【投稿】市町村合併の是非

【投稿】市町村合併の是非

<いよいよ合併!?>
地方分権一括法が施行されて半年がたった。明治維新、戦後の民主化に次ぐ第3の改革という当事者たちの意気込みとは裏腹に、日常生活も含めて表面上は何ら変わらない状況に、マスコミにも近頃はほとんど話題にのぼらない。税財源の移譲など多くの課題を残してのスタートだったわけで、このような状況も大方予想されていたことではある。未だ地方分権の意味を理解せず、相変わらずのトップダウン型の主従行政を行っている中央政府にも原因があるだろう。
さて、地方分権そのものの議論が停滞する中で、急浮上しているのが市町村合併の話題である。本誌3月号でもレポートしたように、地方分権一括法において即日施行された合併特例法に基づき、地方交付税や地方債の特例や住民発議制度の拡充など、「自主的な市町村合併」を推進するための様々な「アメ」施策が打ち出されている。その一環として、自治省は昨年8月に「指針」を示し、各都道府県に合併パターンも含めた「合併推進要綱」の作成を要請したのであるが、2000年内を期限とされていることから、作業は急ピッチに進められている。私の住む大阪府においても、さる9月1日、合併要綱素案が発表され、大阪市、東大阪市を除く42市町村の合併パターンが示され、行政関係者をはじめ、大きな話題となっている。

<「雰囲気づくり」は進む>
この合併パターンというもの、自治省や大阪府の説明では、「あくまで合併を議論するための参考や目安となるタタキ台」であるとのことで、「合併案」や「勧告」といった類のものではない、と極めて慎重な言い回しとなっている。ただ、いくらそう言ってみたところで、具体的な市町村の名前まで含めて大々的に報道されれば、世間では実質的な「合併案」と捉えられても仕方のない状況であり、また、それが狙いだったとも言える。着実に合併に向けた世論喚起や環境は整えられ、合併に消極的だった首長からも「避けられない課題」であるとのコメントも飛び出してきている。職(あるいは利権)が奪われることにつながり、元々は合併に消極的だった議会からも、合併必要論が多数を占めつつあり、「総論賛成」の様相を呈しつつある。
いよいよ合併も本格化するかのような雰囲気ではあるが、各論に入ってくるといろんな問題・課題が浮かび上がり、遅々として進まないのが現実である。2005年3月の合併特例法の期限切れまでに何らかの成果が上げられるよう、国も必至であるが、そんな状況に業を煮やしてか、「代議制の根幹をゆるがす」とあれほど否定していた「住民投票制度」を、合併促進のために採り入れることを自治省が検討中との報道もなされている。

<分かりにくいメリット>
1950年代の「昭和の大合併」で現在の枠組みがほぼ出来上がってから数十年、住民や行政において定着している状況にある中で、合併のメリット、とくに住民におけるメリットが分かりにくいのも、盛り上がりに欠ける要因の一つであろう。これまでの議論が、「分権の受け皿」としての合併であり、行財政体制の効率化・強化の観点からなされ、住民としてのメリットが「住民票が近隣でもとれる」程度のものでしかなかったのである。その程度のメリットならば、別に合併せずとも、一部事務組合や広域連合など従来の制度による広域行政で十分にニーズに対応できる。そもそも、住民の生活行動や意識は、モータリゼーションの成熟はもとより、情報通信手段の飛躍的発達により、行政区域の枠をとっくに跳び越しているのである。

<合併議論の前に>
地方分権が聞いてあきれる、国あるいは国の出先機関と化した都道府県の「合併圧力」であるが、住民が真に求めているのは何なのか、そのことを真っ先に分析し、対応すべきである。都市部と農村部に違いはあるだろうが、住民が求めているのは、少なくとも「市町村合併」ではなく、少子高齢社会への不安の解消であり、国と同様に公共事業とバラマキの大盤振る舞いで借金漬けになっている地方財政の将来への不安の解消のはずである。それらが解決できる市町村合併ならば意味もあるのだろうが、今の地方自治体の「土建体質」のままではより大きな利権に結びつき、ミニ田中・ミニ竹下を生み出すだけである。それら癒着を断ち切るきっかけとなり、あくまで住民意思によって行われるのであれば、市町村合併は極めて有用な手段であると言えるだろう。(大阪 江川 明)

【出典】 アサート No.274 2000年9月23日

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