【投稿】政局等々、雑感-年頭にあたって

【投稿】政局等々、雑感-年頭にあたって

<政局に関して>
[村山首相の退陣]
1996年が明けて、早速、ビッグニュース村山総理大臣の退陣が報じられた。この原稿を執筆したのは1月6日。何畝、激しい流動化の時代、このアサートが発送された頃には、またもや大きな出来事があれば許されたい。
この村山総理大臣の退陣を論評する前に、村山内閣そのものに対して評してみたい。村山内閣が発足したのは、94年6月。非自民・細川連立政権から、その後の羽田内閣への変遷の過程で、当時の社会党との連立のための基本政策協議の中で、新生党小沢幹事長を中心とした旧連立与党側が、社会党に対して「ここまで来い、来い」と言わんばかりに強引に譲歩を迫り、その挙げ句の果てに、一方的な統一会派「改新」の旗揚げ。これに業を切らした社会党と、この機に乗じた自民党が急遽、連立を組んだのが村山政権といえる。そういった意味で村山政権は、何か大きな歴史的流れの帰結として誕生した政権というよりは、自民党単独政権から流動的な連立の時代における偶然的要素により誕生したものと言える。それだけに、その政策はファジーで、およそ政治的には中間(中道)から右(保守)の間を振り子のように揺れた政権運営であった。例えば社会党首相と言えども、沖縄地位協定の問題やオウム事件に絡んだ破壊活動防止法適用、自衛隊合憲等、いわゆる常識的な社会党路線から大きく転換した政策を行ってきた。しかし、その一方、不十分とは言え、過去の侵略行為に対する謝罪と従軍慰安婦の補償問題、水俣病賠償問題、被爆者援護法の制定等、自民党単独政権であれば更に遅れたであろう問題に一定の決着をつけたことは評価できる。
こうした村山政権が、ここまで維持できたのは、バブル崩壊後の重症的経済状況や国際政治経済における日本の基本的立場などの今日的重要課題に、誰もが抜本的な対応策を示し得ない中で、やじろべえのように揺れる政権であっても、また右からも左からも不満があっても、大きな波乱を呼び起こさないであろう「不安定性の中の安定性」に大きな理由があったのだろうと思われる。
しかし深刻な金融不安等がありながらも何らかの大胆な経済政策と、それに対応した新たな政治態勢が求められる今日、「不安定性の中の安定性」では対処できない状況が村山首相の退陣を呼び起こしたのであろう。村山首相自身が会見の中で、住専問題の今後の処理と新党問題(新たな結集軸)を退陣の理由に上げているのは、そのことを自ら感じ取っているからである。

