【本の紹介】『破戒』のモデル 大江礒吉の生涯
「『破戒』のモデル大江礒横吉の生産」というタイトル名の本が、昨年(1996年)の12月、解放出版社から出版された。書名を見ただけだったら、私はきっとこの本を読むことなく過ごしたと思う。なぜなら、高校時代に、島崎藤村の「名作」の一つとして、「破戒」を文庫本で読んだ時、小説の終末に何か釈然としないものを感じ、余りいい印象を持っていなかったからだ。無論、その頃高校生の私が、「破戒」に対する部落問題の観点からの様々な批評や、主人公丑松の生き方に関する論議等を知るよしもなく、ただ、被差別部落出身の青年教師・瀬川丑松が、「いかなることがあっても自分の出身を隠せ!」という父親の戒めを破って、その「素性」を告白し、教え子に頭をさげて新天地アメリカをめざしてテキサスに赴くという結末が、(これでいいのかな?)と疑問に感じた記憶がある。
その後、私は教職に就き部落問邁や解放教育について学ぶ中に、「破戒」そのものの差別性や社会的責任を認識するようになり、丑松の生き方を否定するようになっていた。と同時に、主人公のモデルが誰なのかを知らぬまま、その人自身をもいつのまにか「差別と関わず逃げた人」として勝手に思いこんでいた。だから、この度「大江磯書の生涯」を書いた荒木謙氏の紹介記事(日本経済新聞)を読んだ時、強烈な印象を受け、すぐに手に入れ読み始めた。
著者が述べている本書の主な目的は、「小説『破戒』のモデルとはやや距離をおいて、大江自身の生涯を、その時代的背景をも含めて事実にそくして明らかにし、彼の『生涯史』を完成すること」にあり、その資料の収集だけで5年の歳月を要したそうだ。それだけに、生徒によって「素性」があばかれる経緯等は実に生生しい。そうした過酷な時代にあっても、自らの主張・生き方を変えることなく、「闘わず逃げた人」どころか「差別と果敢に闘い信念ある教育者」として生きたのが、大江礒吉であった。信州から大阪へ、大阪から鳥取へ差別ゆえに追われた礒吉だが、鳥取師範学校では「部落民宣言」を行っている。
そして、私が感銘を受けたのは、「差別に負けず」生きた大江氏ではなく、どんな状況にあろうとも、いつも自分の為し得る最大の努力をしたと思われる大江氏の人生に対するひたむきさである。算困にあえぐ家庭にあっても勉学に勤しんだ幼少期、放逐されても新たなる職場で真剣に教育実践に取り組んだ教員時代等、いつも前向きに未来を信じて生きた大江礒吉の生涯は、「被差別部落出身」にも関わらず差別に負けることなく中学校長にまでなったから、評価されるといった低次元で語られるべきではない。そのことは、最後の赴任校一兵庫県の柏原中学校で「理想の学校」を創ろうとした大江氏の、近代教育の先駆者たる生き方を検証するだけでも、言えることだ。
最後に、丑松のモデルに対する誤った認識を持ち続けて来た者に、正しい認識を与えて下さった荒木謙先生(現、兵庫県立柏原高等学校教諭)に深く感謝するとともに、まだ本書をお読みになっていない方に、ご一読を強くお薦めしたい。
(大阪、田中雅恵)
【出典】 アサート No.235 1997年6月15日