【対談】吉村さんを訪ねて (2000年新春編)
1月8日に生駒・佐野で吉村励さんを自宅に訪ねました。吉村さんはとてもお元気で、『労働運動研究』12月号に掲載された「木下悦二君への手紙–社会主義に関する断想」についての話になりました。(以下の文章の責任は、すべて編集委員会にあります。)
<社会主義をどう捉え直すか>
佐野)『労働運動研究12月号』の先生の文章は、どんな経緯なんですか。
吉村)木下君に返事を書いてね、ふと思って、見てもらったら、これは面白いから、どこかに出したら、ということになったわけだ。そこで柴山君に電話したら、「先生、送ってください」ということになって、手紙のままなので、升目にも入れ直して送ったら、彼がワープロを打ってくれたわけだ。200字詰で25枚くらいになった。
生駒)あれを実際に木下さんに送られたわけですね。
吉村)そうです、後の方は少し変わったわけですが。それで『労働運動研究』は柴山君が5冊送ってくれたので、木下君に2冊送ったわけ。その間に木下君のところへ、2,3人の人から問い合わせがあったらしく、彼から「吉村、おまえは何を書いたんだ」と電話も架かりましたよ。
佐野)私も労研の読者なので、先生からコピーを送っていただく前に読んでいましたよ。
吉村)本当は、アサートに、とも思ったんだが、あれでは載りきらないと思ったわけ。3回か4回にわけないとね。
佐野)うちは、ページはいくらでも増やすんですけれど。
吉村)いろいろ反応がありましてね。一つは、社会主義を共同体として捉えなおす、というのが、具体的構想としてどうなのか、という点。私も木下君もはっきりしていないのですが、つまり、所有は国家にして経営はむしろ民間に任すというような形ね。それから、共同体、共同組合、クロポトキンなんかも一時言ったね、そんなものと組み合すようなことも考えてもいいというような、社会主義を共同体として捉え直す、というようなことはまだ、はっきりしていない。まあ、社会主義像がはっきりしていないという点ね。その点が問題としてある。
それから古い共同体がたくさん残っておった国、つまり資本主義を飛び越えて社会主義になった国、そんな中に東欧やソビエトも入れているけれど、東欧なんかもっと進歩していたのではないか、という意見もありました。
それから、もう一つは、共同体をたくさん残していた古い社会の場合の社会主義への移行の形態として、アン・ジッヒの社会主義からフィア・ジッヒの社会主義、市民社会へ国家が指導して、市民社会化を促進して、そして日本はすでに市民社会だから、直接社会主義をめざすべきではないか、と書いたことに対して、「日本は本当に市民社会なのか」という意見もありましたね。
≪書けば、やっぱり反応がありました>
自治研センターでやっている吉田君が分厚い書評をくれました。特に第3番目に書いた「分派の存在を許す党」という事について、他の点はいろいろ意見があるけれど、その点、「対抗者のない、緊張関係のない中では腐敗する」というくだりは、皆に廻したいと言ってくれました。やっぱり書いたら、反応がでますね。
今は、執筆も講演もすべてお断りをしているんですが、木下君の件で、書けば反応がくるんだね。
他の人と違って、僕は、暴力革命も10月革命も肯定しているんであってね、むしろある時点まで独裁を肯定している点では、純然たる民主主義者というんですかね、平和革命論者とは違うんでね、共同体が残っている時期までは独裁は必要だという考え方なんです。(笑い)このあたりも議論のあるところなんですがね。
それから、中国をよく知っている連中は、そんな社会構造としての市民社会化なんて言うが共産党の幹部連中の腐敗と略奪ぶりは目に余るものがあって、そんなにうまくいくとは考えられないとね。
いろんな反応があって面白かったですよ。
佐野)今、議論する場も少なくなってきましたからね。
<未だ分派を許さない共産党>
吉村)それこそアサートとあれ(労研)ぐらいでしょう。それから、大阪商大事件で同じ日に逮捕されたHも、立場は共産党で喧嘩はするんだが、同じ仲間という関係なんで、コピーを送ったんです。すると、「納得できるが、ただ分派の存在を許すという点は絶対にあかん」と言うんですね。
佐野)共産党は、あれだけ軟化してきているのに、最後の一線なんですかね。
