【書評】特攻隊員から平和運動へ
信太正道『最後の特攻隊員–二度目の「遺書」』(高文研、1998.9.20.発行、1800円)
「災害救援」の名目で自衛隊の海外派兵が既成事実として積み重ねられようとしている時期に、本書はタイムリーな書であろう。
著者は、戦前は海軍兵学校~神風特攻隊員として死の崖っ淵に立たされ、戦後は海上保安庁で朝鮮戦争の掃海作戦に参加、その後海上・航空自衛隊のパイロットを経て、日航機長として空を飛ぶという波乱多き人生を送ってきた人物である。
それ故著者の歩んできた道は、戦前戦後を通じてのわが国の軍隊組織の性格を問う素材に満ちている。
例えば、敗戦によって特攻隊が解散帰郷する際に行なわれた司令の訓示を聞いて、「戦争中にも、戦争に疑問を持ちながら戦い続けてきた大先輩のいたことに、複雑な気持ちになりました」と感想を述べたすぐ後に、「もっとも、この司令は数名の兵隊を使い、民生に使える軍需物資を大量に自宅に運んだと伝えられています。これが職業軍人の本当の姿であったのでしょう。たてまえと本音の使い分け、これが軍人精神であるとわかったのは、私が本当の大人になってからでした」と指摘することで、帝国軍人の姿を見る。
あるいは、戦後のある時(1950年)、富岡少将(太平洋戦争開戦時の軍令部作戦課長)との会見で、海軍の本音に触れて愕然とする。それは次のような場面である。
「富岡少将はまた、私に聞きました。
『日本の仮想敵はどこかね』、『ソ連です』
『海軍の仮想敵は?』、『・・・・?』
『海軍はアメリカを仮想敵にして、アメリカと戦ったのだろう』、『はい』
『ではなぜ海軍はアメリカを仮想敵にしたのだ?』
そんなこと、二四歳の青年に答えられるわけがありません。もじもじしていると、彼は言いました。
『もし、海軍がソ連を仮想敵にすると、海軍は陸さんの運送屋にされてしまう。それでは海軍は陸の三割も予算が取れない』
やっとわかりました。海軍の敵はアメリカではなく、陸軍だったのです」
国を守るのではなく、ましてや国民を守るものではない、自分たちの「組織」のみを守ることしか念頭にない軍隊の本質は、現在の自衛隊においての根強く残っているし、また「仮想敵」を次々とつくり出していくことでその「組織」を維持していく努力は営々として続けられている、と著者は指摘する。その代表的なものは、こうである。
「1953年のスターリンの死は、全自衛隊員にとって大ショックでした。これは一般市民には理解しにくいかもしれません。『ソ連の脅威』が消滅し、自衛隊の存在理由が消滅する恐れがあるからです。(中略)私たちには・仮想敵・の存在が飯の種なのです。91年にソ連が崩壊したときも、自衛隊員にはやはりショックだったと思います。
ところが、イラクのフセイン大統領が救世主のなってくれました。しかも、棚からぼた餅に『国際貢献』のおまけまで付いてしまいました」。
このような軍隊を体験することで著者は、現在の自衛隊の本質が、アメリカの「フェンス(防波堤)」であり、「米衛隊」であることを確信し、次第に批判的姿勢を強めて、日航退職(1986年)後は、平和運動に邁進することになる。
その内容は、池子米軍基地住宅建設問題、硫黄島での米軍機発着問題、大韓航空機撃墜事件訴訟の証人、スミソニアン博物館での「原爆展」中止問題、ゴラン高原PKF違憲訴訟の原告等々と多岐にわたり、いずれも元航空自衛隊および日航パイロットとしての経験から、説得的な現実的視点を提起している。
それらは、海外邦人の救出を民間機で行なうことの適切さ(自衛隊機で行なうことの不適切さ、危険さ)の検証であり、「国際貢献」という美辞麗句の下に隠された自衛隊の海外派兵の危険性の暴露であり、軍事理論的に決定的重要性をもつ、「米海軍の父」マハンの戦略──海軍戦略は、戦争によって獲得し難いような、ある国の重要地点を、平時に購入または条約締結のいずれかによって占有することにより、最も決定的な勝利を収めることができるとする(沖縄のような、領土所有ではなくて領土占有がその例)、また海外貿易の大中心地の至近にある同盟国の港の中に基地を見つけ出し通商破壊の準備とする(横須賀の例)等々──の的確な指摘である。
以上のような立場から著者は、近年の自衛隊の動向に危険を察知して警鐘を鳴らし続ける。そしてそれは、太平洋戦争末期に特攻出撃の前に書いた(書かされた)「遺書」に対して、人生をふりかえって書いた二度目の「遺書」としての本書として結実する。この意味で本書は、具体的経験からの反戦書として価値があると言えよう。
ただ本書の場合、著者が平和運動に力を注げば注ぐほど、日本の平和運動の現状との間にギャップを感じさせるということも指摘しておかねばならない。著者の平和に対する「善意」について疑いをさしはさむことができないが、その「善意」を運動として拡げていく過程でのさまざまな障害のあらわれを本書のあちこちに見ることができる。これは、著者の責任であるというよりもむしろ、運動を進める側の責任であると言わねばならないであろう。すなわち、せっかくの著者の鋭い現実的な視点も結局は散発的・党派的なものに終ってしまうという事態そのものが、現在の平和運動の狭い枠の限界を示している。著者のような「善意」が幅広く受け入れられるような社会運動・平和運動の厚みと深みの時代の到来を期待したい。(R)
【出典】 アサート No.252 1998年11月21日