【書評】「猫」の眼を借りた近代批判のミステリー

【書評】「猫」の眼を借りた近代批判のミステリー
       ・・・漱石の『猫』はその後何処へ行ったのか
      (奥泉光「『吾輩は猫である』殺人事件」、新潮社、1996.1.30.発行)

「吾輩は猫である。名前はまだ無い」という文章で始まる有名な小説を下敷きに「推理小説」が出版された。漱石の文体の模倣などでも、かなりの出来と見受けられる。
漱石の『吾輩は猫である』は、人も知るユーモア小説、風刺小説の先駆的作品として、いつもその名をあげられるのではあるが、漱石その人の文学的評価は、この『猫』よりも、他の諸作品(『三四郎』『それから』『心』等々)によってなされるのが常である。ところが本書の出現によって、『猫』が見直され、漱石その人の評価すら再度検討される契機が出てくるのではないかと、評者などには思われるほどである。
本書は、『猫』の最終場面で「或る暮れ方、麦酒の酔いに足を捉られて水甕の底に溺死」したとされる「吾輩」こと「猫」が、上海において生存していたという「事実」、およびその元の飼い主であった苦沙弥先生が殺害されるにいたったという驚くべき「事実」から始まる。
何故死んだとされたはずの「猫」が、日本から遠く離れた上海で生きていたのか、という謎は、本書を繙くに従って次第に解明されることになっているが、実は「猫」の上海移動と元飼い主の苦沙弥先生の殺害事件とが深いかかわりを持っていたのである。
物語は、「吾輩」こと「猫」と、それを取り巻く上海在住の諸猫たち、および苦沙弥殺害事件にからむ陰謀で上海にまで渡ってきた、かつて苦沙弥の家に出入りしていた面々・・寒月、東風、三平など・・・の騒動で転げまわっていく。その前半は、上海で知り合った諸猫が、それぞれの立場から苦沙弥殺害事件を名推理していくなかなかの展開である。中でも主色はイギリスからきたホームズとワトソンという猫の話で、この事件に「モリアチー教授」と「パスカビル家の狗(イヌ)」が大いに関係していることが判明し、世界的大陰謀が露見する。
そしてまた著者は、かかる外見上の事件と同時進行で、とくに「吾輩」の深層心理の分析にかこつけて、漱石の『夢十夜』の内容を物語に巧みに取り入れて、「現実」の事件との融合を図ろうとする。
この試みは、後半では諸猫たちの事件解決への行動、および登場人物たちによる大陰謀の計画と必ずしもマッチせず、ある面では荒唐無稽との感を拭い切れないが、ユーモア的パロディ的SFと見えないこともないし、漱石の新解釈の試みと思えないこともない。ともかくも、苦沙弥殺害事件にかかわるさまざまな「現実的」事件、解説、意見陳述等われわれ読者には興味深いものが多く、今後この作品の持つ意味が論議されること必定であろう。そこで評者としては、次の数点について注意をうながして、それ以上の詮索は読者に一任すべきであると考える。
まず、そもそも『猫』の発表は、日露戦争 (1904~ 5年) とほぼ時を同じくする1905~ 6年であった。ところが近代日本の国家成立と海外侵略の始まりを代表するこの戦争について、『猫』では一言も語られない。これについて本書の「吾輩」は、こう語る。
「思ひ起せば吾輩が苦沙弥邸に飼はれた時期は、日露大戦のたけなはに重なつて居つた。(略)のるかそるかの大博打に日本は打つて出た訳で、色々聞いてみるとかなり危ない橋を渡つたらしい。(略)斯様に考へて来ると、(略)日本という国が其全財を投じ、存亡を賭けた博打を打つてゐる時に、一臣民たる苦沙弥先生が等の戦争について殆ど無関心の様子であったのはいかにも奇妙である。苦沙弥先生許かりではない。迷亭寒月をはじめとする諸先生方も亦、口角泡を飛ばし、敷島の烟を鼻から吹き散らして、天下国家の行く末を嘆じ人類文明の未来を論じながら、当面火急の問題である戦争についての論評は片言隻句すら漏らしたのを聞いたことがない。(略)敢えて疑つて見るなら、例えば迷亭君の饒舌抔は何事かを押し隠すための擬態であつたとも思へてくる。心中に云ひたくない事があるからこそ人は途切れなく喋り続けるのかも知れん。」
漱石が日露戦争について敢えて語らなかったのは、あるいは他の理由があるのであろうが、その本音は意外とこんなことかもしれない。
また、浪漫主義について「我輩」に言わせている。
「凡そ浪漫的なる事とは遠くから憧れる所に其本質はある。(略)幻と知りながら其幻を愛し切る精神こそが正しく浪漫的と呼ばれるにふさはしい。とすれば吾輩の為すべきは、三毛子(「猫」が想いを寄せる雌猫・・・引用者)なる美の理念を脳裏に思ひ描き、以て清澄なるエーテルの大気中に其理念と一体と化す事である。」
この結果は極端にいたる。                            「三毛子が生きてゐようが死んでゐようが、三毛子の理念をさへ胸中に仕舞ひ込んで置きさへすれば委細問題ない。もはや後顧の憂ひはない。浪漫主義とは甚だ便利な主義である。」
ここでは「美しい花を愛でる」のではなく、「花の美しさを身を焦がすまでに愛し尽くす」ことの方に重きが置かれるという浪漫主義の滑稽さが軽くあしらわれている。
さらにあげれば、「死」の問題がある。
「今後どれ程科学が発達したところで、死の実相許りは解明され得まい。死は人間に支配され得まい。(略)吾輩が思ふに、分からんものは分からん儘にした方が宜しい。無理に分かった気になるのは却って苦しい許りだ。(略)生きている者が死についてする思弁は必ず他人事なのであつて、いざ自分が死ぬるとなれば聊も訳に立たない。必ず死ぬと云ふ絶対の事実丈を真つ向から見据ゑて、死の事は死んでから考へればよい。」
まさしく漱石の諦観を思わせるような内容である。
さて以上の叙述は、本書からの引用であるが、一見したところ著者が漱石の意を体してあらわした、という印象が強い。漱石のパロディであるとしても、パロディとして充分な資格がそなわっているといえよう。かかる風刺精神、遊び心こそ、ある意味では最も漱石的であるのかもしれない。
本書は堅苦しい裃を外して読むものであると思われるが、その根底にある諧謔精神には大いに注目すべきであろう。ただし同時にわれわれは、著者の立場を形成しているもう一つの思想・・・ユートピア的幻想文学的傾向をはっきりと認識しておく必要がある。というのも、著者には『葦と百合』(1991年) 、『蛇を殺す夜』 (1992年) 、『ノヴァーリスの引用』 (1993年) 等、近代精神の裂け目に焦点を当てて、幻想的非合理的世界と接触していく点で一貫したものがあるからである。この意味で本書は、パロディとして評価するにしても、著者の依って立つところを見きわめながら読むことが必要であると思われる。(R)

【出典】 アサート No.224 1996年7月20日

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