吉村)今、世の中はある種の閉塞状態になってますね。これを越えていくのは、今までは社会党だったかもしれないが、社会党があんな状態なんだから、例えば朝日の世論調査で共産党支持が9%、社民党の支持が7%。そういう時期には、共産党が主導権を握って、統一戦線の提起をすべきなんです、民主党も含んでの人民戦線などね。しかし、そのためには共産党がね、分派の存在を認めないという立場を取り続けていると、もし共産党が政権を取ったら、自分以外の政党は全部排除するということになる。分派の存在を許さないということは、自分達の中でさえ、意見の違いで放逐するということで民主主義でも何でもない。並存できないわけです。共産党が革命的だから排除しているんじゃなくて、むしろそれがあるからなんですね。共産党が主導権を取って人民戦線を作って現在の閉塞状態を打開していこうとするなら、共産党自身が変わる必要がある、ということを実は匂わせたわけなんです。実際には少し削って別の形にしたんですが。
<我々の側にも、分派排除の考え方>
そして考えてみると、我々自身の中にね、分派の存在を許さないという考え方がね、かつて国際派が細かに分裂していった歴史もそうだし、例えば、僕のところには『統一の旗』も送ってくるし、『思想運動』も来るんだが、本来は一つになるべきものですよね。『労働運動研究』に集まっている連中も。それはね、共産党だけに注文を付けるだけではなしにね、自分達自身もそんなものを持っていたんではないかと思うわけですね。
生駒)要するに、統一戦線、人民戦線という時も、多様性の存在を認めると言うよりも、思想闘争・政治闘争の場に転化する、利用するために言ってきた面がありますね。
吉村)それは、コミンテルンの第5回大会でイタリアの代表がね「俺はおまえ達を大衆の場で分離するために、おまえ達と手を握るんだ」とやるわけだね。
生駒)人民戦線や統一戦線と言うんだったら、党内にもその反映があるべきなんですね。それが、グループであり分派であり諸集団があってもいいと。
<自民党の「民主主義」>
吉村)党の運営と組織という意味では、自民党は手本になると思うな。まあ、あれは利権で繋がっていますけれどね。
生駒)そうとう、自由でね。
吉村)それを公認しているでしょ。あそこまで行かないと民主主義はいかんのではないかとね(笑い)利権が前提にあるのだけれどね。そして立場が悪くなると、一番人民に近い少数派の三木や海部なんかを首相にしたりね。
生駒)少数派であるにも関わらず党首になれる、というのは共産党では考えられませんね。
吉村)君らは経験がないだろうが、僕らは研究会まで止めろと言われましたからね。
生駒)共産党は、グループで集まること自体を禁止していましたからね。細胞の中だけの議論ね。
吉村)意見の違いは認めるけれど、後は民主集中制でね。そして「個人は誤っても党は誤らない」というようなね。
佐野)横田三郎さんからの年賀状にもね、現状は閉塞しているから民学同三派もいつまでもバラバラではいかん、というようなことを書かれていましたね。我々は現役世代は、派手に喧嘩もした中だから、むつかしいんだけれど、吉村さんや横田さんの立場では、同じように写るんですね。
佐野)先生の家に来る途中、生駒さんと話をしてたんですが、小野さんが亡くなって今年で10年なんですね。何かしたいなという話ですよ。
(中略)
<ゴルバチョフの評価について>
佐野)僕達の場合も、70年代からゴルバチョフが出てくるまでは、やはり前衛党建設というような意識の中にいたんですよね。
吉村)ゴルバチョフと言えば、あの文章の中のゴルバチョフの評価はきつい、というのが関西には多いな。
生駒)私もあれは少し意外でしたね。松本弁護士さんと年末にお会いした時に、あれは大賛成やと言われるわけです。中国の評価とゴルバチョフの評価についてね。
吉村)案外、僕と同じような考え方は意外と多いんですよ。特に東京方面にね。「よう言うてくれた」とね。別に究極的な発言というわけではなくてね、討議の素材として書いたわけなんですがね。それで一度議論しようか、と言うことになれば、僕の役割は果たせたと思っているわけですね。
佐野君、あれを読んでくれたらわかると思うけれど、僕は久々に情熱を持って書きましたね。実は三日ほどで書いたんです。いままで思っていたのが溢れ出た、という感じですね。これまで、社会主義について、あまり発言してこなかったでしょ。発言できなかったということですね。もやもやしててね。
