【投稿】川上徹著『査問』の意味

【投稿】川上徹著『査問』の意味
       (川上徹著『査問』筑摩書房刊、定価1800円)

ふるい記憶の中に点灯して残る同時代の思想家が、私には何人かいる。しかしそれはその時代が過去のものとなり、その思想家が後にたどった道筋によって関心や記憶の程度も異なってくる。かって敬愛していた故に、その思想家のその後に失望し意識的に記憶の中から排除しようとしたものもある。本書の著者川上徹の場合、あるところから途切れており、私の中でほとんど忘れられていたのであるが、通勤の途中、偶々立ち寄った書店の本棚に見出した一冊の本の奥付けに、その名前を発見したとき、ふるぼけた記憶の一部があざやかに蘇ってきたのである。川上徹というのは、あの全学連の委員長であった川上徹だろうか、という思いと、当時(六〇年代末期)私たちがセクトの典型とみなしていた雑誌類に名を見たことのある、あの人物と同一だろうかといった疑いであった。
それにしてもあの川上徹が活動していたということは感動的であった。そうかあのころ指導者の立場にいた人たちは、もう五十代の半ばを過ぎているのだ。急に私の内部で三十年も前のことが生き返った。一九六七年に京都の私立大学に入学した私にとって学内は既に騒然としているように感じられた。つぎつぎと起きる社会的事件を、父が共産主義者であった故に理解することができたけれども、そこで触れるものは自分の生活や知識とは隔絶するものが多かったのである。
そのころの「新左翼」と呼ばれた学生運動家の一般的傾向としては、難解な用語をふりまわし行動を促すことに性急で、実のところ私が父親経由で得ていたマルクス主義の理解では理解不能といったものが多かったのだ。殊にそこで語られる「疎外」や「実存」ということばは、本当のところ当人の情緒的な表現以上のものではなかった。
だが雑駁な知識の吸収の中から、その正体が「トロッキイズム」であること、彼らはすでに日本共産党と決別しており、急進的で日本社会党とは別のマルクス主義をもっていることなどは分ってきた。そしてそのきっかけは一冊の新書版であり、その著者のひとりが川上徹であった。私は彼の名をその本で覚えその後彼の書くものを読んでいったのである。
だがその名前を、たとえば「新左翼」の活動家たちが語るようには、私は語らなかったように思う。それは胸中にひそかに秘されている名前であった、今、ふり返ってみると当時私はこう考えていた。私の入学した仏教ミッションの大学は、施設設備の面でも思想水準においても後進的であり、そのような場で他で展開される大学「解体」論を無媒介で主張したり、反対にセクト的な主張をクラス討論の場で繰り返すのは無意味である。学内の多様な見解を統一させる場を保ちつつ、全体として大学の「近代化」を推進させねばならない。そのためには性急なセクト的主張を排して現場の実践を優先させつつ反動的右翼的立場を孤立させていかねばならないと。このような考えが当時の熱狂的な学生運動家や「君たちのいうことはオジサンやオバサンの共鳴を得られない」と説教する人たちに好意を持ってむかえられるはずもなく、有効な組織も方法も持たぬ私はやがて自分の孤立を自覚することとなるのである。
川上徹の名が忘れられていくのもそのころであって、一九六八年から六九年にかけて、彼らが「民主化行動委員会」と名乗り出してから、私は彼らの主張に批判的にならざるを得なくなったのである。ただひとりだけ記憶に残る民青の女性同盟員の先輩だけが、私の主張を聞いてくれるのであった。本書『査問』はいわば私の記憶の中から消えていった川上徹がその後どのように生きていったかを詳述したものである。それは一九七二年日本共産党内に発生したといわれる新日和見主義分派と呼ばれる事件をめぐる十二日間の査問とその後の川上徹氏の思索の後を記したものである。しかし本書はその題名から推して、査問の可否、また自己の正当性のみを述べ立てたものではない。「糾弾ならもっと早い時期にやっていた」と氏はいう。それならば本書で問われるのは可否や正当性の言挙げではない。川上氏の生きた内容なのである。
「査問」という体験を通して共産主義者としての自分の生き方をどうつらぬいてきたか、その「歴史」が本書であるのだ。そう考えるならば査問以後二十五年を経て今日川上氏がその体験とそれ以後の思索を公けにしたことの意味があきらかになるはずである。それだけ思策を深め思想的に深めていかなければ個人の体験は「歴史」とならず糾弾したり反発することに終始し客観性をもたなくなりやがて転向といった現象になるであろう。
本書を読みながら私が得た感想は、ここにはあの「トロッキイズム」批判を行った川上徹はそのままいて、集団的に方向転換していったのは日本共産党の方であったということが明瞭になるということだ。氏は自己の体験を歴史化し糾弾しないことにおいてこの明瞭さを示したのである。その意味で氏の姿勢は二十五年前も(それ以前の本書で触れられることのない書物も含めて)一貫しているのである。この日本共産党の集団的方向転換の結果が大衆運動-殊に部落解放運動における分裂であった-に対する介入であり今日の選挙党への変貌であったのである。
本書はまさにその変貌の分岐をあきらかにしたといえるであろう。それにくわえて本書は多方面にわたり深い内容を含めている。この分派事件に連座した人々のその後の人生。離党した哲学者古在由重の晩年の姿などもしるされている。今日のマルクス主義と共産主義運動に関心を持つ多くの人々が読み、今後を考えるうえで貴重な文献となることを私は疑わない。本書を読了して私は左翼崩壊期といわれるこの時代に優れた思索のあることをあらためて実感した。どんなことでもいい。あの六〇年代から七〇年代初頭にかけて考えていたことを体験したことを、みんなはもう一度文章化し提起すべきである。各人は各人の歴史を持っている。自分の思索はどうであったか。どのように自分の思索が推移していったか。沈黙には意味があるはずなのだ。川上氏は沈黙を守った。それがたんなる-当時私たちがいった「党物神崇拝」でなかったとすれば-「党」への没入ではなかったとすれば氏の「新左翼」トロッキイズム批判には傾聴すべきものがあったのだ。そうした意味も含めて私たちは考えるべきことが多いのである。
ゆくりなくも私はこの意気消沈することの多い時代の中で、本書を読みながらそんな思いにかられたことであった。(K.I)

【出典】 アサート No.253 1998年12月19日

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