【投稿】戦後民主主義を問い直す No.6
<「アサート」を論争の場に!>
「戦後民主主義を問い直す」と銘打ってのわたしの投稿も、今回で終了したい。当初考えていた道筋とは、やや違った展開になってしまったきらいもあるが、まあこんなもんだろうと思っている。「従軍慰安婦問題」をテーマに書けば、当然反発が出てくる事は十分わかっていた。わかっていたからこそ書いたともいえるし、この問題に触れなかったら、戦後民主主義を問い直すという意味がなくなるほどの、今日的テーマだと思ったから書いたのである。
わたしの投稿に対する反論は、「アサート」紙上でいまだ本格的に出ていないと痛感する。誰か真正面から反論する人はいないのか。そうでなければ論争は高まっていかない。
戦後民主主義の問題点も生き生きと浮かび上がってこない。その実験がしたかったからこそ、投稿しつづけたとも言えるのである。(このテーマで書くにあたっては、内面では葛藤があるんですよ。目に見えないプレッシャーが)
わたしの問題意識を理解してくれていると思った投稿は、「『戦後民主主義を問い直す』論考をめぐる論考について」(NO239号依辺論文)であった。正直あの論文を読んだ時、これで論争が高まるきっかけとなるかなと思ったが、そうはならなかった。「アサート」読者には、教職員も多数おるはずなのにどうした事か。田中さんからも私からの反論以降音沙汰がない。田中さんどうなっているんですか。あなたが仕掛けてきた論争ではなかったんですか。当然再反論してくるべきではないかと思いますが。
無い物ねだりをしても仕方がないので、「戦後民主主義」に対する私の考えを展開し、このシリーズをひとまず終わりたいと思う。「アサート」は論争の場にならなければだめだと思う。切れば血の出るような論争が、今日求められているのである。「アサート」で展開されているさまざまな投稿に、読者がすべて同意しているとは到底おもえない。現にわたしは、議論、論争してみたくなる投稿が毎号にある。もちろん共感するものもあるのは当然だが、最近は前者のほうが多くなっている。私が「右翼」になってきているからだろうか。「議論、論争に及ばないほどくだらない」と読者が思っているとしたら、「アサート」の命は枯れたという事だろう。論争よ起これ!と言いたい。
「アサートNO243」の編集子佐野さんの返信「織田さんからのご意見について」一言触れておきたい。佐野さんは次のように書いている。「私の認識では『戦後民主主義を問い直すNO2/NO3』では、歴史観論争の一方の立場の紹介にとどまり」と断定し、「今回の投稿は『新しい歴史教科書を作る会』を評価する内容です。残念ながら、現在のアサートの読者の多くは『戦後民主主義』の影響下にあり(私の私見ですが)、私自身も、織田さんのように一足飛びに『戦後民主主義の超克』はできていない。…私は織田さんの主張が、現実世界の中に具体化された時点で、昔流の言葉で言えば右翼的スローガンになってしまうと思います。そうした危険性を感じています。」と決めつける。
「一方の立場の紹介」ではないのである。これまで明らかになった事実の紹介なのである。今日明らかになっている事実から自ずと現実世界の中に具体化されることを言っているに過ぎない。それが「右翼的スローガン」になるのだろうか。「右翼的スローガン」とは何なのか。「右翼的スローガン」は悪いのか。「右翼的スローガン」は正しいのか。こんな大人げない事を言ってしまいたくなる。わたしが述べた「一方的立場の紹介」のどこが事実と違うのか、事実にもとづいて批判すべきである。最後には、「私自身の認識では、自虐史観云々という皆さんは、いわば文部省の反動政策の『民間委託』を受けた下請け業者程度であるという認識の域を現時点では出ていません。それ以上の関心は持っておりません。」という。「昔流の言葉で言えば」文部省の反動政策にたいして労働組合の進歩政策とでも言うのだろうか。
