【投稿】世間にはびこる「トンデモ経済論」を暴く

【投稿】世間にはびこる「トンデモ経済論」を暴く

<間違いだらけの経済論にだまされるな>
世間に「トンデモ本」がはびこっている。トンデモ本とは「著者のおおぼけや、無知、カン違い、妄想などにより、常識とはかけ離れたおかしな内容になってしまった本」(トンデモ学会編『トンデモ本の世界』)のことを言う。
『経済対立は誰が起こすのかー国際経済学の正しい使い方』(ちくま新書・98年)『間違いだらけの経済論ー天動説に等しいトンデモ論にだまされるな』(ごま書房・99年)の著者、野口 旭氏(専修大学経済学部教授)はその著作の中で切々と訴えている。
「長引く不況の中で書店には、世界恐慌論や日本経済の再生策を提案する本などが溢れている。ベストセラーになっている本もたくさんある。その中でタチが悪いのは、一見まじめそうでいて、実は百害あって一利もないトンデモ本である。著者はマスコミにもよく出てくる有名なエコノミストであったり、有名大学の教授であったりするので、読者はなんとなく納得してしまう。それこそとんでもないことだ」と。そして「トンデモナイ」国際経済論の典型として、今はやりのエコノミストや経済学者の名前をあげて、根本的な批判を展開している。
野口氏が、ヤリ玉にあげている著者と著作をざっと挙げてみる。リチャード・クー(野村総合研究所)『投機の円安 実需の円高』(東洋経済新社・96年)やレスター・サロー(MIT大学教授)『資本主義の未来』(TBSブリタニカ・96年)をはじめ、最近話題になっている石原慎太郎『宣戦布告「NO」と言える日本経済ーアメリカの金融奴隷からの開放』(光文社・98年)や吉川元忠(神奈川大学教授)『マネー敗戦』(文春新書・98年)などは、国際経済学の基本中の基本すら踏まえていないトンデモ本だと、批判している。そして、「今、経済学という分野で怪しげな理論や政策を吹聴する人々は、古今東西あとをたたず、そういった人達のおかしな理論や政策が、世間一般の世論形成に大きな影響を与えたり、さらにそれが実際の政治の中に反映されたりする事が、社会にとって迷惑千万である」と強く主張している。

<間違った経済論を見分けるのは難しい>
この野口氏の著作は、私を多いに刺激させてくれた。今日の激しく動く国際経済、日本の経済をどう認識したらいいのか、書店に氾濫している経済に関する書物を、自分なりに選別して乱読しても解ったようで解らない。「トンデモ本」とそうでない本とを見分けることなど到底できなかった。どれを読んでもそれなりに解ったつもりになったり、しばらく経つとそれと反対の事が書いてある本を読んで納得してしまうのである。なぜそうなってしまうのかが、この書物を読む中ではっきりと理解できたように思う。経済学を基本からきっちりと勉強したことのない者にとって、いろいろな経済論議のうち、どれが経済学的に正しくどれが間違っているのかを見分けろといっても不可能なのである。ましてや経済ジャーナリストや経済評論家と言われる多くの人が、経済学の基本とは無縁な「手軽に実感できるトンデモ知識」を、マスコミで盛んに撒き散らしている中では。ほとんどが言いぱなしである。自分がいままで主張してきた事が、今日正しかったのか、間違っていたのか全く自己検証もせず、新たな国際・国内経済状況にたいして、かつて自らが主張した事とまったく違うことを平気で言い出す。経済論議にはこんな現象が特に多いと思う。

<貿易黒字・赤字についての間違い>
一つ例を挙げれば、つい最近まで「日米貿易摩擦問題」が焦点化していた時、日米両方の経済評論家は、日米二国間における日本の貿易黒字の拡大とアメリカの貿易赤字の拡大を前にして、日本の黒字減らしの為にはとにかく輸入拡大が必要だとして、日本の市場開放とか規制緩和などが主張され、アメリカからは、自国製品の日本への輸出を増やす為に、日本に「輸入数値目標」を要求し、それが出来なければ制裁を加えるべきだとする日米包括協議などが繰り返されてきた。
野口氏は、これらの日米貿易収支の不均衡にたいする捉え方が、トンデモ的な考え方であると強く批判している。このとらえ方がおかしい為に、結果として見当違いの的外れを長々と展開している経済論が非常に多いと言っている。その典型が、日米の貿易収支の不均衡が拡大しつつあった1986年に出された「前川リポート」で、不均衡を日本が自ら縮小することが必要だとする観点から、内需拡大と市場開放に向けた規制緩和の「黒字減らし」を提言し、これには著名な経済学者が何人も関わっていたと言う。
このトンデモ的な見方とは何かといえば「貿易収支(経常収支)をもっぱら輸出と輸入の差額としてとらえ、その輸出入に影響を与えると信じられている諸要因(市場の開放性・閉鎖性、国際競争力、為替レート等々)にのみ注目する見方」という事になる。市場開放も規制緩和も多いに結構なことだが、そこをいじったところで日本の貿易黒字それ自体が減るという保証はまったくないと、野口氏は言う。貿易黒字・赤字の問題は基本的に一国全体のマクロ的な貯蓄・投資バランスの問題であり、そこが変化しない限り、何をやったところで貿易黒字・赤字は増えもしない。貿易収支、経常収支の決定メカニズムは、(民間貯蓄ー民間国内投資)+(政府収入ー政府支出)=(輸出ー輸入)であり、これこそが、貿易収支問題を考える場合、すべての議論の出発点となる枠組みである。

