【書評】新マルクス学の可能性の素材を与える事典
『マルクス・カテゴリー事典』
(同編集委員会編、青木書店、1998.3.20.発行、12,500円)
「マルクス主義事典」や「マルクス・レーニン主義事典」ではない本書は、「マルクス基本概念事典(カテゴリー集)」である。本書が出版された背景には、言うまでもなく、「正統派」とされた「ソ連型社会主義」とこれを思想的に支えてきた「マルクス・レーニン主義」の崩壊があり、従来のマルクス主義への抜本的な反省が迫られている状況がある。
この状況を踏まえて本書は、いま一度「とらわれない目でマルクスを読みなおすことによって、マルクスの思想と理論を解明すること」を試みる。そして「新しいマルクス像の提示」によって「21世紀に突入しようとする現実に即してマルクスを問いなおす」。このことは、マルクスを現代にどう生かすべきかという問題であり、多様な様相をもつ現代社会とマルクスとを厳しく突き合わせることで、その歴史的限界を指摘し、再検討していく問題となる。かかる観点から編集された本書は、それ故、従来のマルクス主義の諸著作にはなかった批判的視点と諸項目を数多く含む、斬新な、しかしそれだけに今後論争を呼び起こす書であると言えよう。
以下本書の130余項目から、目立ったものを幾つか引用してみよう。([ ]は、項目名である。なお本書の叙述形式は、各項目毎にマルクスの著作からの当該箇所のテキスト(複数)を掲載して、それらを参照しつつ説明を加えるという形式をとって理解を助けている。この点は評価すべきであろう。)
例えば、[唯物論]についてはこうである。
[唯物論]・「いわゆる『弁証法的唯物論』からマルクス自身の唯物論への回帰の核心は、マルクス唯物論の二重構造を自覚化することである。マルクスの唯物論は同時に本質的に唯物論批判でもある。マルクス唯物論の物質概念は、「運動する物質」の概念でも「意識から独立な客観的実在」の概念でもなく、まさに「人間たちの物質的生活」の概念にほかならない。マルクスは、「物質的生活の生産」の〈歴史的様式〉という点をベースにすえて、歴史を、特に近代市民社会を総体把握しようとする。・・・」
[意識]については、
[意識]・「・・・人間の意識は、旧来の『意識─反映』論においては十全な位置づけを与えられなかった。いかに反映に能動性が認められるとしても、反映論的解釈にあっては人間は客観的実在の反映=模写としての真理に従属せざるをえない。だが、マルクスの意識論には、意識をもっぱら反映=模写に還元するところは微塵もない。意識は各個人の意識として自在に機能している。たしかにマルクスは、人間各個人の存在が意識を規定することを語った。しかし『意識=反映』論の誤読を反省すれば、存在に規定される意識が各個人の解放力になりうることをマルクスが認めていたのは明らかだろう。・・・」
また[実践的唯物論]の項では次のように記されている。
[実践的唯物論]・「・・・〈対象の主体的把握〉とは、・・・人間にとっての具体的対象を・・・何世代にもわたる人間の実践によって媒介されたものととらえることである。したがってこれは認識に携わる者の主体的立場を問い直すことでもある。すなわち『客観的科学』を標榜する者が想定するように、認識の対象は認識者と切り離されて向こう側に在り、認識者はそれを外側から『客観的』に考察するというのは錯覚でしかない。それこそあ『観照』の立場であった。/逆に認識主体は、まず対象との実践的関わりを明確に自覚し、それによって自らを対象世界の特定の場所に位置づけ、その位置から対象を理論的に把握しなければならない。こうすることで対象は観照的・外在的にではなく、内在的に把握されるのである。・・・」
そして現在論議の焦点である[アソシエーション]については、 『アソシエーション』・「・・・マルクスのアソシエーション論の原像は『ドイツ・イデオロギー』の『諸個人の連合化』論で成立する。『諸個人の連合化』論は自立化/服属視点と個人性生成視点の二つの視点から展開される。つまりそれは、一方では社会的権力として諸個人から自立化した諸個人自身の社会的諸力を、諸個人のコントロールの下に服属させることが唯一可能な社会形態であり、他方では『諸個人としての諸個人の交通』『トータルな諸個人への諸個人の展開』がその下ではじめて可能となる社会形態なのである。未来の社会形態としての『諸個人の連合化』は・・・個人性の本格展開と共同社会性の自覚的組織化という二つの要請を実践的に綜合する〈形態〉として了解されるべきである。・・・」
この他本書には、従来余り重要視されてこなかった諸項目──[意味と価値][協同組合][社会システム][自由時間][女性][テクノロジー]など──や国・地域項目──インド、アイルランド、ポーランドなど──が記載されている。
このように本書は、いわゆる「正統的」マルクス主義から離れて、マルクスの思想をマルクス自身のポジションから把握する試みであり、時宜に適った書であると言えよう。ただ事典という性格上、それぞれの項目の長さに制限があって必ずしも充分に説明しきれていない項目が存在することと、解説者多数のためか、その内容レベルに玉石が混淆している──最新の研究成果を踏まえたハイレベルの解説から、従来の通説をまとめただけの通り一遍の解説まで──ことが残念である。さらに付け加えるならば、本書の高価格もまた阻害要因と言えよう。とはいえマルクスの思想についてのこのような試みは、今後も継続して企画されるべきであり、本書を契機にラディカルな批判と議論が引き起こされれば、と思う。(R)
【出典】 アサート No.247 1998年6月26日