【書評】『医療倫理の夜明け──臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』

【書評】『医療倫理の夜明け──臓器移植・延命治療・死ぬ権利をめぐって』
       (ディヴィッド・ロスマン、酒井忠昭監訳、2000.3.10.発行、晶文社)

 医療技術の急速な進歩の下、医療に対する見方についても変化が生じている。本書は、伝統的に続いてきた医療の見方が、さまざまな医療事件を通じて、新しい医療倫理の確立へといたる過程を描いたフィクションである。そしてこの過程は、医療実験の被験者と研究者、臨床上の患者と医者の関係が、前者の保護に向けて劇的に変化していく過程であり、同時に「それまで医療専門家の自由に任されていた医療上の裁量権が次第に制限されるようになっていく過程でもあった。
 まず第2次世界大戦以前のいくつかの人体実験についての検討から、それらが倫理の許す境界を越えていることが指摘された後、本書では、しかしまだこの時代には「人体実験でなにが公正で、なにが不正かについての感覚が広く行き渡っていることを物語っていた」とされる。
 ところが戦時中には、「こうした研究は作戦の一部と考えられたため、戦場の原則は研究室にも適用された」。すなわち医療実験の被験者たちは、戦時努力に貢献する国民の一員と見なされ、このために実験に際して彼らの承諾を得るという社会的な価値は無視されるにいたった。そしてこの基準が、戦後も長く医療研究者の間に残ることになるのである。
 戦後1945年までは、それ故被験者の福利よりは研究者のニーズが優先されてきたことになる。しかも治験(実験室)と治療(診察室)、すなわち研究者─被験者の関係と、治療者である医師─患者の関係の境界があいまいであったことが、問題を混乱させてきたと言えよう。このような状況において医療専門家の裁量権が行使されてきたのである。
 ところが、はじめには実験室で、続いて診察室で「重大な変化は1966年から1976年のあいだに起った。変革の出発点は1966年、ハーヴァード大学医学部のヘンリー・ピーチャーによる人体実験にたいする告発だった。そしてその後、1973年、ウォルター・モンデールとエドワード・ケネディの2名の上院議員の指導の下での、医療倫理調査の国家委員会の設置を経て、1976年にニュージャージー州最高裁が、医師たちに対して、親の養成に従ってカレン・アン・クィンラン(22歳)の人工呼吸機の停止を命じたことで終るのである。
 この変化は、「最初、新たに多数のひと(法律家、社会学者、生命倫理学者等──引用者)が意思決定に参加するという形で現れ」、「つぎに、意思決定を特徴づける、新しい形式が考案された」、「第三に、いまや部外者が、あまり目立たないが、ほぼ主導権をもって医者と患者の関係の標準になる原則をつくった」というかたちで要約される。つまり「医療がなされる外的条件(免許制度によって州がこれまで統制してきた)だけでなく、その実質(病室での医師の決断)までもが変化を迫られたのだ」。この変化は、もちろん「医の倫理がすべて医療の世界に委ねられねばならないという強力な主張」の抵抗を呼び起こしたが、しかしそれ以上に、現実の医療をめぐる状況が進展したのである。
 例えば臓器移植では、「医師は患者の利益に反して治療することはない」という前提があてはまらない。というのも、健康な腎臓を片方とることで、患者の幸福を前進させることはできないからであり、しかも資源の分配の問題が、直接医師にかかってくるからである。「要するに医師は、移植によって、命はいつ終るかという難しい問題だけでなく、ある患者が恩恵にあずかるとき、もうひとりの患者の命をいつ終りにするかという、さらに耐えがたい問題まで背負いこむことになったのだ」。
 さらにジョン・ホプキンズ病院の新生児の事件(精神遅滞をもった新生児に対する治療停止事件)では、医師、両親、新生児の立場の対立があった。それ故「新生児をめぐる問題の解決には、非専門家がさらに医療の中へ踏みこむ必要があった」。すなわち新生児に関する意思決定の議論では、「集中治療室が、医師の独占的な区域でなくなった」のである。そしてこの事件が、医療の分野への哲学の参入に主導的な立場を保証することとなった。「このことは、(略)個人的な倫理の原則が、医療をめぐる知的な議論を支配することを意味する」と著者は述べる。
 この傾向は、カレン・アン・クィンラン事件でさらに明確にされる。カレン事件では、「その核心は、患者の『死ぬ権利』などではなく、もっと具体的で本質的な問題、すなわち『だれが医療を支配するのか』という問いかけだった」とされ、患者の利益を代表する存在が、医師から弁護士や裁判官の手に移った、ということが指摘される。
 そしてこの点に、哲学とりわけ生命倫理学が大きな成果を上げた理由があったのである。というのも生命倫理学者たちの関心は、上記の事件に関して、「米国医療の社会的側面よりも、患者と医師との一対一の関係に向けられた」のであり、「個々の患者の権利を守ることは、しばしば社会階級の境界線を越えて意味をもった」からである。つまり生命倫理学者が、患者の権利と関わって自己決定の原則を強調したことは、一方においては、権力(保護者・専門家等をも含む)に対して、無力に見えた個人の集団を守るための諸運動(女性、受刑者、同性愛者等の運動)と共通のものを有していたとともに、他方において、「持てる者の関心事にたいし、持たざる者の関心事にたいするのと少くとも同等のあるいはそれ以上の敏感さを備えていた」のである(誰でも患者になる可能性がある)。
 このように医療上の意思決定の変革は、現在もなお進行中であり、それが将来的にどのような形で落ち着くのかについては、議論されるべき事項は多い。しかも本書で述べられてきた以上に、今日、医療をめぐる状況はさらに急激に進展しており、本書の最後にある、「患者は医療を権力的で非人格的な現代そのものとして体験してゆくことになるだろう」との指摘は、医療のみならず現代そのものに対する鋭い批判として残されている。
 以上のアメリカの状況と比較して、わが国の医療をめぐる状況がどのように検討されるべきであるのか。本書の一読を薦める次第である。(R) 

 【出典】 アサート No.273 2000年8月26日

カテゴリー: 医療・福祉, 書評, 書評R パーマリンク