[第三極-新たな結集軸について]
マスコミは、とりあえず自民党橋本首相の後、遅くない時期に解散・総選挙、橋本・小沢の対立を占っている。現状においては、常識的な予測とも思われるが、論評するなら、まさに先行きの見えない時代、何が起こるかわからないと言う一般的な指摘が一つ。
そして、もう一つは社会党新党問題-新たな結集軸について。昨年暮れに社会党久保書記長が、見切り発車的に新党結成の動きを見せたが結果的に頓挫している。例え看板を変えても余り、中身が変わらなければ国民から見て、第二社会党としか映らないだろうし、いかに時期に間に合わないからと言っても、広範な国民に信頼され得る政治勢力を結集するには「できるだけ広範に、時間をかけて」という統一戦線指向の意味で、村山委員長の主張を支持する。ただ何が「よりまし政府」の母体となり得るのか、その理念は何か、その具体政策はどうか、という意味では極めて不透明・曖昧である。
例えば「民主リベラル」をという理念も掲げているが、その場合、少なくとも「護憲」「平和創造」「人権」「安定成長」「ゆとり・豊かさ」と言ったことがキーワードになろうが、それが具体政策にどう反映され、どう具現化されるのかと言ったことがわかりやすく説明されない限り、もはや国民の関心・信頼は得られないのではないだろうか。特に、この具体政策を突き詰めて検討すればするほど、階層間対立は顕著となる。例えば、消費税についても税率のみならず、インボイス方式にするのか、今までどおりの帳簿方式にするのか、不況対策についても経営者への助成・融資を主体とするのか、労働者への様々な給付制度を創設・充実するのか、障害者・高齢者等の公的制度のあり方や労働者権利の制度的保障等々、明確な対応が求められる局面が多々ある。要するに筆者が主張したいことは、「社会党」「さきがけ」等の枠組み論議だけに終始するのではなく、できるだけ広範な勤労諸階層の支持を求めながらも、根本的にどういった階層に依拠した政治勢力の結集を図るかについての論議も怠ってはいけないと言うことである。
いずれにしても第三極-新たな政治勢力の形成は、あの政治改革に名の借りた小選挙区制の下で、容易なことではないが、この際、地道に院外形成を図ることも含め、粘り強い取り組みが必要だと考える。
なお蛇足であるが、新進党についての評価を。新進党もまた、この間の政界再編の中で、旧自民+公明と言うイビツな政党と言える。とりわけ公明-創価学会の影響力は大きなもので、決して自民党の公明バッシングに同調する気はないが、そのこと自体、否定し得ない事実である。公明の評価は、勤労者的な政策を一定、出している党派であり、その組織力には目を見張るものがあるが、しかし広範な勤労者を結集し、一歩、先んじた主導的役割を果たし得るかについては疑問がある。特に宗教法人法改正問題に絡んで、オウム事件に乗じて創価学会封じのための自民党の対応には、賛同しかねるが、ただ宗教法人一般に対する税制上の優遇措置は、不公平税制の一つに上げられるもので、これはこれなりの真摯な議論が求められるのではないか。いずれにしても新進党-公明に関して、今後の政局を占う上で、一方の大きな政治勢力としての動向には関心があるが、真に「よりましな政府」づくりの主導的役割としては、然程の関心は持てないと言うのが、率直な感想である。

<労働運動について>
労働運動の取り巻く状況は、昨年の震災・不発春闘から、今年も一層、厳しい雇用情勢の中で、大きな成果を上げることには期待感が薄い。とりわけ連合が、この間の春闘で敗北を重ねてきた大きな要因は、今までも言われ続けてきたことではあるが、経営側の結束に比して、産別自決の名の下、十分な統一闘争を組みし得ず、結果として個別決着に終始してきたことにある。今春闘で直ちに克服できる課題ではないが、少なくとも単なる打順・山場設定のみならず、具体的な産別連帯・産別連携の基本戦術の検討・提起が、新たな春闘構築として求められるのではないか。
ただ、これからの混沌とした政治状況の中で、連合としての主体的な政策発言力には期待したい。とはいっても、単に新たな政権にどう関るかと言った政治的なものではなく、具体的な労働者政策を提起し、積極的に各々の政治勢力に、その実現を迫る取り組みである。例えば減税、最低賃金の引き上げと遵守、解雇制限法の制定、派遣事業の規制、労働基準法の徹底と罰則規定の強化、労働組合の育成誘導策等々。こうした今までの「福祉・医療・年金」等の政策よりも更に、鮮明に労働者権利を制度的に守る政策を打ち出し、これらの実現を求めることがまた、連合運動の裾野を広げ、結束を高めることにつながるのではないだろうか。
また今日の労働運動を見る場合、連合・全労連・全労協と言ったナショナルセンターの枠組みとは別に、各々の労働組合の置かれている状況別に見ることもできる。つまり大企業を中心とした大単組、中小企業を中心とした労働組合、そして地域合同労組。更に、その下に多くの未組織労働者。いわば日本の労働運動は、こうした三層・四層構造にあって、特に中小労働組合や地域合同労組においては、依然として少なからず労働争議が頻発している。とりわけ地域合同労組は、今日の第三次産業への労働人口移動の中で、また派遣労働者、契約労働者等の多様な雇用形態の変化の中で、既成の労働組合では対処し切れない実質的個別救済も含めた取り組みを展開している。
今後、こうした柔軟で広範な運動形態に着目し、これを更に公然的・制度的に保障しながら広げていくことも、今後の新たな労働運動を展望する上で、また労働運動の質的転換を図る上で重要なポイントであろう。     (民守正義)

【出典】 アサート No.218 1996年1月20日

カテゴリー: 政治, 雑感 パーマリンク