【本の紹介】がん治療と未必の故意 近藤誠著
『患者よ、がんと闘うな』96/3/30発行、文芸春秋社刊、1359円
『それでもがん検診うけますか』94/11/4発行、ネスコ/文芸春秋社刊、1500円
『がん専門医よ、真実を語れ』97/3/1発行、文芸春秋社刊、1500円
<<許さるべきではない治療行為>>
ごく最近、筆者の尊敬する先輩が亡くなられた。尊敬というよりも、敬愛というか、その容貌からはとても想像もできないような軽妙洒脱で鋭い観察眼、眼力を備え、混沌とする現在の政治・経済・社会・文化をバッサバッサとなで斬りにし、このところ少し駄洒落がいきすぎてはしまいかというきらいはあったが、その表現力の豊かさ、文章のうまさには実に感嘆させられるばかりの健筆、頑健、活動的な闘士であった。権力風を吹かせる者、知ったかぶりの傲慢不遜な論者に出会うと、顔を少し斜めにして、ふんふんと聞きながら、相槌までも打ちながら、すべてを疑う姿勢が丸見えの強烈な個性の持ち主であった。
そのような方にして、ご自分の病気、がんの進行について、その治療方針について、あるいは広く現在の医療、医学界について疑いの眼を貫徹されていたのだろうかと、ふといぶかしく思わざるをえない急逝であった。すでに事前に「辞世」の一文までしたためられてはおられたが、生きる意欲満々で「ひとまず」書いておき、「本心のところ、今すぐくたばる気はしません」と明言されておられるように、ご自身のみならず、周りのすべての人々にとっても意外な残念極まりない事態の進行であったように思えてならない。
ここ数年来、国立循環器病センターで定期的に検診を受けられ、ある日、精密検査の必要を告げられ、「より高度の専門知識と経験を持つところがよい」と専門病院を紹介され、入院された。入院中も実に元気で旺盛に文章を書かれ、片っ端から読書をされ、野球の試合に一喜一憂され、ほがらかに談笑されていた。ところが、医師から手術をしなければ云々と説得され、ついに長時間に及ぶがん患部の切除手術を受けられた。手術は成功と思われていたが、それからあっという間の事態の急変、急逝であった。
そこにはいったい何があったのであろうか? 病院側は適当なことを言いつくろうものである。こうした事例といっては失礼極まりないことだが、とりわけ、がんで死にいたる場合、しばしば見聞もし、筆者自身わが親についても経験し、どうして人生の最後を本来あってしかるべき心の準備もないままに、数々の医療器具という名の拷問道具によって責めさいなまれ、あげくの果てに死に追いやられてしまうのであろうか。実のところはまったく非科学的で、場当たり的なこうした治療行為は本来許されるべきではないのではないだろうか。これは、医療界では最善の治療という名の下に公然とまかり通っているいわば未必の故意ともいえる一種の殺人行為ではないのだろうか。
<<『患者よ、がんと闘うな』十ヵ月目の総括>>
こうした疑問に少なくとも正面から答えようとしているのが、ここに紹介する近藤誠氏の一連の著作である。著者は慶応大学病院の放射線科で乳がん治療の最前線において、それこそがんと真剣に闘っておられる。そのさまざまな苦い経験と反省から一連の著書が問題提起として広く世間に問われてきたのであるが、医学界ではほとんど無視ないしは、意図的に論議を回避するように仕向けられてきたともいえよう。しかし昨年出版された『患者よ、がんと闘うな』は、その題名からして挑発的なために、つい最近まで一大センセーションを巻き起こし、ベストセラーともなり、カンカンガクガクの議論を医学界から社会全体にもたらしたもので、多くの方が一度は関心を示されたことと思う。当初はまったくわれ関せず、と鼻にも引っかけぬ態度をとっていたその筋の「権威ある」医師たちもやむをえず歯切れの悪い反論をし始めた。今年の3月に発行された『がん専門医よ、真実を語れ』は、こうした反論と対論をも含めた、『患者よ、がんと闘うな』から十ヵ月目の総括的文書ともいえるものである。以下のように、その目次からして刺激的である。
第Ⅰ部 がん医療をめぐる8つの対論
1抗がん剤・がん手術・がん検診・がんもどき理論
本当にがんと闘わなくていいのですか?
「がん治療」白熱大論争
「白熱大論争」その後
「近藤がん理論」はどこまで正しいか?
2がん終末期医療とその問題点
がん終末期医療をどうすべきか
がん患者に「安楽死」などいらない
3抗がん剤と薬害エイズ
産・学・官 学者がいちばん悪い
薬で儲ける恥ずべき医師たち
4『患者よ、がんと闘うな』十ヵ月目の総括
「がん患者よ、手術万能思考を捨てなさい」
がん専門医よ、真実を語れ
第Ⅱ部 批判と疑問に答える
がん患者はどうしたら救われるか?
逸見政孝氏のがん治療への疑問に答える
学会の場での専門家たちの言動の問題点
すべての批判に答えよう
<<もっと広く深く議論を>>
近藤氏の基本的な主張をまとめると、以下のようになる。
① 日本のがん治療には、他の治療法で十分な場合にも手術が行われているという手術のし過ぎの現状があり、合併症・後遺症がひどい拡大手術が横行していて、手術死も多い。
② 抗がん剤が有効なのは全がんの一割でしかないのに多くのがんに使われており、使い方が拙劣で副作用死も多い。
③ 患者の同意なしに臨床試験(治験)が行われており、死者も出ている。
④ 終末期医療の内容がおそまつであり、患者が必要以上に苦しんでいる。
⑤ がん検診は有効性が証明されていない一方、害や不利益が山のようにある。
⑥ 形態学的に「がん」とされるもののなかには、性質上がんとはいえない「がんも
どき」がある。
これは著者自身が自らの主張を簡潔に整理したものである。いずれもこれまでのがん治療の一般的な常識とは真っ向から対立するものといえよう。冒頭にふれたまだまだ元気に活躍できることが誰しも認め、実際に両のまなこで確認できる方が、まさに①で指摘されたような不用意極まりない手術の結果によって死に至らしめられたといえる。本来あってはならない手術死、副作用死、院内感染死、実験死、等々、ある種の殺人罪が医療の現場では平然と日常茶飯事のように行われ、反省も自己点検も行われていない現状を、近藤氏は鋭く具体的に指摘し、根本的な転換の方向を示している。これほど切実で、誰しもがなんらかの形で直面する問題であるだけに、もっと広く深く論議が深まることを期待して止まない。(生駒 敬)
【出典】 アサート No.238 1997年9月27日