとおり横山前知事のセクハラ事件での辞任によるものだが、去年の知事選挙時では思いも寄らない展開である。去年の選挙の時は、あいも変わらない横山前知事の圧倒的人気と財政危機の中で、「それなりによくやっているじゃないか」というのが一般的な見方。その中で、自民も連合も対立候補出せずの「不戦敗」だった。いや、と言うよりも連合も自民も一期目と違って、二期目は横山知事との関係改善の兆しさせ見えてきていたのだ◆セクハラ事件が、明るみに出てきても、自民も連合も二の足を踏みながらも、「なんとか乗り切るのではないか」というのが、その見方の良し悪しはともあれ、大方ではなかったのではないか。それが民事裁判が始まれば、辞任を求める声は日増しに大きくなるし、不評の「不戦敗戦術」が、それに一層、拍車をかける。そもそもセクハラ問題に対する認識が、横山前知事本人もさることながら、周辺勢力にも欠けていたのではないかと思う。今やセクハラに対する社会的な問題意識は、「まだまだ甘い」と言われながらも、それなりにシビアになってきており、「リストラー首切りー不当労働行為もなんぼのもの」と横行する企業でも、セクハラに対する予防措置だけは対処しているところは、結構多い◆その一方で、横山知事の辞任に追い込んだのは、セクハラ問題が大きな要因だとしても、直接の作用は「府民の声」ではなく、検察の知事公館までに及ぶ捜索だったとの声もある。実際問題、横山知事の辞任を求める声もある一方で、同情的な見方も少なからずあって、大阪人の「まあ、ええやんか」といういい加減さがあったことも否めない。また検察の捜索の真の目的は、セクハラ事件ではなく、府の中枢幹部も関わる汚職事件だったという憶測もある。いずれにしても、横山知事の辞任が、「府民の怒り」の結果とは、純粋には言えないのもまた事実である◆そして何よりも今回選挙で大事なことは、横山前知事の4年10ヶ月ほどの府政をどう、総括するのか、更にそれを踏まえ、極めて厳しい財政危機の中で、どのような政策が求められるのかということであろう。残念な事に、その事への論議は、あまりされているとは思えない。自民党は自民党で、中央・公明党への反発で地元候補擁立ー分裂選挙とはなったものの、何か具体的な政策対置している訳ではない。また連合・民主党等の候補も、準備不足もあってか、抽象的な公約は出しているものの、具体的な政策ビジョンまで打ち出すまでには至っていない。その意味では、共産党の擁立する候補の方が、評価は別にして政策的には解りやすい◆マスコミでは、相乗り批判も多いが、筆者は国政選挙とは違って、大統領制を基本とする首長選挙においては、できるだけ多くの府民の支持を得るという意味で、決して悪いとは思わない。しかし、その政策提起・論議においては、もう少し、具体的であってもいいのではないか。例えば、財政危機を乗り切るために、歳出抑制を図るにしても、何を重点的に抑制するのか、公共事業を見直すにしても、今までの何が問題で、具体的に見直す名目は何なのか、地方分権推進とは言うものの、府が、特にどの分野で国に対して求め、かつ主体性を発揮した施策展開を図るのか、今後、市町村との関係をどのようにしていくのか、「福祉・教育も一定、見直さざるを得ない」と言うなら、そのメリハリとは、いかようなものなのか、そうした一つ一つの是非が、総じて政策ビジョンの立場性の違いを明確にして、府民の多数決による審判を仰ぐというのが、本来の姿であろう◆しかし、そうした政策論議に成り得るためには、府民の政治的認識・見識も一方では求められるが、残念ながら大阪人は、その意識が低いとも思わざるを得ない。巷では、この場に及んでなお、「西川のきよっさんが出ればーー」というような吉本指向であったり、「ややこしいことは、面倒くさい」「誰がなっても同じや」と政治的無関心を正当化する。多少、ひんしゅくをかうかもしれないが、実は大阪は「庶民の町」ではなく、銭儲けにしか関心を示さない「商人の町」が主流なのかもしれない。昔はともかく、今は「大阪は文化・政治の不毛の地」と憂うのは私だけなのだろうかーー。(民)
【出典】 アサート No.266 2000年1月20日