<貯蓄・投資バランス論が貿易収支問題の基本>
これを「貯蓄・投資バランス論」と言う。この式の左辺全体は、民間と政府を合わせた一国全体の資金供給と資金需要の差額、すなわち貯蓄・投資バランスを示している。一国全体の資金余剰ないしは不足と言いかえる事もできる。一国全体が資金余剰を持つとすれば、その分だけ海外に資金を供給、すなわち海外純投資をしていることを意味する。一国の輸出入差額、すなわち経常収支は、常にその貯蓄投資差額に等しく、かつその海外純投資額に等しく、その所得(GNP)と支出の差額に等しいのである。
この事は何を意味するか。貿易黒字・赤字とは、海外投資、すなわち国際的な資金貸借にともなって生じる現象だと言う事である。逆に言えば、海外投資が存在しなければ、経済収支(貿易収支)の不均衡は決して起こらない。海外から資金を借り入れる事無くしては、どの国も貿易赤字を出す事はできないし、逆に海外に資金を供給している国は貿易黒字にならざるを得ない。日本が貿易黒字を持つには、海外投資の結果として日本の貯蓄が国内投資を上回るからであり、アメリカが貿易赤字を持つのは、海外投資を受け入れた結果としてアメリカの貯蓄が国内投資を下回るからである。
これを踏まえると、貿易黒字が得で、貿易赤字が損だと言う見方は基本的に間違っている。日本に今貿易黒字が増えているのは、日本の経済が不況で国内の投資先が少なく、海外に投資する方が得だからである。アメリカに貿易赤字が増えているのは、アメリカ経済が好況で、新しい産業がどんどん起きているから、そこに海外資金が集まってきているからである。これは、日本とアメリカの両方が得をしていることに他ならない。

<妄想のアメリカ金融陰謀説>
もう一つの例を挙げよう。「世界最大の債権国=金持ち日本が不況にあえぎ、世界最大の債務国=貧乏国アメリカが好景気に沸いている。こんな事はどう考えてもおかしい。日本が輸出で稼いだお金が、アメリカ国債を買うことでアメリカに還流してしまう。アメリカは日本にアメリカ国債を保有させ・・・いったん貸しているという形をとりながら、その後基軸通貨であるドルを垂れ流しドルを減価させる政策を取る。日本の持っている米国債はドル建てだから、それが目減りしていく形で借金を棒引きする事をアメリカは狙っている」と言うわけである。すなわち「金融戦争」」である。
野口氏は、貿易や資金貸借などの経済取引を戦争と同じ様に考えるのは間違いだと述べている。経済取引は、戦争でも競争でもなく、対立ですらないと言っている。要するに、損得を考えて、お互いに得だと考えて行っているに過ぎないと言う。もちろん投資にはリスクがつきものである。特に海外投資となれば、為替リスクを十分考慮しておかなければならない。そのリスクを計算した上で、国内で資金運用するよりも海外投資の方が有利だと判断したからこそ、海外投資を行うのである。
ところが、今はやりの経済論調は、かつてアメリカでジャパンバッシャーと呼ばれた人達がアメリカ経済は日本に侵略されて駄目になったと論じていたように、「アメリカの金融謀略によって、日本の経済はやられてしまっている。」といった「アメリカの金融覇権論」や「ドル帝国主義論」が主流となっている。その背後にあるのが、1997年7月のタイにおけるバーツ暴落に始まるアジア通貨危機であり、その後のロシアの経済危機である。こうした事態を招いた最大の原因は、アメリカの金融・資本市場の自由化をグローバル・スタンダードと称して各国に押し付け、その結果ヘッジ・ファンドを尖兵とするアメリカの投機資本が、アジア経済、ロシア経済をハイエナのようにむさぼり始めた・・・。と言うような構図に基づいて、このところの世界的な経済混乱を説明するわけである。
野口氏は、アジア通貨危機も、ロシア通貨危機にしてもその本質は極めて単純なものであり、「グローバル資本主義の危機」でも「アメリカの陰謀」でもないと言う。アジア通貨危機の真の原因は、アジア各国が、ドルにリンクした固定レート制、すなわちドル・ペッグ制を採用していた事にあるのだと。固定レート制を取った国は、金融政策の独立性を放棄しなければならないからである。そこに破壊的な投機資金移動が発生するのであり、変動レート制においてはめったに起こらない。もちろん為替の乱高下は日常的に生じるが、決して破壊的なものにはならないと言う。実際、アジアの国の中でも、台湾やシンガポールのように為替の変動制を取っていた国では何も問題は起こらなかったのである。

