【書評】「何となく日本人、いつまでも日本人」を歴史的視点から批判
網野善彦『日本社会の歴史(上中下)』
(岩波新書、1997年4・7・12月発行、上・中630円、下640円)
戦後日本社会の評価をめぐって、主に歴史観上での論争が続いており、本紙でも一石が投じられて波紋を呼んでいる。それは、日本の戦後民主主義に根本的な疑問を提出することから、「日本」および「日本人」そのもののあるべき姿を問題にするところまで、進んでいる。
このような折に本書は、この「日本」および「日本人」という表現を、われわれが何とはなしに了承して使用していることを指摘し、これに対して明確な「日本」および「日本人」像を歴史的事実として認識することを目指す。すなわち著者は、「これまでの『日本史』は、日本列島に生活してきた人類を最初から日本人の祖先としてとらえ、ある場合にはこれを『原日本人』と表現していたこともあり、そこから『日本』の歴史を説きおこすことが普通だったと思う。いわば『はじめに日本人ありき』とでもいうべき思い込みがあり・・・」、こうした状況が日本人の歴史像と自己意識を不鮮明なものにしてきたとする。
ところが「事実に即してみれば、『日本』や『日本人』が問題になりうるのは、列島西部、現在の近畿から北九州にいたる地域を基盤に列島に確立しつつあった本格的な国家が、国号を『日本』と定めた七世紀末以降のことである」。「それ以前には『日本』も『日本人』も、存在していないのである」。
著者は、こう述べることで、現代日本人の持っている「『なんとなく日本人、いつまでも日本人』という曖昧きわまる自己認識」を厳しく批判する。そして本書においては、この列島上に成立した人類の社会の歩みが、アジアの諸地域との切り離しがたい関係の中で考察される。本書は、通史というかたちをとるが、その中で現代の日本人および日本国の形成過程と、その形成過程そのものによって否応なしに規定された現代日本の諸問題が浮かび上ってくる。このことは、根源的には「社会」と「国家」との矛盾対立、妥協と抑圧という過程を認識していくことであるが、それはまた歴史的に多様な豊かさを持ったこの列島諸地域の「社会」の存在を確認していくことで、「日本」という呪縛に根底的な疑問を呈することでもある。
本書は、原始時代の列島社会から説きおこし、首長たちの時代、古代小帝国日本国の成立発展矛盾、中世の東国王権(鎌倉幕府)と日本国王室町将軍を経て、近世の地域小国家の分立抗争と再統一(17世紀前半)までを叙述している。江戸時代前期までで終っているのは残念と言う他ないが(これ以降現代にいたるまでの時代については、「展望」として略述されている)、ここまで読んでみても、この列島社会が単色の「日本」というかたちで括りきれないことは明らかであろう。
しかしそれにもかかわらず、われわれが今なお「日本」というかたちにとらわれ続けているのは何故か。著者はその理由を、明治国家が教育を通じて社会全体に徹底的に刷りこんでいった、偏り・誤りにみちた「日本国」「日本人」の像にあるとする。
例をあげよう。著者は、こう述べる。
「いうまでもなく、(略)日本列島はアジア大陸の北と南を結ぶ懸橋であり、こうした列島の社会を『孤立した島国』などと見るのは、その実態を誤認させる、事実に反し、大きな偏りをもった見方であるが、明治国家のつくり出したこの虚像は、最近にいたるまで研究者をふくむ圧倒的に多くの日本人をとらえつづけ、いまもなおかなりの力を持つほどの影響力を及ぼしつづけているのである」。
「この政府の姿勢が農業に偏していたことは確実であり、農業以外の生業をみな兼業・副業としか見ない、現在もなお生きているとらえ方は、(略)明治以後、さらにきわめて深く社会に浸透したことは間違いないといわなくてはならない。こうした政府の姿勢のもとにあって、河川、海、山に依拠した多様な生業が日本人自身の視野から大きく落ちていったことも間違いなかろうが、これもまた、現在にいたるまで、なお研究者をふくむ圧倒的多数の日本人をとらえつづけている歴史認識なのであり、明治政府の陥った『偏向』の影響はまことに甚大であったといえよう」。
このように現在のわれわれの「常識」とされている見方が、その実明治国家によって刷りこまれた「日本」という呪縛であることが指摘される。そしてこのことがわれわれ自身の明確な自己認識を阻止するシステムとなってきたのである。
この視点から著者は、「明治政府の果たした役割については、これまでよりもはるかにきびしいマイナスの評価をしなくてはなるまい」とし、「明治以後、敗戦にいたる過程だけではなく、敗戦後の政治・社会の動向についても、前述した『常識』の誤った思いこみを捨て、『日本』そのものを歴史的な存在と見る視点に立って、徹底した再検討を行うことが、今後の緊急な課題として浮かび上ってくる」と主張する。
以上本書は、保守勢力のみならず、進歩革新勢力をも巻き込んだ圧倒的多数の日本人の「日本」観と「日本人」観に対して、根底的・徹底的な視点の変革を実証し、要求する。それは日本列島の社会が、決して単一でも均質でもないことを確認するとともに、列島外の諸地域との深い関わりを解明把握しようとする(例えば、現在は『日本海』と呼ばれている内海についての適切な呼称の検討も今後の課題の一つとされる)。この意味で本書は、現在行われている「日本」および「日本人」をめぐる論争に大きなインパクトを与える書であるといえよう。(R)
【出典】 アサート No.245 1998年4月24日