【書評】ミステリー新人賞と社会

【書評】ミステリー新人賞と社会
    –新野剛志『八月のマルクス』(99.9.9.発行)–

 ミステリー新人賞の中で、もっとも権威ある登竜門として知られている江戸川乱歩賞の本年度の受賞作品が、本書である。ただし本書の題名『八月のマルクス』の「マルクス」とは、かのカール・マルクスではなく、1930~40年代に映画で活躍したアメリカのコメディトリオ(マルクス三兄弟)のことである。日本ではそれほど知られているわけではないが、ドタバタが売り物のコメディアンたちである。
 この題名からも推察されるように、本書の主人公は、スキャンダルによってお笑い芸人を引退したコメディアンである。そしてその元の相方(こちらは今をときめくタレントとなっている)の失踪が事件の発端となる。その詳細なストーリーは、ミステリーという性格上、割愛せざるを得ないが、途中、芸能界の裏側を見せてくれる作品ではある。例えば、芸能レポーターのやり口、芸能プロダクションと局との関係、パクリ(ある番組を他のアジア諸国のTV局が、そっくりそのまま真似て放送する)、フォーマットセール(番組を他国の局に売買する)等々である。事件はこのような状況が複雑に入り組む中で推移していく。そして結末ではその全景がさらされることになるが、結局は復讐劇の様相を呈してくる。
 本書は、物語としてはまず楽しめるものであろう。しかしそこには同時に決定的な不十分さがあるように思えてならない。すなわち芸能界の裏側やタレントの内部を描いているとはいえ、その現状の暴露のみに終始している点がそれである。本書には、残念ながらこれ以上のものが存在していない。
 このことは、同じTV局を舞台にした作品である、野沢尚『破線のマリス』(97年度乱歩賞受賞作品)と比較してみても明らかであろう。『破線のマリス』の場合、主人公はTVニュースの編集者で、そこに一貫して流れているのは「マリス」(ジャーナリズム用語で「悪意」を意味し、意図的な中傷から無意識の悪意までも含み、これの除去の訓練が必須とされる)を軸にした問題である。それ故このミステリーは、それなりに社会批判的な目を持った読み応えのある作品であった。
 これに比べて、本書は、「マルクス三兄弟」というコメディアンを素材にした割には、主人公との関連づけに弱さがあり(ほとんど記憶に残らない)、プロットが細かい割には筋書が弱い、人間描写の差も歴然としているというのが率直な感想である。このことは恐らく、本書に掲載の「著者の言葉」で、著者自身が「格好いい小説を書きたい。それだけを思っていた」と語っていることと無縁ではないであろう。本年度の乱歩賞はいま一つというところであろうか。
 なおこれに関連して、昨年度の受賞作品についても、少し触れておこう。作年度は二作品で、池井戸潤『果つる底なき』と福井晴敏『Twelve Y.O.(トゥエルブ Y.O.)』であった。
 前者『果つる底なき』は、銀行を舞台にしたミステリーである。債権回収担当の同僚の死を発端として、先端企業への融資をめぐる大銀行の闇が描かれる。銀行内部の業務、情報の処理、、金の動き等なかなか読ませる作品である。このテーマは、高杉良の『金融腐食列島』につながるものがある。
 後者『Twelve Y.O.(トゥエルブ Y.O.)』は、日本の防衛問題をめぐるアクション・ミステリーである。冷戦下および冷戦後の状況でなお「12歳の子供」としてしか見られていない国家(日本)を「自立した一個の大人」として育て上げるために密かにつくられた部隊がその背景となる。この部隊の残党が電子テロリストとして、在日米軍のコンピュータ・システムをウイルスで攻撃する中で、日米両国の地下組織が暗躍するというものである。クライマックスの地点に、現実に普天間基地の移転先としてあげられている辺野古地区が登場するというのも象徴的である。
 しかし本書で語られている次のような言葉には問題があると言わねばなるまい。
 「安保条約に基づく協力といえば聞こえはいいが、要するに自衛隊は日本という国ではなく、在日基地を守るためにのみ存在しているというわけだ。(略)戦後の日本は、ただの一度も固有の防衛政策を持ったためしがないんだよ」。
 作中人物の発言とはいえ、この言葉の目指すものが「12歳の子供」から「大人」になるための「自己完結した防衛力の保持」という点にあるのを知るとき、ここに危険な兆候を感じざるを得ない。この種のアクション・ミステリーにあるナショナリズムとアナーキズムに注意を喚起していく必要がある。
 以上ここ数年の乱歩賞作品について見てきたが、ミステリーもまた、その時どきの社会の状況を反映するものであり、われわれは、その作品にあらわれた社会の諸側面を批判的視点から見つめていく必要があろう。(R)
 (池井戸潤『果つる底なき』98.9.10.発行、福井晴敏『Twelve Y.O.』98.9.10.発
行、野沢尚『破線のマリス』97.9.11発行、いずれも講談社刊)

 【出典】 アサート No.264 1999年11月20日
 

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