【投稿】今こそ、沖縄に連帯して
昨年9月の米兵による少女暴行事件は、冷戦崩壊後の一見もっともらしい「平和」にならされていた私に、厳しい沖縄の現実を突きつけた。学生時代、幾度となく「本土復帰を求める沖縄」に連帯して、集会やデモに参加した経験を持ちながら、年月と共に沖縄のことを忘れかけていた。
戦後50年間、耐えに耐えてきた沖縄の人々。少女暴行事件以来、県民総ぐるみの怒りとして、米軍基地を存在させている日米安保条約そのものを問い、治外法権にも等しい日米地位協定の根本的見直しを求めている。昨年10月21日、大田沖縄県知事は、8万5千人の県民集会で、「本来一番に守るべき幼い少女の尊厳を守れなかったことを心の底からお詫びしたい」と述べ、基地使用のための代理署名を拒否している。かつてないほどに沖縄は怒り、燃えている。
「今こそ、沖縄に連帯して・・・」と思った私は、昨年末から正月にかけて沖縄を再訪した。新装なった「ひめゆり平和祈念資料館」で、館内に常駐しておられる語り部の方の生々しい戦争体験を聞き、「多くの犠牲の上に、私たちの今がある」と改めて強く実感した。出口付近に置いてあった感想用紙に、思いのたけを書きつづった。先日、当資料館から思いがけず「資料館発行の感想文集に掲載する」とのハガキが届き、本当に嬉しかった。細い細い糸だが、沖縄と繋がれたような気がしたからだ。
4月12日、「沖縄米軍基地撤去を要求する大阪府民衆会」(大阪平和人権センター主催、8千人参加)の帰途、「普天間飛行場の全面返還」の報に接した。国際情勢の厳しい中での返還だけに、その意義は大きい。しかし、飛行場諸機能の、嘉手納・岩国基地への移転・統合は、新たな問題を内包しており、手放しで喜ぶわけにはいかない。
これからも、沖縄の問題を自分の問題として捉え、沖縄が本当の意味で平和な島になるよう、いろいろな活動に参加していきたいと思っている。
(大阪、田中雅恵)
【出典】 アサート No.221 1996年4月20日