佐野)91年頃に、一度講演の記録で掲載させていただきました。あれ以来ですね。
<労働者連帯の物質的基礎とは>
佐野)公務員の世界でも、年功賃金ということでは変化が起きようとしていますね。終身雇用という面は中々変わらないとしても。
吉村)逆にアメリカでね、年功賃金を採用したところもありましたね。ほとんどパ-トタイマーか派遣労働者にしてしまって、できるだけ年功賃金は狭い範囲にしてしまおうという方向ですね。僕は元来から年功賃金は崩壊したほうがいいという立場です。ただ、しかし、今でも残念なんですが、仲間と一緒に賃金や一時金を決めるんだと、その基礎的なものを決めてね、独自の+アルファは企業毎にきめるんだと、いっしょに闘うということが大事なんですね。そんな基盤がなくてね、労働者の連帯ということを観念的に唱えてもだめ。そういうものがなかったのが、バブル以降の労働運動後退の奥にあるんじゃないかな、と思うわけです。横の連絡・仲間意識が育まれずに、日本ではむしろ、仲間を蹴落としても自分だけは、というミーイズムって言うんでしょうかね。それを前から言ってきたんだが、誰も、せいぜいそれは理想であって、みたいに過ぎてきているのが、今でも残念ですね。労働者の連帯というのは、やはり物質的基盤がないと成立しないんですね。
こういうように、職務内容が頻々と変わっていくわけで、共通の評価委員会があってね、それで経営者と対抗すると。職務の内容が決まれば、次は職務の分量を決められる。それが決まっていないと、いわいるユーティリティプレイヤーとして「おまえ、あれもこれもやれ!」ということになる。
公務員もね、向こうから言われてくると、まずいから、組合の内部から職務内容とはどんなものか、どこがどう変わり、今後どう変わっていくのかを検討しておかないと、結局、いろいろなリストラ攻撃に対抗できないと思うな。向うから言われてからでは、資本に乗った、とか言われるわけでね。そういうことをやっておくべきですね。
佐野)ほとんど同じ問題意識をもっています。公務員の場合も、昇任とか昇格とかありますが、現在は年功賃金システムが基本の賃金体系ですよ。一方、民間の動向を反映して、、成績主義的システムを入れたいと考えているようです。ところが、当局の方には、職務の分類や必要な職務遂行の力量はこれだあ、みたいな基準が未だに確立していないという現状にあるわけです。しかし、当局側は成績主義を入れたいとなると、組合の側から、そうした職務分析・職務量・人事政策について、提案を準備しないといけない、というのが流れになっていると思います。そうしないと、役所がまわらない、というのが現状ではないでしょうか。
吉村)社会主義が崩壊したのはね、それと関連してね、労働者自身の内部的な規律、これをなあなあにすると全て崩壊しますよ。我々も仲間の中でね、警察の例じゃないが、仲間に甘いと言う面があるんじゃないかな。
佐野)確かに、これまでは賃上げの方が組合員に言い易かったですね。でも、これからは違う形の運動を考える必要がありますね。
吉村)やはり、状況によって、時期によって、きつい仕事も楽な仕事もあるしね。
佐野)若い人は、そういうことを求めているような気がします。
吉村)職務を我々から検討するようなことね、組合の議論のテーマにしていくということは良い事ですね。
佐野)準備しておかないと、妙な方向に行きかねませんよ。
吉村)それは僕も前から言ってきたことで、同感だな。
佐野)昨年の賃金闘争では、地方財政の危機ということもあって、昇給延伸提案が半数に近い市でありましたし、この傾向は当分続くと思われます。しかし、延伸というのは、賃金を現状維持するということであって、賃金ダウンということではないんですね。民間全体の動向次第では、ダウンということを想定した議論が必要かな、と思うんです。そうしないと、労働組合自身が耐えられないんですね。労働組合の存在意義そのものの問題になると思います。
吉村)ヨーロッパで経験されているワークシェアリングも真剣に検討する必要がありますね。 (THE END)
(実際には3時間余り。昨年のドイツ旅行のお話など、奥さんも交えて楽しいひと時でした。すでに公職からも退かれ、結構自由な日々とのことで、どんどん訪ねてきてほしい、とのことです。 文責:編集委員会 佐野)
【出典】 アサート No.267 2000年2月19日