【投稿】「丸山真男について思うこと」(日記より)
8月15日に、政治学者の丸山真男が亡くなった。昔を振返ると、丸山の書いたものに、はじめて触れたのは、1956年のハンガリー事件の時ではなかったかと思う。天皇制と一党独裁的なマルクス主義・スターリニズムに、最大の矛先を向けていた丸山が、ソ連のとった行動に激しい批判を加えていたことは言うまでもない。
「空想と科学」や「共産党宣言」を読んだぐらいで、社会主義にシンパシーを寄せるようになっていた、高校を出立ての若者にとって、この事件は、計り知れない衝撃を与えた。これは、大学へ入ってからも、長く後遺症となって残り、多くの若者の間でもこうした現象が生じていた。いわば、レーニンが「経験批判論」のなかで「求神主義」として論難したものの現代版のような雰囲気のもとで、当時の真正マルクス主義者からは「反動」と呼ばれた思想状況を地で行っていたように思う。読むものといえば、いわゆる実存主義につながるものばかりであり、自由を通じて政治参加(アンガージュマン)することが、もっとも望ましいと考えていた。また、最も左翼的と考えられていた人々の言辞のなかには、政治的姿勢と思想的あるいは理論的・学問的立場の不可分性が絶対的であるというような考えが見られ、政治的姿勢から思想的誤りや偏見が糾弾されるという風潮があった。また、これとは反対に、思想的立場の違い(弱さと言われていた)から、極力、政治行動への接近を避けるということも、みずから、しばしば体験したことである。(後になって自分自身がこうした考えから一種の「加害者」になったのであるが)
こうした状況のもとで、60年安保をはさむ時期に、最小限、政治的共感を感じていたのは、この丸山などが積極的に展開していた、「平和問題懇談会」や「憲法問題研究会」の活動であった。それは、戦後民主主義の原点に立脚するリベラリズムの擁護とそれに依拠する活動であった。それは、けっして、政党的なものではなかったが、理論・思想では妥協しないが、個人主義やリベラリズムを侵すものと闘うためには、あらゆる政治的配慮や妥協を行うというスタイルであったように思う。
彼らとマルクス主義者との共闘も、部分的で不十分なものであったが、このようにして可能になり、国民文化会議の活動などを通じて、60年安保闘争を支える大きな力になっていった。
私事について言えば、この後、実存主義批判の長文を書いてようやく許された、日本共産党への入党を契機にして、主観的な意図は別にして、結果として、理論に先立つ実践であるとか、還元主義的な一元論のスタンスに傾斜したことも与って、丸山などの活動を一段低いものと考えて無視したり、批判の対象にすることにもなり、さまざまな経緯のなかで、60年安保を超えるような運動も潮流も生み出すことができなかったことは、周知の通りである。「ゴルバチョフ回想録」を読むと、社会主義体制の崩壊について、類似のプロセスが進行していたことが、反省的に語られている。もちろん、このなかで、ゴルバチョフは、今後の社会民主主義の発展に対する積極的なメッセージを投げかけているのであって、このような回顧的な慨嘆をもらしているわけではない。(ちなみに、丸山は、社会民主主義者を自称し、共産主義の崩壊したなかでこそ、積極的に社会主義を強調しなければならないと言っていたらしい)
「世界」10月号は、丸山の追悼特集を載せている。ここでは、東大政治学グループの同僚や弟子たちが、丸山の死を悼みその業績や人柄を讃えている。丸山の学問的な業績について、その著作をほとんど読んだことがないので、よくは知らないが、その活動の姿勢については、なるほどと思うことに満ち溢れている。この追悼文のなかで、日高六郎は、マスコミが、丸山の死によって「一時代が終わった」(戦後民主主義に賭ける精神の終焉といったことか)と論じていることに深い淋しさをを感じざるをえないと書いている。
これを読みながら不思議に思ったのは、今、リベラリズムをひとつの有力な理念として進められようとしている、いわゆる「鳩山新党」問題について、自分の知る限り、知識人と呼ばれる人々の発言などがほとんど見当たらないこと、まして、これへの関与などはまったく報じられていないことである。
これは、「新党」問題が、知識人の関心を引かないほどに、まったく些細でつまらないことに過ぎないからなのか、あるいは、丸山のようなリベラルな知識人がいなくなってしまったからなのであろうか。
この新党の「呼びかけ」(要旨)を読む限り、これは、網羅的で訴える力に欠けるものの、好ましい要素を沢山含んでおり、その前途に大きな期待を寄せることができるように思う。しかし、これにもとずいて、どれだけ広範な人々を結集できるかを考える時、あいまいで力なく思えるかもしれないが、かって丸山たちが行ってような、政党的でも、政治屋的でもない、柔軟で寛容なリベラリな発想と行動が(自省の念をこめて)不可欠なのではなかろうか。(T・O)
【出典】 アサート No.226 1996年9月21日