<国際資本移動は「なだめすかす」ことである!>
国際資本移動と言うのは、お金の貸し借りを単に国境をはさんで行っているに過ぎない。もちろん国境をはさむということで、為替の取引が必要になり、そこに為替リスクというのが問題になって通貨危機という現象が生じる。この為替の面さえ除外すれば、それは基本的には我々が国内で行っているお金の貸し借りに過ぎないと野口氏は言うのである。世界の中には、日本のようにお金があまって困っている国もあれば、逆にお金がなくて困っている国もある。国際資本移動の本来の機能とは、こうした世界的資金の効率的配分を実現させるというところにあり、問題は資本移動そのものにあるのではなく、この資本移動本来の機能を歪めてしまうような通貨システムのありかたにあるのだと。
そもそも、国内であろうと国外であろうと、お金の貸し借りには常にリスクが伴う。海外投資にも、債務不履行は一定の確率で必ず生じる。確かに、これまでの歴史上、恐慌によって金融システムが崩壊した事は何度もあった。こうした問題をなくす為には、借金を禁止するしかない。借金を禁止したら経済は成り立たない。一定の確率で債務不履行が発生するのは仕方がない事であり、それをどこまで許容していくかと言う事であり、経済システムとしては、それをうまくなだめすかしながらやっていくしかない。その「なだめすかす」と言う事が、経済政策の一つの大きな目的であると、野口氏は冷静に主張する。
IMFは、国際収支危機やあ流動性危機が発生した国にたいしての融資や支援をその大きな目的とする国際機関であり、いわば「なだめすかす」ための機関であると言う。問題は、今回のアジア危機の教訓をどう生かすかであり、IMFは今後、その機能を強化する事が必要であり、逆に国際的な資本移動の方を規制してしまうのは最悪の選択だと言う。

<アジア円構想は間違い>
いま「アジア円構想」が「ドル覇権の奪取」論と合わせて議論されているが、アジア通貨危機の原因は、ペッグ制をとっていた事それ自体にあるのであり、ペッグする通貨がドルだったからではないのである。アメリカのグローバルスタンダードと対抗する為にアジアと手を組み「アジア円構想」などと言うブロック経済圏じみた論議は、戦前の「ブロック経済」につながる極めて危険な論議であると、野口氏は警告する。貿易取引や資本取引の際に、それを円建てでするのかどうかと言う判断には、円の利便性いかんに大きく関わっているものであり、日本の金融・資本市場の環境整備や規制緩和を進めればいいのである。そして、円が実際に経済取引の決済手段としてアジアを始め諸外国でどの程度使われるかと言う事は、各国民間経済主体なり各国通貨当局の判断の結果に過ぎないのであり、日本の政策当局が関与すべき事でも、できるはずの事でもない。つまり目標はあくまでも円の利便性を高めて世界経済の拡大・発展に資することであり、「ドルに対抗する円圏」などというブロック経済じみたものを作り出す事ではないと、野口氏は力説している。

<冷静で公平な国際経済論議を!>
以上、野口氏の著作から主な論点の要旨を、私なりにまとめてみた。この2冊の書物によって、初めて国際経済の基本的見方を教えてもらった。世間には、いたずらに危機感、国家間対立だけをことさら煽る無責任な経済論調がいかに多い事か。経済学の基本的な考え方を学ぶ必要性を痛感する。いま、『貿易黒字・赤字の経済学』小宮隆太郎著(東洋経済新社・94年)、『経済政策を売り渡す人々』P・グルーグマン著(日本経済新聞社・95年)『クルーグマン教授の経済学入門』P・クルーグマン著(メディアワークス・99年)など、野口氏が紹介する経済書を読み始めている。その著作の中で書かれている経済論争は実に面白い。いま国際経済においても、冷静で公平な論議が求められている。
(1999・3 織田 功)

【出典】 アサート No.256 1999年3月27日

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