【投稿】戦後民主主義を問い直す  No.5

【投稿】戦後民主主義を問い直す  No.5

本誌前号(NO244)・Rさんの書評論文の最後に、この間のわたしの投稿に関わって述べられている点について、感じたことを今回は書くことにしたい。Rさんは、次のように述べられている。
「戦後民主主義をどう見るかという問題は、現在の日本社会をどう見るか(内側からと同時に外側から)という問題と不可分であるということである。」と前置きした上で「ここで重要なことは、「日本という近代国家」が成立してきた歴史的経過を解明することではないか」として、その具体例として近代国家として「無理にまとめてきた明治政府の強権的政策の内容(教育、軍隊、宗教、天皇、戸籍などの諸制度から、時間・空間・人間関係・身体にいたるまで拘束管理社会の形成を目指した)などは、まだ充分に解明されているとは言い難い。」と述べられている。そして「『日本的なもの』ということの中味が多種多様であるという中で、『世界史の中に日本の歴史を位置づけなおして見なければならないのではないか』という問いは、そう簡単に明々白々たる答の出るものではない。しかし少なくとも『世界史の中で日本の歴史を位置づけ直す』にあたっては、日本がアジア諸国から、過去においてどう見られてきたのか、また現在どのように見られているのか、という視点だけは落とすべきではないと考える。(このことは現在に関して言えば、アジア諸国への経済進出やODAの評価のみならず、それらの国々での買春ツァーや子供ポルノの大半に日本人が関係しているという事実等をも含めての日本の評価が必要だということである。)」と締めくくられている。
現在の日本社会をそう見るかという問題と不可欠であるという点についてはまったくそのとおりだと思う。私は「戦後民主主義を問い直すNO1(NO234号)で、次のように書いた。「市場経済と社会的規制の共存的発展が、先進資本主義国の国民の生活の飛躍的向上と、格差是正(平等性)を実現させた。とりわけその両方を著しく実現したのが、戦後50年間における日本であったのではないだろうか。」と。
わたしは、今日の日本は先進資本主義国の中でも、優れて所得間格差の少ない、平等性・医療・社会福祉・教育制度の確立した国に到達していると考えている。もちろん内側から見て、問題点が多々あり、今後解決しなければならない難問がつきまとっているのは当然である。しかし外側(諸外国)から見て、比較すればそう断言できる。(いちいち論拠を挙げないが、アメリカの所得格差やイギリス、フランスの身分性の強さと比較しても)
日本がここまできた到達点を、われわれ国民がどう評価するのか。この到達点には光と影が当然存在するわけであるが、大部分の国民は本音として、光を明確には把握できないまでもそれなりに評価していると思う。光とは何なのか、影とは何なのか、それはどのような歴史の営みの中で産み出されてきたのかということを、国民的共通認識として確立することが求められており、その光をまず踏まえながらこれから21世紀に向け、影の問題をどう解決していくか、これこそ、民主主義社会に生きているわれわれ国民が責任を持って取組んでいくべき国民的課題だと思う。
しかしながら、この我が国日本の到達点の光と影をどう評価するかについて、戦後50年あまり、知識人、文化人と自らを規定し社会的にもそう評価されてきた人々を中心とした言論界やマスコミの世界では、影ばかりを強調し、光を評価することを意識的に無視する論調が主流を占めつづけてきたと思う。私も含めて自らを左翼と規定してきた陣営は言わずもがなである。そして、無意識の中で光の部分は十分享受しながら、影の部分については意識的に言論界やマスコミの論調に乗って、批判することがあたかもみずからの権利の主張、進歩的思考のごとくする風潮が、戦後民主主義の中に存在してこなかったか、そのことを私は今自らに問い続けているのである。
そんな思いから、「戦後50年間、日本では国益論、公共論を真っ正面から論議することを避けつづけてきた。今日のさまざまな改革論議の根底には、『自己責任』という観点から国家を考え、地方を考える力が戦後50年の営みの中で国民についてきつつあるととらえるべきであり、そこに信頼を置いた常識的論議、論争ができる環境作りが大事になってきているとおもえてならない。『常識的』とは、歴史的に形成されたそれぞれの国民の生活の中から自ずと出てくる実感に言葉、表現を与えるということであろう。あらかじめ決めている価値観、イデオロギーのもとにどちらが正しいかという論争や、どこかに主要敵を作りそれが諸悪の根源だとする思考からは、生き生きした現実的改革は産まれない。諸悪があるとすれば、その諸悪の一端を自らも何らかの場所や行為でになっているという自覚、またそれを改善する権利が自らに保障されている社会に住んでいるということの自己責任が求められているのである。」(本誌NO234)と書いたのである。
Rさんは「重要なことは日本という近代国家が成立してきた歴史的経過」すなわち日本を近代国家として「無理にまとめてきた明治政府の強権的政策などの内容などは、まだ十分に解明されているといは言い難い」と述べている。明治政府の強権的政策と決め付ける事について異論があるが。日本という近代国家が成立してきた歴史的経過が十分に解明されていないと言う点については、私もそう思っている。一歩譲って強権的政策といってもかまわない。歴史的に大事な事は、何故に明治政府は「強権的政策」をとったのか。とらざるを得なかったのか。ほかにあるとしたらあの時代どんな政策が可能だったのかと言う事について、当時の国際環境の中で日本が置かれていた立場から実証的に検証するとともに、それが国民生活にいかなる光と影を及ぼしたのかを明らかにしていくことであり、そのことを今のわれわれが認識することだと思う。なぜ今日に至ってもそのことが解明されていないのか。歴史学者は何を研究してきたのかといいたくなる。そのことが今鋭く問われているのである。いまだわれわれは、日本人として共通の日本の歴史を共有できないでいる。おそらくこれまで日本の歴史学の主流を占めていた歴史学研究の方法論に大きな問題があったのだろうと素人ながら思わざるを得ない。
また、世界史の中で日本の歴史を位置づけ直すためには「日本がアジア諸国から、過去においてどう見られてきたのか、また現在どのように見られているのか、という視点だけは落とすべきではないと考える」といわれるが、私にはこういう物言いに大いに違和感を覚えるのである。過去においてという過去とはいつの時点からを言うのか。いつからを起点にするのかで大きく変わる。またアジア諸国からと簡単に言うが、アジアにはいろいろな国がある。国によって日本への見方は大きく違うのである。世界史の中で日本の歴史を位置づけ直すためには、特にヨーロッパの国々や、ロシア、アメリカなどとの関わりを抜きには語れないのも当然のことである。そしていつの時代でも国家間で歴史を共有しようとすることは、その努力は必要ではあるが、至難の事だと思う。国益と国益がまずぶつかる事は当然であり、未だ国によって言論の自由のあり方、政治体制のありようが大きく違うアジア地域では、なおさらだと思う。日本人としていまだ日本の歴史を共有できないでいる段階では、なにをかいわんやである。
まず、日本人としての日本の歴史の共有こそが必要なのではないか。光と影があるのは当然であり、それをその時代時代の条件の中で、その光と影がどうであったのかをその時代の人になりきって考えるという思考方法こそが、歴史の教訓に学ぶということであり、古きをたずねて新しきを知ると言う事に通じるのだと思う。
「アジアへの経済進出やODAの評価」と「買春ツアーや子供ポルノ」を同列にして日本の否定的評価と断定しているような書き方にも大いに疑問である。どうもかつての「日帝のアジア侵略」という思考方法ちょっと水で薄めたような捉え方で本質的には何も変わっていないのではないかと思う。(1998・4 織田)

【出典】 アサート No.245 1998年4月24日

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