【書評】日本思想の可能性とは何か・・・その非合理主義的民族性

【書評】日本思想の可能性とは何か・・・その非合理主義的民族性
吉本隆明・梅原猛・中沢新一『日本人は思想したか』(新潮社、1995.6.30.発行  1900円)

「社会主義の崩壊」、「マルクス主義の挫折」とともに近代合理主義の破綻が声高く叫ばれて久しい。そしてこれに代わって「宗教ブーム」「哲学ブーム」が到来した。しかしその「哲学ブーム」も実は「哲学ファンタジー」ブームがその本質であることが次第に明らかになりつつある。つまりリアルな現実に代わって「ファンタジー」(非合理的幻想)が人々をとらえているという状況は変わっていないのである。
かかる時代の風潮に迎合して、現代日本社会の非合理性を思想史の領域で「総括」し、「われわれはどこへ行くべきか? 大転換期のいま、日本思想の可能性をさぐる!」と大見栄を切っているのが本書である。
本書において日本思想史を語り会う三名は、それぞれ馴染みの人々であろう。そして立場も思想も異なると考えられている彼ら三名が鼎談して打ち出している日本思想の可能性、それは「近代の超克」から「現代の超克」へと通じる現代社会の非合理主義的徹底否定でありこれを裏打ちする日本思想(東洋思想)の「独自性」と自然観の優位(人間中心主義の否定)の主張である。
さて本書では、「概念思考、概念的な体系が日本思想には乏しい」(梅原)、「日本人はシステマティックな思想の体系をつくらなかった」、「断片でしかない日本思想」(中沢)という前提から、「思想と言ったとき、内部でもあるし外部でもあるという、重なり合った混沌とした領域」(吉本)が注目される。
すなわち日本人にとって体系的制度的なもの(「国家」や「法」などの普遍)は、いつも外部から異質なものとして中心に持ち込まれた。このために、これらについてはわかりにくい思想の形態しか存在しなかった。しかしこれに対して、「中間的」な位置を占める宗教・文学・芸能・習俗などのかたちできわめてユニークな思想が、日本思想として成立したとされるのである。これを中沢は「日本思想の境界的性格」と名づける。そしてこの日本思想は、梅原の言う中国文化渡来以前の思想、「それよりも前に日本に存在していた何か」(縄文文化とされる)を地下水脈として持っていて、これが連綿として日本の歴史を流れ続けているとするのである。
これは「『国家』という枠をこえた、むしろ普遍」、「一時代前の、人類の普遍的な原理」(梅原)であり、ヘーゲルの国家概念や中国の国家を示す「普遍」を超えた「もうひとつの普遍」(中沢)とでも言うべきものとされる。そしてこの後者の「普遍」が「いまとこれからの日本が超近代というような形で出てくるものとして探っている普遍なんじゃないか」(同)と提起される。
かかる日本思想は、ギリシア哲学に始まる西洋思想が自然から人間へという方向を持つのに対して、逆に人間中心から自然中心へという方向性を有し、これが近代の行き詰まりを解決する手立てとして示される。梅原の次の言葉はこのことを端的に表している。
「近代世界というものはもう明らかにだめだと。(中略)その一番のところが人間と自然の関係。これはやはり間違っている。これは西田〔幾多郎・・・引用者〕も批判したところですけど、人間の自我が自我に対立する自然を征服していく、そういう征服の道具が科学であり技術である。(中略)それが歴史の進歩だという考え方が近代の前提になっている。これは私はもう通用しないと思う」。
「『近代の超克』は、近代じゃなくて人類の歴史そのものをもっと根本的に、農耕・牧畜文明発生以来の文明を超克していく、という考え方に立たなくちゃならない。そしてその超克において、東洋文明は比較的ましだろうと」。
かくして近代社会は、梅原のいう「生命の奥深い暗さを凝視して、そういう奥深い生命というものを重視」することで超克されることになる。(なお付言すれば、梅原はこれを京都学派の特徴であるとする指摘に同意している。)すなわち近代は徹底してより以前の原初的人類の生命に還元されることで超克されるべきなのであり、このことを日本思想の経過が検証しているとされるのである。
吉本も、梅原ほど性急にではないが、基本的には上の立場に賛意を示して「科学技術が発達して、それが倫理に反することをしでかしたり、副産物が出てきたりする、(中略)それは、倫理と結合しなきゃ科学自体がだめだぜ、と結論するよりも、あの世からもこの世からも見ないとなかなか解答できない問題がそろそろいろんなところから出てきたぜ、というふうに理解して、少なくとも既成の倫理はちょっと保留しとこうじゃないですか」と主張する。そして「西欧現代」と「現在」との区別の上に立って「結局、俺はかつての『近代の超克』と同じことを言おうとしているなとしきりに感じます」と述べる。
以上本書においては、終始日本文化の様々な側面を梃子として、日本思想の底流をなすとされる原始的非合理主義への還帰が語られる。われわれは、この鼎談に露骨に示された日本文化論と「現代の超克」の危険性を指摘しなければならない。そしてこの危険性は、本書に登場した三人の持つ日本人観によってさらに深刻となる。というのも、本書において語られた日本人観では、「日本民族」「日本人」としての民族的アイデンティティが無条件に確実なものと見なされているからである。
ところが決定的に重要なことは、歴史的に見れば日本において「民族」という言葉が初めて用いられたのが1880年代後半であり、それの確立・定着が1900年前後(日清・日露の戦間期)であったという事実であり、「近代の日本において、『民族』の観念(意識)が成立し、また戦前の日本人を呪縛した『日本民族』という範型が形成されたのは、日本のアジア侵略の深化の過程、とくに大規模な対外侵略戦争の時期であった」ということである。そして「戦後の『日本人』という言葉は、戦前の皇国史観、つまり『日本民族』にまとわりつく神話性を切断するのではなく、むしろ隠蔽する役割をになうものとして機能してきた。そこから、戦後の日本は、被害者意識のなかに埋没し、その『被害者』的な意識を癒す便法として西欧民主主義の“普遍主義”にのめり込み、それがやがて1970年代以降、私生活中心型の『快適さの囚われ人』というかたちのナショナリズムの醸成につながったと思われる」という指摘(引用はいずれも尹健次『民族幻想の蹉跌・・・日本人の自己像』岩波書店、1994.8.26.発行、より)が、本書の前提である「日本思想」の「本質」を根底から覆しているのである。このことは、現在流行の日本人論、日本文化論への徹底した批判の必要とともに、われわれ自身の有している民族意識の常識を再検討する契機を示していると言えよう。
それ故「今日の戦後日本の転換期において、総体としての日本人が抱え込んでいる問題の本質は、たんなる戦後体制の再編ではなく、世界の民族問題につながる『日本の民族問題』であるという認識が不可欠である」(同上)という指摘は、日本思想の領域にとどまらず広範に論議されるべき重要課題を含んでいる。 (R)

【出典】 アサート No.221 1996年4月20日

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