【投稿】地方分権一括法施行を前に

【投稿】地方分権一括法施行を前に 

<いよいよ施行>
 「地方分権の推進を図るための関連法律の整備等に関する法律」、いわゆる地方分権一括法がいよいよ2000年4月1日施行される。1995年の地方分権推進委員会の設置により地方分権が現実味を帯びだし、4次にわたる勧告、それを受けた1998年5月の地方分権推進計画の閣議決定、1999年7月の地方分権一括法の成立、そして今回の法施行と、一定の到達点を迎え、国・地方の新たな関係の一つの区切りの時期となる。
 今回の地方分権は、制度疲労した中央集権体制の見直しの中から、国の役割の特化-小さな中央政府-省庁再編という中央の行革と表裏一体のものとして語られ、議論されてきたものであることは事実である。その意味では、実質的な税財源の移譲を伴わず、また中途半端な権限移譲となっていることなど、地方分権の理念からは大きくかけ離れたものとなってしまってはいるが、とにもかくにも、国の関与や強権的指揮権が制約され、地方自治体の自主決定権が増し、不十分ながらも制度的な枠組みが整えられたことは評価されてよいだろう。
 地方分権一括法の分析やこのたびの地方分権の詳しい評価については、これまで様々な文献、論評、論文で多く語られていることのなので、本稿では、地方自治体の現場から、法施行直前のドタバタのレポートも交えて、地方分権について考えてみたい。

<準則もなし>
 この地方分権一括法、メインの地方自治法改正をはじめ全省庁にわたる475本の法律を一気に改正し、機関委任事務の廃止、国の関与の見直し、権限委譲などの措置が採られたものである。法案だけでもA4判20センチもの厚みになり、国会で審議の形骸化が批判されたのもうなずけるほど、多種多様な中身がつめこまれている。
 地方自治体にとっては、この一括法に対応して、条例・規則の整備を図らなければならない。従来なら国の法改正に合わせて条例改正のひな型となる「準則」が示されるのだが、今回は「地方に自ら立案できる能力があるというから分権したのだ」という理屈から、準則は一切示されないということになった。確かに、これまでのように「準則どおりやっていればいい」というのでは、国の言うとおり右ならえになってしまうのであるが、ただでさえ膨大な数の法案があり、どの法律の何がどう変わったのかを把握し、内容を分析するだけでも相当な労力を要するのだから、せめて準則くらいは示してくれてもいいのではないか、というのが現場の本音であろう。これまでは国の言うとおりになるよう、指示・通達しておきながら、この期に及んでいきなり分権を言い出して放ったらかしというのもあまりにご都合主義ではある。

<中央の作業の遅れ>
 さらに、地方自治体にとって重要なのが、法律の細部にわたる施行内容を定めている政令・省令なのだが、法案が7月に成立しているにも関わらず、12月になってもほとんど出揃っていないという異常な事態になっていた。法案自身が3月に国会上程されていることも考えれば、かなりの準備期間があったはずである。もっと言えば、政令・省令の内容を準備することなく、法案が作成されたことになる。地方自治体は、このことで大きな影響を蒙ることとなり、一括法関連の条例改正で周知期間が必要なものでも、12月議会で改正することができず、施行前ギリギリの3月議会で改正せざるを得ない状況になったのである。
 法令作成のプロ集団であるはずの中央官僚が、なぜこれほどまでに作業が遅れたのか。その理由は、自らの中央省庁再編関連の法制作業を最優先したからに他ならないのである。内閣法制局の法令審査作業もこの省庁再編が優先され、地方分権一括法関連は後回しにされた。地方の迷惑顧みず、とにかく自分たちのことが大事といったところか。中央再編に表裏一体という、今回の地方分権にいたる背景・経過を考えれば、ある意味では「当然」の結果なのかもしれない。
 国の作業が遅れれば、都道府県の作業も遅れ、市町村の段階に至っては、ほとんど時間との勝負になってしまっている。機関委任事務が廃止され、自治事務や条例制定権が大幅に増えたともののはいえ、どのような自主政策・自主立法ができるかなど、よほどの首長のリーダーシップがない限り、検討の余裕がないというのが実状である。

