【投稿】戦後民主主義を問い直す No7
<自立した思考>
依辺さんの投稿「何が問題かー戦後思想の課題」(アサート247号)を読ませて頂いた。さっそく次号に投稿すべきだと思ったが、参議院選挙の関係で時間が取れず、今回にならざるを得なかったことを編集部にもお詫びしたい。さすが依辺さんである。地方分権について、シリーズで本誌に投稿された時も感じた事であるが、依辺さんは物事をまず、徹底してあるがまま、リアルな目で捉えつつ、決して現状維持派にはならず、かといって現状をまず否定してかかる立場からの今日はやりの「改革派」にも流されず、物事の肯定すべき、維持していくべき面と改革していく面を踏まえた論を展開される。そして今議論し突きつめなければならない事は何か、何故に突きつめなければならないのかを思考しつづけながら、論理的に提起していくのである。まさに自立した思考者である。今求められているのは、こうした一人一人の自立した思考である。
今回の依辺さんの投稿には、多くの「戦後思想の課題」が提起されている。いくつか印象的な点をあげてみる。依辺さんは「戦後政治思想が大きく欠落させたテーマの一つが公共性にまつわる議論」であるとし、何故に欠落させたかといえば「公共性を民主主義とって否定すべき概念と捉えたからだ」と述べている。そしてそれは「戦後の民主主義思想が戦前の思想、戦前の国家体制の徹底的な否定によって形づけられたがゆえに、あらゆる国家的なものは否定されてきたからだ」と論を発展される。「特に、明治天皇制による国家と政府の一体化が、戦争責任の追及による過去の、そして過去の政府を清算しない現在の政府の否定を、国家の否定へ論理的に飛躍させてしまい、国家の影がちらつくものすべてをナショナリズムで危険なものと排斥し、国会の脱構築を進めたのが戦後民主主義」」であったと分析している。そして、依辺さんが公共性を重視するのは「民衆が、自己の私的利害、得失を離れて自己を超えた公共的見地に立たなければ、民主主義なるものは私欲の最大限化を図るための『欲望民主主義』に変質する。」からだという。重要な指摘だと思う。
わたしが戦後民主主義を問いなおすべき主要な点の一つとして提起しようと思っていたことは、まさにこのことである。そしてこのあたりの問題について、最近特に注目される論者が、佐伯啓思であるということについて、「やはり依辺さんも佐伯啓思に注目していたか。」と納得するとともに、新たな勇気がこみあげてくるのである。
アサートに最初に「戦後民主主義を問い直す」と題して投稿したのが1997年の5月である。その年の7月に佐伯啓思の「『市民』とは誰かー戦後民主主義を問いなおす」(PHP新書)が発刊されるのである。サブタイトルがまさに同じであった。そして、その内容たるや、私が整理しようとしてなかなか整理できない問題意識が、その本質から整理されていることに「やっぱり学者や。こういう人を学者というんや」という深い感銘を覚えたのである。この著作を前にして、私がいまさら、チマチマ「戦後民主主義」の問題点をアサートに書き綴るより、この本の書評を書くほうがよっぽど私の真意が伝わるのではと、何度思ったかも知れない。しかし書評はなかなか難しい。何故に今その本を書評するのか。みずからの問題意識とどこでぶつかり、それが現代社会の焦眉の課題とどう関わっているのか。読者がその本を実際に読むと言う行為を起こさせるエネルギーを秘めた書評はなかなか書けるものではない。大概が、書評氏のこれまでの価値観を再認識するための書評か、自らの価値観を「啓蒙」「解説」するための書評である。私がここ10年あまり必ず目を通す書評氏の一人が鷲田小彌太である。たえずみずからのこれまでの思想基盤を現実と衝突させ、みずからの思想の持続すべき面と突き崩すべき面との思考の道筋が肌で感じられるからである。