「『戦後民主主義を問い直す』論考をめぐる論考について」(依辺論文NO239)は述べている。「わたしは、最近、努めていろいろな立場で書かれたものを読むようにしている。『右翼』だの『保守反動勢力』だのとレッテル以前に、問題なのはその内容だと考えているからだ」と。わたしもまったく同感である。問題なのは、内容である。依辺さん。再度、本格的に論じてもらえませんか。
<慰安婦訴訟山口地裁下関判決について>
かつて慰安婦や女子勤労挺身隊員だった韓国人女性10人が日本政府に謝罪と損害賠償を求めた訴訟で、4月27日、山口地裁下関支部は国に対し元慰安婦に30万円ずつの慰謝料支払いを命じる判決を出した。
27日晩、タクシーのラジオの報道でこの判決を聞いたとき、「えっ!まさか」と思う反面「これまでの状況からして、ありえる話だ。」と合点もしたのである。「問題は、判決内容だな」と思いながら、翌朝の朝刊で判決要旨を読み、あまりにも想像どおりの判決内容に、「ほんまに今の日本はどうしようもないな」と改めて思わざるを得なかった。
3人の元慰安婦に30万円ずつ国が慰謝料を支払う事を命じた根拠を判決文ではどう言っているか。新聞報道による判決要旨によれば、「立法不作為による国家賠償責任」という事である。不作為とはどういう意味か。「法律で当然すべきことを、わざとしないですますこと」(新明解国語辞典 第4版)と書いてある。
判決は言う。「一般に、国会がいつ、いかなる立法をすべきか。あるいは立法をしないかの判断は、国会の広範な裁量のもとにあるが」「日本国憲法の根幹的価値に関る基本的人権の侵害をもたらしている場合には、」「立法不作為にかんする限り」「例外的な場合として国家賠償法の違法を言う事ができる」としている。そして、「従軍慰安婦制度は、甘言、強圧等により本人の意思に反して慰安所に連行し、旧軍人との性交を強要したものである。徹底した女性差別、民族差別であり、女性の人格の尊厳を根底から侵し、民族の誇りを踏みにじるものであって、日本国憲法の認める基本的人権の侵害であった…」しかしながら「日本国憲法の制定前の出来事につき、直ちに同憲法による現在の義務を導き出す事はできない。」が「「帝国日本と同一性ある国家である被告国は、従軍慰安婦とされた女性に対し、より以上の被害の増大をもたらさないよう配慮、補償すべき法的作為義務があったのに、長年にわたって慰安婦らを放置し、その苦しみを倍加させて新たな侵害を行った。そして、平成5年8月、内閣官房内閣外政治審議室の調査報告書が提出され、当時の河野洋平内閣官房長官も『慰安所は当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった』との談話を発表している。これにより、右作為義務は、日本国憲法上の賠償立法義務として明確となったが、合法的立法期間としてみとめられる3年を経過しても被告国会議員は右立法をしなかったから、被告国は、右立法不作為による国家賠償として、慰安婦原告にたいし、各金30万円の慰謝料支払い義務がある。しかし公式謝罪義務まではない」というものである。そして30万円の根拠は「将来の立法で被害回復が想定される」からとしている。ここでも「河野官房長官談話」である。これによって憲法上の賠償立法義務が明確になったとされている。翌日の産経新聞主張(1998・4・28)「禍根を残した『河野談話』」が、この判決に対する常識的評価だと思う。(1)判決は河野談話の後、国会議員に賠償立法の義務が生じたとしたうえで、その義務を尽くさなかったとした。(2)河野談話の根拠となった資料のどこにも軍や警察による「強制連行」を裏付ける証拠はなかった。元慰安婦からの聞き取り調査だけを根拠にし、その裏付け調査も行われなかった。(3)裁判は、まず、正確な事実認定が大前提である。憲法判断や法律の解釈以前に、河野談話の信憑性について、もっと審理を尽くすべきであった。(4)河野談話によって、日本の国会議員になぜそれに基づく立法義務が生じるのか。三権分立のもとでは、政府の意向で国会が立法義務を負う事はありえない。仮に政府提出法案を国会が否決したとしても、義務を果たさなかった事にはならないのと同じだ。(5)この判決では、昭和40年に日本と韓国の間で戦後処理をめぐって締結された日韓基本条約との関係が不明確である。と批判している。
