【レポート】 連合 3・6「生活危機突破」国民集会・99春季生活闘争総決起集会
—都知事候補鳩山氏の大胆演出登場にビックリ—
3月6日、春一番が吹き荒れるなか東京代々木公園において連合・連合東京・NPO(市民団体)の共催による「生活危機突破」国民集会・99春季生活闘争総決起集会が開催された。「賃上げ、雇用・景気回復、社会保障改革で日本全部を元気に!」というスローガン、久々に結集した5万人(掛け値なく)の参加者の多くが「何とかならないものか」という期待感をにじませていたようである。
今回の集会は、連合がNPO団体にも広く参加を呼びかけて開催されたことも特徴で、障害者や介護福祉の団や退職者組合、派遣労働者ネット、コミュニティユニオンネットなど様々な参加団体からもきちんとひとことアピールが行われた。連合組織を代表しては金属部門を代表して草野自動車総連会長、化学繊維・中小部門を代表して高木ゼンセン同盟会長のあいさつがあったのみである。また地方自治体選挙を前に各党代表の挨拶も行われた。民主党の菅代表、公明党の神崎代表、自由党の塩田団体渉外委員長、社民党の淵上幹事長、改革クラブの小沢代表からそれぞれ連合との連帯の挨拶が述べられた。やはり菅代表をひとめ見ようと集会場前方は自然ににぎわっていたのは印象的であった。菅氏は「春闘集会に集まられたみなさん。どうか民主党とともにこの東京を動かしましょう。世の中を変えましょう!」と連合会長以上に熱っぽく語っていた。
そして突如、巨大な音楽とともに壇上に登場したのは、都知事候補の鳩山邦夫氏であった。集会次第にも案内されていなかったし、進行の議長団からの案内がなかったため、このプロレス会場並みの演出音による鳩山氏の登壇には、ちょっとシラケた雰囲気がただよった。壇上での鷲尾連合会長をはじめとする役員のはしゃぎぶりをみてよけいにシーンとなってしまったようであった。鳩山氏は「わたしは顔は悪いが、人情だけは誰にも負けずあたたかいのです」と切り出し、持ち前の「友愛」論をひとしきりしゃべると、東京都知事選の応援を5万人の参加者に訴えていた。
自民の混迷で不透明な99都知事選突入へ
3月25日告示、4月11日投票の都知事選挙は、すでにテレビ・マスコミ・インターネットとあらゆるメディアを通じて戦われている。6人の候補者が出そろうまでの自民党の混迷ぶりが今でも続いており、しかしながらこれに民主・鳩山氏や共産・三上氏がいまひとつ食い込めないという現状だろう。
まず、これまでの自民党の混迷ぶりの経過は以下のとおりである。
3月10日 石原慎太郎出馬表明
3月10日 舛添要一、栗本慎一郎選挙対策本部長を解任
3月 8日 柿沢弘治の自民党除名を決定
3月 6日 野末陳平出馬取り止め、舛添要一を全面支援
3月 2日 鳩山邦夫支持を民主党が決定
2月25日 明石康支持を自民党が決定
2月23日 ドクター中松出馬表明
2月19日 自民党森幹事長及び小渕首相の説得で明石康出馬表明
2月17日 柿沢弘治出馬正式表明
2月14日 柿沢弘治、「サンデープロジェクト」で突然の出馬表明
2月12日 鳩山邦夫、舛添要一出馬表明
2月10日 自民党、明石康擁立を決定
2月10日 柿沢弘治、森幹事長の要請を受け、出馬断念を表明
2月 3日 野末陳平出馬表明
2月 1日 青島幸男都知事不出馬表明
1月26日 自民党都議団、柿沢弘治擁立で最終調整
1月23日 自民党、舛添要一擁立を断念
1月21日 自民党都連幹部会、舛添要一擁立で合意
11月11日 三上満出馬表明
自民党の混迷はいくつもでた。森幹事長の説得工作を振り切って立候補表明し、自民党を除名された柿沢氏、一度自民党推薦候補から漏れた舛添氏も自民党離反組と目されており、無党派を標榜する舛添氏としても、組織票が期待できるとしてもイメージダウンのデメリットが大きく、簡単に支持は受けられない、また、亀井氏等の自民党非主流派に近い石原氏も支持できない。最後に鳩山氏であるが、民主党の推薦がほぼ決定している現在、既に手遅れ状態。そして今回の明石氏の降ろしの動きである(明石氏は否定)。
そこで、当然の帰結として、3月16日付けの毎日新聞朝刊で有権者の電話世論調査の結果が発表での結果は以下のとおりである。
順位 候 補 者 比率
1 石原 慎太郎 25%
2 舛添 要一 13%
3 柿沢 弘治 8%
4 鳩山 邦夫 8%
5 明石 康 6%
6 三上 満 6%
7 ドクター中松 1%
テレビに出ればでるほど人気を失ってゆく明石氏に自民党は業を煮やしているといわれている。万一、自民党がこの首都都知事選で負けることは、その後の地方選での惨敗を決定的にすることは疑いないからである。しまいには世論調査報道の規制まで自民党は言及している。選挙でキャスティングボードとなってくるのが公明であるが、一度は自主投票の構えを見せていたが、ここにきて特定候補支持を打ち出すポーズを漂わせているようである。
東京を変えれば日本が変わる
これは青島都知事誕生の時もそういわれたが、青島都政は結果として鈴木都政の後始末も何もできなかった。またその結果この4年間で東京の財政を逼迫させ、「財政再建団体」に転落予想の都民向け「緊急アピール」を発表したのが98年10月13日である。「財政再建団体」とは民間会社における「会社更生法」ともいえる制度で、財政難に陥った自治体が国の管理の下で財政再建を目指す制度である。東京の域内の国内総生産(GDP)は約80兆円、これは日本全体の18%にあたり、カナダ1国分に匹敵するのである。東京は世界で最も「裕福」な都市といわれる。こんな大都市が、もはや財政的にはどうにもならなくなってしまっている。そしてこれは東京だけでなく、大阪、神奈川、愛知をはじめわが国自治体の実に6割がこの財政危機に直面して、警戒ラインを突破しているのである。国会でいくら前代未聞の膨大な公共事業費をくもうと、地方にはその余裕はないのである。破綻に破綻を上塗りするのが顛末であることがこの4年間の推移であったはずである。以前なら「中央との太いパイプ」が候補者の判断材料であったが、いまやこれでは通用しない。
このことは明石氏と柿沢氏以外ははっきりと言及している。明石氏と柿沢氏はよりいっそうこの事業を推進すべきという立場だ。石原氏は立場は違うが徹底した規制緩和と行革の推進という点では明石氏と柿沢氏よりも過激で、「クーデターをおこすくらいの気持ち」だと相変わらず暴言をはいている。鳩山氏はこの中でハト派的にいい立場であるのだが、それをうまく器用にマスコミむけにアピールできないのが残念である。
さらに来年から実施予定の介護保険のあり方については残念ながら具体的議論がみえてこない。「ハコもの」行政からの脱却とともにめざすべき市民参加・参画型の行政のありかたについては誰も希薄である。その具体的なあらわれとして介護保険はまっさきに問われているはずである。しかし希薄なのは東京という都市があまりにも大きすぎるからであり、もうすこし目に見える形(区部・市部)での議論を組み立てる必要がある。(R.I)
【出典】 アサート No.256 1999年3月27日