依辺さんは思わず言う。レッテル張りが好きな人は、佐伯啓思に西部*と同じく保守主義者というレッテルを貼るだろうと。依辺さん。あなたがそうことわらざるをえない気分は分かりすぎるほどわかりますが、「保守主義者」というレッテルは、佐伯、西部両氏にたいするレッテル貼りにはならないのではないですか。彼らは自らを保守主義者と自負しているのですから。レッテル貼りが好きな人の彼らに対するレッテルは、「保守反動・右翼軍国主義者」でしょう。そう決め付ける事によってその人との対話や議論を、はじめから拒否するのである。それが依辺さんが指摘する戦後民主主義のもう一つの問題点である。
つぎに、「ポリティカル・コネクトネス」という概念を紹介し、「歴史的な法律・道徳・習慣・伝統などに照らしての正当性よりも、現在の人々が置かれている現実の政治的・社会的、社会的な状況に照らしての正当性を優先すべきだという考え、すなわち「法や制度よりも風潮が容認する正当性が優先される社会」に、ますます今日の日本社会がなってきており、特に人権、平和、環境など近代的な普遍価値があらかじめ前提となっている政策分野では、もろにその影響を受けやすいので特に注意が必要だと依辺さんは指摘している。
この指摘は、歴史認識においてとりわけ重要だと強調したい。簡単に言えば過去の歴史を現在の基準で裁いてはならないという事である。その時代時代の条件の中での法律・道徳・習慣。伝統に照らして物事を認識することをせず、今日到達した価値基準をものさしにして過去の出来事の善悪を決め付けがちな今日の社会風潮への鋭い批判である。
アサート246号で依辺さんに投稿をお願いした私の呼びかけに、さっそく本格的に応じてくれた「何が問題かー戦後思想の課題」に対する私の共感はこんなところである。
<風潮が容認する正しさが優先される社会>
「従軍慰安婦問題の何を議論するかについては織田氏の提起は未整理である」といわれる。どこが未整理なのか、考えてみた。語っていない点はまだまだあるが、ポイントは押さえているつもりだと思っているんですが。
「元慰安婦が直接日本政府に対して補償を要求するという枠組みそのものに疑問がある。元慰安婦が軍と直接の身分関係にあったわけではない事は明らかなので、もし補償を課題にするなら自国政府を通じた国家間外交の課題とすべきである。また対象者をどの範囲とし、どのように認定して補償するのかという問題もあるし、戦争被害者補償をこの時期に拡大するのなら、他のさまざまな戦争被害者に対してどのように対処するのかも明確にする必要があろう。政策化には余りにも問題が多い。」これは卓見である。アサートによる従軍慰安婦論争もここまで来たという意味では、本当に高まったと思う。ここには元慰安婦個人補償要求の問題点が現実的まつ本質的に提起されているということに、アサート読者は同意されるであろうか。
私が「戦後民主主義を問い直すNO2」でつぎのように書いた事とつながっていると思っている。「当時の日本政府・軍が国策として『強制連行』を行ったか否かが、当時の戦時国際法に照らして国家犯罪か否かに直結するからである。もし、『強制連行』が確かに存在したとしても、『極東国際軍事裁判』によって日本の戦争犯罪が裁かれた経過、ならびに戦後日本政府と中国、韓国、東南アジア各国との間で交わされた条約や戦争賠償金の支払いの経過からして、今日日本政府が被害者のかたがたに国家による個人賠償をするべきか否かについては、国際法、国内法的に大いに議論のあるところだと思う。」とやや控えめに書いた。