同日の朝日新聞の社説「歴史をまっすぐ見よう」はどう書いているか。(1)今回の判決は「立法府の怠慢」に言及せざるを得なかった。このことは、誠実な戦後処理を怠ってきたこの国の姿を、改めて私たちの前に見せつけたといえる。(2)「女性のためのアジア平和国民基金」が設立され、橋本首相も「お詫びの手紙」を公表した。だがそこには法的責任を回避する周到さが目立った。戦後50年たっても、なお過去の歴史を直視しようとしない日本の現実がある。(3)今回の判決をも契機として、慰安婦問題を含め日本が戦争でもたらした被害と責任について、真剣に議論を重ねる必要があるのではないだろうか。と、例によって判決内容に対する朝日新聞としての評価を述べず、一方的にこれまでの朝日独特の説教を垂れているに過ぎない。
河野洋平氏はこの判決に対して「コメントできない」として逃げている。今の政府筋は「驚いた。談話で強制連行を認めた事とは別次元の問題だ」と判決の解釈に疑問の声が上がっている。(4・28産経)。
司法の世界もおかしくなっていないかほんまに、まったく日本の政界も司法の世界もどうなっているのか。わたしは、「アサートNO237」でこう書いた。「『強制連行』を当時の日本政府、軍が行ったか否かがこの問題の根本である。…それは、当時の戦時国際法に照らして国家犯罪か否かに直結するからである。もし・・存在したとしても、『極東国際軍事裁判』によって日本の戦争犯罪が裁かれた経過、ならびに戦後日本政府と中国、韓国、東南アジア各国との間で交わされた条約や戦争賠償金の支払いの経過からして、今日日本政府が被害者のかたがたに国家による個人賠償をするべきか否かについては、国際法、国内法的に大いに議論のあるところだと思う。しかし、わたしは「強制連行」が当時国策として行われていた事が事実であるなら現在の日本政府そしてわれわれ日本人はその道義的責任を、同じような道義的責任を持っていると思われる諸外国に先駆けて、積極的に担うべきと思う。そのための特別税を導入してでも償うべきである。そして諸外国にも道義的責任を迫っていくべきである。」
根本の「強制連行」の根拠を「河野談話」に求めるのみで、その信憑性をはっきりと国民の前に明らかにしないで、国民に賠償金の支払いを命じる今回の判決。だんまりを決め込む河野氏。今になって河野談話に慌てる日本政府。河野談話が事実であると現日本政府が確信しているなら、はっきりとした根拠を持って当然国会に国家賠償法案を提案すべきである。事実が判明していないにもかかわらず、河野談話が発表されたと考えるなら、国内外に訂正すべきである。あいまいにすればするほど、問題は複雑化し、国際的信用を無くすのである。はっきりさせろといいたい。何を恐れているのか。
今回の朝日新聞社説も意図的にか今回の判決の根拠となった「河野談話」には一切触れていない。河野談話の信憑性を明きからにできないで、できないにもかかわらず「歴史をまっすぐ見よう」と説教をたれ、みずからの歴史観を押し付ける進歩的新聞朝日。昔のわたしですら、こんなひどい態度はとらなかったと思う。かつて「狭山事件」で石川青年(当時)の無実を求めて訴えた時、何故に石川青年が無実だと考えるか、一つ一つ無実である根拠を「紙芝居」にして学生に教室で訴えた事を思い出す。石川青年の証言だけで無実だと確信したわけではないのである。それと同じことではないか。
「戦後民主主義」に対するわたしのシリーズをひとまず今回で終えようと思ったが、本論に入る前に長々と書いてしまった。次回を最終にしたい。(織田功 1998・5)
【出典】 アサート No.246 1998年5月23日