【投稿】社会主義と全体主義論

【投稿】社会主義と全体主義論

<はじめに>
 二〇世紀前半の最大の世界史的事件といえば、一九一七年のロシア革命であり、同じく後半について言えば、その幕を閉じた一九九一年のソ連邦の崩壊といえよう。現実の社会主義の誕生から、成長、停滞、そして崩壊に至る全過程を厳しく問い直し、二一世紀の社会主義の未来への展望を切り開くことは、容易なことではないし、冷静な見方をすれば全く不可能なことのように思える。無責任と言われればそれまでなのだが、しかし、逆にある意味では「現実の社会主義」の担ぎたくもない重荷から解放され、自由に現実の資本主義の拡大する矛盾と人類的課題について具体的な変革の展望を見い出していくことが可能になってきているとも言えるのではないだろうか。しかし私はここでその展望を語ろうというのではない。実はその前段階でまだうろちょろしており、その中でも見過ごすことのできない論調の一つについて問題提起をしておきたいのである。それは、社会主義とファシズムを全体主義という尺度で一括し、比較、検討、切って捨てる論調である。

<戦争責任論争>
 少なくともソ連崩壊前までは、ナチスの犯罪と社会主義・共産主義の犯罪を比較することに対しては、一定の躊躇というか、とまどい、むしろ道徳的・倫理的な反発が強固に存在していたように思われる。ファシズムとコミュニズムをその抑圧的体制の側面から、広範に同一化するようなこうした全体主義理論は、緊張緩和・デタントの政策が着実に定着し、進展してきた八〇年代には、もはや時代遅れの、すでに克服されてきたものとみなされ、あまり取り上げられることもなかったと言えよう。当然、両者を同列に並べ、比較することなど、たとえそれがまじめな意図から出ていたものであったにせよ、よって立つ階級的基盤の絶対的相違からして検討にも値しないものとみなされてきた。ましてや共産主義の犯罪のほうがより根源的であり、質的量的にもナチスの罪よりも重いなどと主張すれば、反共主義者のたわごと、知的・道徳的に低劣な連中の世迷いごとのたぐいとみなされてきたのではないだろうか。
 ところがソ連邦崩壊前後より、とりわけスターリン時代の犯罪行為が具体的に明らかにされ、実証されるようになってくると、事態はこれまでとは違った展開を見せ始め、この全体主義理論そのものが新たな装いをとり始め、極端な急進化が推し進められてきたといえる。その重要なきっかけとなったのが、西ドイツの歴史の中で「歴史家論争」と呼ばれることになった論争である。一九九〇年に歴史家エルンスト・ノルテが、ソ連の「収容所群島」はドイツ・ナチズムの「アウシュビッツ」よりも「根源的」であり、それゆえ、ホロコーストには一定の予防的目的意識があったことを否定できない、というテーゼを主張し、これをめぐる「ドイツ戦争責任論争」がこれまで長期にわたって強力に展開されていることに象徴的である。いわゆる歴史修正主義の登場である。これは明らかに日本における戦争責任論争と重なるものでもある。

<「過ぎ去ろうとしない過去」>
 これは日本では「自虐史観」という言葉で語られ、ドイツではナチズムの「過ぎ去ろうとしない過去」という言葉で語られるものに対して、歴史的な決着をつけ、過去にある種の「けり」をつけようとするもので、明らかに政治的意図を持った主張として展開されている。その主張の核心は、ドイツ・ナチズムの戦争責任を回避することにある。そのために、共産主義の犯罪との比較で相対化したり、地理的な位置からしてやむをえなかったという「中間位置」テーゼや、被侵略国の社会資本整備に貢献したなどといった「近代化」テーゼなどを総動員して、ナチズムの犯罪をできる限り小さいものに見せ、やむをえなかったもの、貢献した側面もあるなどといった主張が公然と語られ、社会的にも一定の支持を得るという事態をもたらしている。これまでとは違った様相の展開と言えよう。
 そうした論理展開の中で全体主義論が大きな位置を占めているわけである。ヒトラーとスターリンの政治体制には全体主義という共通点が見られるのみならず、因果的結合が見られ、ボリシェビキ体制が先に成立していたために、ヒトラーは自身をスターリンから守り、スターリンを出し抜くために、ある程度事前予防的な意図をもって、「アジア的」行為を行ったのだと主張される。ヒトラーはソ連を攻撃したのではなく、直前に迫ったスターリンの攻撃に対して機先を制した「だけ」である、というわけである。両者の規模と形態の違いについて言えば、ドイツの高い産業化のレベルが、アウシュビッツ、トレブリンカ、マイダネクの産業化された大量殺戮の技術を可能にしたが、ソ連の低い産業化のレベルは、頚部射殺、飢餓死、非人道的な生活・労働条件のもとでの死に至る労働、といった在来型の行政大量殺戮の方法にしか至らなかったと解説される。

