【投稿】失業率4.9%と日本的雇用システムをめぐる議論紹介
4月末に総務庁が発表した3月の労働力調査結果は、完全失業率が4.9%となり、1963年以来の過去最高となった2月と同数字となったという。完全失業者は349万人で、これも過去最高だという。新聞では、2月の完全失業率は、4.85%、3月は4.92%で、四捨五入により同率の発表だが、実態は3月の調査が過去最高、最悪というわけである。
特に、15歳から24歳では完全失業者が49万人(完全失業率では12.5%)、25歳から34歳が同じく53万人(率で5.8%)、と若い層に失業が多いのが特徴となった。
さらに、総務庁が4月末に労働力調査の特別調査結果として、完全失業者の内、リストラによる失業が35.8%であり、1年間以上失業状態が続いている人は、82万人とこれも過去最多となったことを発表している。
これらの調査結果が示しているのは、経済企画庁が如何に景気は底を打ったといい、穏やかな回復基調にある、といっても雇用の面では、一向に改善の様子が見えないことでああり、雇用をめぐっては日本のシステムに確実に変化が生まれてきているということであある。
<日本的雇用システムをめぐる議論>
これら調査の中で、特徴的なのは、全就業者数が前年比同月比で39万人減少していること、さらに給与所得者の内で正社員が前年同月比24万人減少し、パートアルバイトなどの臨時的雇用が同じく15万人増えていることであろう。
1998年3月に失業率が3.9%となり、4月には4.1%と4%の大台に乗せて以来、過去最高・最悪を更新しつづけているわけだ。
経過的に見れば、97年11月、北海道拓殖銀行の経営破たん、山一證券の自主廃業や一部上場企業の倒産が続き、1998年6月に、有効求人倍率が0.51と石油ショック後の最低水準に並んだ後98年7月には0.5と過去最高を記録している。その後、失業率は上がり続け、有効求人倍率は、横ばい乃至は低下を続けているわけだ。、
、1998年4月橋本政権による消費税アップや医療保険料のアップなど国民負担の増加が経済に冷や水効果を生み、景気は一転低迷期に入ったが、その後も若干の改善は見られるものの、失業率については、最悪を更新しつづけているのである。
こうした雇用をめぐる危機的な状況の中で、雇用をめぐる議論が盛んになってきた。
主な論調は、雇用の流動化であり、言い方を変えれば、年功賃金と終身雇用という日本型システムを変えないと国際競争に敗北する、という論調である。
こうした議論を背景に、企業の経営状態の悪化とも相まって、リストラの実施、年俸制や業績主義的賃金の導入をした企業の株が上がる、などの実態もあり、「雇用の流動化」や「賃金制度の改革」を進めようとする動きに一向に止まる気配がないようにも思える。
しかし、一方では、企業アンケートなどを見ると、企業経営者の中には、終身雇用や年功賃金的要素の必要を認める意見も多いのが実態のようである。
以下に、特徴的な議論を紹介する。
<改革しないと失業は止まらない?>
「大失業時代をもたらす最大の原因は改革への抵抗ということ。・・・・大失業時代を回避する処方箋ははっきりしている。既存のシステムを徹底的に見直し、新しい潮流変化に適合したシステムを構築する以外に道はない。そのモデルとするのは、アメリカのシステムです。」と言い切るのは、山田久氏の著作『大失業—雇用崩壊の衝撃』(日経新聞社)。
要約すれば、すでに現在の主要産業は、その膠着的なシステムのため活性化が困難になっており、雇用を吸収する力はない、さらに高失業率の原因の7割が、雇用のミスマッチによるものであり、転職希望は多いが、流動化するシステムが整備されていないため、失業が増えている。雇用を確保するためには、新規事業を創出して雇用を吸収する以外には道はない、そのためには、閉鎖的な終身雇用や年功賃金は足かせにしか過ぎず、大胆な雇用の流動化が必要であり、それを支援するシステム変更が求められるというもの。
ようするに、アメリカの成功例に学べ、という主張である。
<雇用危機より危険なのは流動化への甘い幻想>
「アメリカに学べ」的流動化議論に対峙する議論が、宮本光晴氏の『日本の雇用をどう守るか』(PHP新書)である。私は、こちらの議論の方が説得的であるように思う。
アメリカの専門職エリートに特徴的な「流動化システム」は、必ずしもアメリカのすべてではなく、むしろ内部労働市場(企業内でOJTによる技能習得される)では、流動化一辺倒ではなく、長期雇用も実態として存在している。それを日本の雇用システムの改革目標とする議論は、むしろ全体の崩壊を招く議論。長期雇用、企業内での技能習得、職能制度の基でのフレキシブルな技術応用型の生産システムこそ日本が得意としてきた製造部門であり、これを流動化議論で、外部労働市場での短期的雇用調達システムに激変させることは無理がある。現在、従来型の日本的システムが危機を向かえている原因は、日本特有の職能資格制度は高成長期にこそ適合してきたシステムであり、高コストによる高パフォーマンスを発揮してきたわけだが、競争激化の中で低コストが求められ、その中での変化として見つめる必要がある。株主配当よりも従業員重視という日本の企業システムも根底にある。技術資格など社会の制度としての職能の確立が求められる。言わば、日本的雇用システムの危機ではなく、新しい状況への対応として考えることが必要だ。
<世界的に成功している企業は長期雇用>
手元に本がないけれど、確か「能力主義とリストラ」という新書がある。安易なリストラや早期退職勧奨で、実際には優秀な社員が先に退社していく実態があるという。むしろ世界の優良企業には長期雇用、そして守備範囲を限定して技術力で生き抜いている企業が多いこと。さらに、業績主義・評価主義と言われるが、業績評価や人事管理する人事部こそ、縮小の対象で、分社化などより極端に言って従業員請負制で自己責任で企業を運営する方が、社員の技能・技術は高くなる、という主張をされている。要するに管理的な中間管理職・事務屋はいらない、という逆説的な議論である。なかなか面白かった印象がある。
時流に乗った議論と、腰を据えた議論、そして少し奇抜な議論ということになるが、私は2番目の宮本氏の論調を支持したいし、その上で自らの「職場」である公務における雇用システムを考えていきたい。そういう意味では、3番目の議論である管理部門、事務屋の生産性がいよいよ公務でも問われようとしている。それが、「公務における成績主義の導入」という流れであり、それに対抗する組合側の論理と腰を据えた方針が求められているからである。(この文章は、原稿不足を深夜に埋める、という宿命の文章で、少し乱暴な気がしています。この議論への皆さんの参加を期待して、閉めたいと思います。佐野 秀夫)
【出典】 アサート No.270 2000年5月20日