「しかし日本は何一つ『賠償』を行っていないのですから、『軍隊慰安婦』だけでなく、すべての植民地出身者等に対して国をあげた賠償が必要なのだと思います。(アサート242号大阪Sさん)という論調や、「織田氏や依辺氏の意見に一言。従軍慰安婦への補償について、証拠が明確でないとか、戦争被害補償が拡大されたら困るといった認識自体がアジア民衆との対話を妨げている事を考えるべきです。第二次世界大戦の敗戦に至るまで、日本が果たしてきた否定しようもない犯罪的現実に対して、掘り下げてさらに真実を明らかにし、真摯に反省する姿勢がまったく感じられません。」(アサート248号読者の声大阪Y・I)に代表される「風潮」が日本を覆っているのである。依辺さんが強調される「法や制度よりも『風潮が容認する正しさ』が優先される社会」とはこのことである。戦後日本政府が諸外国と交わした「戦後処理」に関わる条約や賠償金の支払い内容について、われわれ日本国民はどれほど正確に認識しているであろうか。
<日本の戦後補償の取り組み>
「『戦後補償論』は間違っているー『敗戦国外交』からの脱却に向けて」(岡田邦宏著 日本政策研究センター 平成8年版)からの引用で、簡単に説明したい。
(1)元慰安婦をはじめ、サハリン残留韓国人、英国ーオーストラリアの元捕虜、「強制連行」されたという韓国人、戦争被害を受けたと主張する中国人・・・こうした人たちが被害補償、賃金の未払い、人権侵害などを理由に日本政府に対して「補償せよ!」と要求している額は、毎日新聞の集計によれば、19兆3千億円になるという。(平成6年)
(2)今日の「戦後補償」要求は、個々の要求がすべて事実であり、それに対しての当時の日本国に法的責任があるという前提がなければ成り立たない。また、責任があったとしても、日本が関係各国との間で「戦後処理」に関わる条約や協定を交わしてこなかったという前提がなければ、要求する根拠は成り立たないのである。
(3)日本は課せられた戦後処理を誠実に行ってきたことは事実であり、さらにその上で、更なる「補償」をというのであれば、それは「無限責任」を認めるに等しい。
(4)戦後、日本の賠償・補償の大筋が決定されたのは対日講和条約であるサンフランシスコ平和条約においてである(45カ国との間で締結)。その後日本の戦後処理が本格的に始まる。
(5)アジア諸国に限って言えば、フィリピン、ベトナムは日本と賠償協定、借款協定を締結。フィリピンには賠償1980億円、借款900億円(供与開始昭和31年)。ベトナムには賠償140億円、借款60億円(同昭和35年)。インドネシアは賠償803億円、借款1440億円(同昭和33年)。ビルマには賠償720億円、借款180億円(同昭和30年)。カンボジア、ラオスは講和条約で規定された賠償請求権を放棄したが、日本は賠償に代わる措置としてカンボジアに15億円、ラオスに10億円の無償援助を行った。韓国は連合国ではないために賠償は請求できなかったが、昭和40年日韓基本条約と同時に経済協力協定が結ばれ、日本は無償経済協力1080億円(3億ドル)、有償経済協力720億円(2億ドル)、そして3億ドル(1080億円)以上の民間借款を供与した。
(6)支払われた賠償、補償の総額は、3565億円(供与当時の円価格)の賠償金と、2687億円の借款で合計6252億円にのぼる。これを昭和30年から23年間かけて支払い完了したのが昭和52年である。もっとも早く昭和30年に賠償協定が結ばれたビルマの場合、総額900億円であったが、その年の政府予算は9900億円である。いかに10年払いとはいえ政府予算の9%にあたる。フィリピンの時の政府予算は約1兆円である(昭和31年)。20年の分割とはいえ予算の3割近い賠償を支払ったのである。韓国の時の昭和40年でさえ予算は1兆7600億円、予算の1割を超える1800億円(5億ドル)を供与した。当時の外貨準備高が18億ドルであった。
(7)この他にも、日本が海外で保有していた在外資産は、政府が海外に持っていた預金、満州や朝鮮半島の鉄道、工場、個人の預金、住宅に至る資産はすべて放棄させられた。終戦直後、日本銀行が大まかに集計した数字でさえ約1兆1000億円に達するという。
<戦後補償の事実を正確に認識すべき>