<「かなりの変化」>
 同様の展開は日本においても見られるところである。歴史修正主義の中心的役割をになっている「自由主義史観」グループも、当初の出発時点では、「大東亜戦争肯定論」とは一線を画して登場してきたのであるが、今や「大東亜戦争」を全面肯定する立場に移行している。
 彼らに踊らされ、旗振りの第一人者となってきた漫画家の小林よしのりは、そのことをあけすけに述べている。「『戦争論』を描いているときに、個と公の関係を考える上で、大東亜戦争肯定論にもっていかざるを得なくなってしまい、これは総スカンか、相当非難されるか、あるいは完全に無視されるか、というふうに思っていました。ところが五十万部売れてしまって、自分としては不思議な感覚に襲われています。」(『正論』九九年三月号)
 この同じ『正論』三月号では、「中村氏の『南京事件一万人虐殺説』を批判する」という論文で、虐殺を一万人以下に少なく見積もろうとする中村氏に対して、あの東大教授・藤岡はそもそも「虐殺はなかった」と主張する始末である。そしてこうした主張が、かつての日本の中国侵略戦争も、中国共産党側の謀略であったという主張に重ねられていく。アウシュビッツと南京の大虐殺が共に「嘘」として歴史的責任から抹殺され、ヒトラーと東条英機が共に正当化される。
 問題はこうした主張に対して、小林よしのりらが、「この『戦争論』が五十万人、これは熟読した数ですからね、そうなるとかなりの変化が世の中に起こってきているんじゃないかと思うんです。ただマスコミが封殺してるから隠されてますけれどもね。多分、庶民感覚の段階では随分変わってきているでしょう。そこに対して本当に届くような言葉を向こう側から投げかけてこない限り、もう向こうの方に勝ち目がないという状態が来てるんだと思いますよ。」と(同九九年三月号)うそぶける状態が存在しているということであろう。

<『共産主義黒書』>
 こうした状況の中に、ナチス・ドイツとスターリン時代のソ連という二つの「全体主義体制」の本質的同一性を告発する『共産主義黒書』が加わってきた。これは九七年にフランスで出版され、九八年には東ドイツの全体主義体制の考察を加えたドイツ語版が出版され、日本語訳は本年中に刊行予定だという。
 この本の序章で執筆者の中心に位置するS・クルトワは、「自分たちが近頃ますます目立つようになった極右に身を委ねるものでないこと、共産主義の犯罪は民族ファシズム的観念の名などではなく、民主主義的価値の名で分析し、判断さるべきであること」を強調し、この書は「犯罪という次元の視点から共産主義を取り扱う最初の試み」であるとして、この体制により殺害された人々の数をソ連で二千万人、中国で六千五百万人等々、総計約一億人と推計し、ナチの「人種ジェノサイド」に対応するものとして、共産主義体制下の「階級ジェノサイド」を対比させる。これはいわばナチズムの「人種全体主義」と共産主義の「階級全体主義」を全体主義という共通の概念で同一化しようというものであろう。
 この本については、『ドイツ戦争責任論争』の著者W・ヴィッパーマンは「一九九八年に発行された『共産主義黒書』、ドイツでは驚くべきほどもっぱら肯定的な反響を呼んだ。しかしそれは学問的認識という点では問題にならない。というのは、それらは決して新しいものではないからである。方法的な観点からもこの論文集は何も提示していない。残虐な行為の描写を並べているだけである。おおまじめで「共産主義」の犯罪を裁くための「新たなニュルンベルグ裁判」を要求している」と批判している。

<「社会主義の根源的あり方」>
 この『共産主義黒書』の内容を紹介した中野徹三氏は、「私は、本書が提起している問題と内面的に深く対決することなしに私たちは、次の世紀の社会主義の根源的ありかたを明らかにしえないだろう、と考えている」と述べている(『労働運動研究』本年三月号)。この点については同感である。しかしファシズムと共産主義を全体主義という概念で分析し、同一化することからは、社会主義・共産主義がめざした社会変革への生命力を導き出すことはできないのではないかという疑問がつきまとう。
 私は、ロシア革命からソ連邦の崩壊に至る経過の中には、幾度も社会主義・共産主義の生命力を復活させ、発展させる機会や現実的基盤が存在していたのではないかと考えている。確かに、「現実の社会主義」諸国はそのことにことごとく失敗し、同一の誤りや腐敗、民主主義の欠如を共有しながら崩壊過程を進行させてきたと言えよう。
そのことについては真剣な分析や批判が不可欠である。しかし同時にこれまでの歴史的過程において、たとえば、レーニン時代の新経済政策(ネップ)への転換(市場経済を社会主義の根幹に位置付ける問題)、社民主要打撃論から反ファシズム統一戦線論への転換(民主主義的変革にとって複数政党制が不可避であるという問題)、ソ連共産党第二〇回大会(スターリン批判と個人崇拝・党の官僚的独裁を打破する問題、社会主義への多様な道)、中ソ論争(冷戦ではなく、平和共存政策でこそ試される社会主義の生命力と社会変革)、ユーロコミュニズム(反独占民主主義の普遍的先進的位置付けと構造改革)、そして近くはゴルバチョフのペレストロイカ(社会の全面的民主化と情報公開、全人類的課題)、これらはいずれも社会主義が本質的に民主主義的変革であることからくる生命力を発揮してきたものではないだろうか。こうしたものこそが二一世紀に、新たな形で再生されることに希望を抱いている。これらは決して全体主義論で切り捨てられてはならないものと言えよう。
(以上は、筆者が『大阪のこえ』誌第14号(7/1付け発行)に掲載したものの転載である。) 

 【出典】 アサート No.272 2000年7月22日

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