【書評】漫画で描く障害者問題の本質
山本おさむ『どんぐりの家』のデザイン』(岩波書店、1998.5.26.発行、1500円)
アニメ『どんぐりの家』の自主上映が静かな広がりを見せている。その原作者の漫画家・山本おさむが、これまで描いてきた障害者を主人公とする漫画(『遥かなる甲子園』、『わが指のオーケストラ』、『どんぐりの家』の制作過程を通じて、障害者問題、障害者観を考察したのが本書である。
著者はまず、社会にこれだけ漫画があふれている中、漫画界でなぜ障害者を描くことがタブーとされてきたのか、と問いかける。そして「差別語」を書かぬこと、「差別に関する語」を描かぬこと、という漫画界の暗黙の了解事項が「抗議そのものを恐れる自己保身の態度」であるとともに、「『差別』を受ける人たちの人権に配慮するという大義名文のもとに、実際には差別語のチェックを越えて、そのような人たちに関する問題自体を表現しない、という妙な構造を作り出していた」と指摘する。
そして「『障害者問題』というとき、何やら障害を持っている人々が問題を抱えているような印象を受けるが、とんでもないことだ。(略)問題を起しているのは差別する私たちの方ではないか。『障害者問題』とはおこがましい。実は、健常者が障害者に対して差別するb「う問題を背負っているのであって、主語が全く逆ではないのか」と問題の所在を明確にする。
しかしこのような認識は未だ社会的には極めて少数であり、圧倒的な多数は、そこに障害者に対する悪意が存在しないままに、障害ばかりに目を向け、彼らを能力のない、劣った人間と見なしてきた、と著者は述べる。
「私たちの視野には障害を持つ人々のことなど入っていなかったのであり、いわば自然に、無意識のうちに彼らを劣った人間と見なし排除してきたのである。それは私たちが歴史のなかで積み重ね、醸成してきた、いわば社会意識であったろう。このような障害者観は、長い時間を積み重ねて作られ、受け継がれて今日に至っているのである。そして我々の意識のなかにはもちろん、民法や道路交通法、ひいては野球憲章のなかにまでその痕跡を残している」。
ここから著者は、「障害者」に対するイメージ」が「~できない人」という否定型で語られるものではないことに気づき、「やりたいこと(権利)を様々な理由(主に差別)によって阻まれている人」「差別的な状況に挑んで実現しようとする人」という像で描くことになる。この障害者像が結実したのが、沖縄の北城ろう学校野球部の県高野連加盟問題をめぐって野球部員が成長し社会へ巣立っていく過程を描いた『遥かなる甲子園』である。
続いて、上の障害者観とろう教育の関係を扱った作品『わが指のオーケストラ』がかたられる。これは、大阪市立ろう学校の校長高橋潔の教育活動の軌跡を軸に展開する。この作品で問題となるのはろう教育の方法論──手話法と口話法であるが、ろう教育界で政府文部省の支援を受けた口話法陣営と少数派の手話陣営である高橋・大阪市立ろう学校の対立となる。
著者は、この問題に関して、「手話・口話論争は単に教育方法の論争にとどまらず、実は両陣営の障害者観の戦いだった、と私は理解している。口話陣営は『ろう児が手話をしなくてもすむ世界、手話のない世界』を目指し、手話陣営は『ろう児が手話をする世界、手話が認められる世界』を目指した」とする。そしてこのことは障害者観の問題としては、「手話陣営は、障害者であることと人間であることを分けて考えなかった。
『障害者はそのまま人間である』と考えたのに対して、口語陣営は『障害者は正常な人間ではない』と考えた。そしてその異常=障害を正常化することが教育の目的であると考えたのだった」ということになる。
著者はここにいたって、「障害者問題は健常者問題」という視点をさらに明確にすることで、「ノーマライゼーションの理念」に賛意を表明する。すなわち「bアでは、『障害』を老人や子供や女性など同じように、様々な人間がそれぞれに持っている条件や特性として理解しようニしている。この考え方は『障害者』『健常者』という二分法からの解放を意味しており、さらに、様々な条件を持った人々が平等に社会の一員として存在する社会がノーマルな社会である、としている」。それ故この視点からは、障害者の正常化ではなく、障害者をとりまく社会の正常化こそがはかられねばならないのである。
このように著者は、障害者問題を扱うことによって、かえって問題が社会そのものにあることを解明し、われわれの障害者観をも含めて近代社会を推進してきた思想(生産力主義=競争原理)とそのシステムを問い直すことを主張する。このことは、次の『どんぐりの家』において現実化する。この物語は、ろbニ知的障害という二重の障害を持った「ろう重複」障害児を題材にしたものであるが、ここにおいて著者は次の視点にまで到達する。
「結局、いろいろ悩んだ末にいちばん単純なところに行き着いたのだった。それは、生きているということ、障害を持つその子の生命、存在そのものをそのまま丸ごと受け入れるということ、それが『障害受容』ではなか、ということだった。この世に誕生した生命は、どんなに重い障害を持っていようとも育ち、発達する力、すなわち『生きようとする意志』を持っている。(略)この意志を発見し肯定することが『障害受容』であり、『人権』の根本なのではないだろうか」。これは、ノーマライゼーションの理念と通じる「『生命』を肯定する論理」「『共生』の論理」であるとされる。すなわち「自分が一所懸命生きることが他人の生きることを支えている、自分の生命と他人の生命が根っこのところでつながって、互いに支えあっている関係」である。
このように本書は、著者の深められていく障害者観の変遷を、その作品との関わり合いを通じて描いたものであり、著者の差別に対する感性の鋭さと謙虚な姿勢が印象的である。本書とともに、著者の漫画作品そのもの──『遥かなる甲子園』、『わが指のオーケストラ』、『どんぐりの家』──を是非とも読まれるよう推薦する次第である。(R)
【出典】 アサート No.249 1998年8月22日