いずれにしても、日本がいかに誠実に賠償・補償を実行してきたか。これらはすべて国民の税金によってまかなわれてきたのである。こうした事実を無視して、「日本は何もしてこなかった」とどうしていえるのか。われわれ日本人はもっとみずからの国が行ってきた「戦後補償」の事実を正確に認識すべきではないだろうか。これら諸外国と日本との間での賠償交渉の経過、そして賠償協定、借款協定の内容を十分に踏まえながら、なおかつ戦後53年たった今、何故に日本が諸外国に新たな戦後補償をしなければならないのか、国際法に照らしてその責任が存在するのか否かについて、実証的に明らかにしていく事が必要だと今切実に思う。
そして日本政府に新たな戦後賠償を要求する場合、19兆3千億円もの補償賠償額を日本国民が支払う覚悟を持って、国民全体にも納得させられる事実と根拠が明らかになっていなければならないのは当然のことである。
依辺さんがいう「元慰安婦が直接日本政府に対して補償を要求する枠組みそのもの」が問題だという指摘はまったくそのとおりだと思う。新たな補償を課題にするなら自国政府を通じた国家間外交と課題にすべきなのは、当然である。しかしその場合でも、事実関係が明確になっている事は当然である。事実であったとしても、問題は山積している。国家と国家が結んだ平和条約に基づく、賠償、借款協定に合意し、それが終結した後何十年が過ぎても、一方の国がまだ戦後賠償があるとしてあらたなに要求する事に、相手国が応じなければならない義務が、国際法上存在するのか。もしあるとしたならば、世界各国で戦われた戦争での「戦後補償」をめぐって、新たな交渉が連綿と続いていく事になるだろう。まさに「無限責任」である。
大戦末期に、アメリカ政府が日本国内の主要都市を無差別爆撃し、広島、長崎に原爆を落とし民間人を無差別虐殺した行為は、明らかに戦時国際法違反である。しかし日本はそのことも踏まえ、サンフランシスコ平和条約に調印し、国内の被害者に対する補償は国内問題として、日本政府の責任で処理することが国際的に決定したのである。今改めてアメリカ政府に、日本の被害者やその遺族が「戦後補償」を要求して、アメリカ政府は相手にするであろうか。それぞれの国の「戦後補償」をめぐって世界は大混乱を起こすだろう。この問題は、本質的にそんな内容を含んでいるのではないか。国際法、戦時国際法の専門家からの見解をぜひ聞きたいものである。
元慰安婦問題の根本は、国家として強制連行したかどうかが国の責任を問える根本である。あるひとつの軍が軍のみの意向や、ある兵士たちの単独行動で強制連行があったとしても、それはその軍の責任者、兵士がその時代の法に基づき処罰されるのである。処罰するのは国家権力である。現に一例だけ、明らかになっている。オランダ女性を現地の軍が強制連行し慰安婦にした。その事実は明らかになり3ヶ月で強制的に閉鎖させられている。あくまでも問題は、国策として慰安婦の強制連行が存在したのか否かにつきるのである。
しかし、「法や制度よりも風潮が容認する正しさが優先される」今日の日本社会では、私の真意はまだまだ理解されないだろうと思っている。今後反論があれば、さらに探求を深め、論争に参加していきたいと思っている。今の私の問題意識は、(1)日本の近現代史を核としながら、世界史の中に日本の歴史を位置付け直してみなければならないということ。(2)戦争論の整理と、国際法、国際条約の関係の問題。(3)グローバリズムとナショナリズムの関係から、国際金融市場の発展と近代国民国家の今後の機能変化についての問題、ポストモダン時代における国民国家論とは何なのか。そこにおける民主主義制度の在り方について、勉強していきたいと思っている。今回で、このシリーズを終えます。最後まで掲載して頂いた編集子に感謝申しあげます。(1998・8 織田)
【出典】 アサート No.249 1998年8月22日