<東京都の外形標準課税構想>
 そんな折に飛び出したのが、東京都の外形標準課税構想である。銀行業界を狙い撃ちにしたこの構想は、都議会の賛成を得て導入が実現しそうな状況であるが、「まさに地方分権」「税としては不公平」など賛否両論、様々な評価がなされている。地方自治体にとっては、確かに「東京だからできる」ことであるにせよ、税財源の委譲が不充分な今回の地方分権の中で、課税自主権を最大限行使したことは大いに評価すべきであろう。「全国知事会で議論している最中で抜け駆けだ」というのは、これまで法的に可能であったことにも関わらず、検討・実行の作業が遅れていた「怠慢」と言わざるを得ず、また、地方自治体の自主性・自立性を謳った地方分権の理念とは相容れない「横並び」意識の現れである。ただ、地方分権にとって重要となる首長のリーダーシップが発揮されたものの、事の性格上やむを得なかったとは言え、一部の幹部でのみ立案・決定されたことは、一方で重要な住民参加による政策立案―住民自治という観点からは、今後に課題を残したと言える。

<本音は市町村合併?>
 結局、今回の地方分権の狙いは何だったのか。地方自治の本旨の具体化なのか、単なる中央の行革なのか。いずれにせよ、見え隠れしているのが、やはり市町村の合併である。 ここ数年来、「地方のムダ」キャンペーンを繰り広げながら、合併に関する各種施策を打ち出しつつも、一向に合併議論は進まず、業を煮やした政府は、今回の一括法でさらなる合併特例法の改正を行った。この改正に限っては即日施行され、1999年8月に早速自治省から合併指針が打ち出され、都道府県に対し、地図上に示すことも含めた合併パターンを明記した要綱を作成するよう「要請」するなど、政令・省令の遅れに比べ、格段の手際のよさで施策が展開されている。
 市町村合併論は、経済界を中心にその必要性が説かれ、とくに現在の与党の枠組みにおいては、自由党、公明党が具体的な市町村数も含めた構想を表明している。いわく、「ムダが多い」と。経済活動や国家施策の貫徹を考えるならば、地方自治体が広域化すればするほど都合がよい。経済界や中央政府が合併を声高に叫ぶのも必然なのである。
 確かに、市だけで700弱、町村も含めて3200余の数は、財政力としてはほとんど地方自治体の体をなしていない小規模自治体があることなども考えると、やや多い観はある。住民の日常生活圏が広域化し、現行の行政区域が実態に合っていないのも事実であろう。似たような施設を近隣で張り合うように建設し、財政を圧迫しているという批判も当たっている。
 しかし、実際にスケールメリットが発揮できるのは、行政の管理部門が中心であり、必ずしも住民サービスの向上につながるとは言えない。建設事業も、地方の自主性に名を借り、「ふるさとづくり」などと体のよい国の経済対策への「協力」抜きには語れない側面もある。結果、施設の維持管理や借金返済のため、自治体の財政はますます苦しくなり、財政基盤の強化を標榜する合併議論の口実にされてしまっているのである。これら経済対策も究極的には合併を目論んでいたのではないかと思わせるほどである。
 いずれにせよ、現段階では、交付税や地方債、議員の身分などの特例・優遇措置など合併の呼び水となる「アメ」施策ばかりであるが、そのうちに必ずや「ムチ」施策が打ち出されてくる。そのときには今のように「自主的な市町村合併」などと国も悠長に構えてくれないだろう。安易に合併論議に乗る必要はないが、住民ニーズに対応した適正な自治体の規模とは何なのか、地方の側から議論を積み重ねていく必要がある。

<これからがスタート>
 地方分権推進委員会の勧告、政府の地方分権推進計画、地方分権一括法と、段階を経るごとに自治事務が少なくなるなど、地方分権が後退していったわけであるが、中央の必然による地方分権だったことを考えると、ある意味ではやむを得ないのかもしれない。だからと言って、共産党のように「地方分権法ではなく地方統制法だ」といってしまっては、形だけとは言え整えられたせっかくの制度的枠組みをも否定してしまうことになる。明治、戦後に続く「第3の改革」というにはあまりにお粗末な内容の地方分権ではあるが、とりあえずの第一歩としてこの枠組みを利用し、一方で住民自治を徹底することにより、政策形成能力を高め、合併論議を吹き飛ばすほどの、自治体としての地力をつけていくことが大事になってくる。その意味では、政府内では終局を迎えた雰囲気すら漂うのであるが、地方自治体にとっては、地方分権はまさに始まったばかりなのである。(大阪 江川 明) 

 【出典】 アサート No.268 2000年3月25日

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