【書評】 戦後歴史教育の克服と「健康なナショナリズム」の主張は何をめざすか

【書評】 戦後歴史教育の克服と「健康なナショナリズム」の主張は何をめざすか
         藤岡信勝『近現代史の授業改革』(1~5号、編集長・藤岡信勝)
         『社会科教育』別冊、 明治図書、1995.9.~1996.9.)

『近現代史の授業改革』という雑誌が、『社会科教育』の別冊として、95年9月より出版されている(発行・明治図書。96年9月で第5号まで)。元々『社会科教育』は、小中学校の社会科授業の専門誌であり、その内容は、左翼・リベラルから文部省寄りまでの著者によって、社会科の学習指導要領や授業実践、教材等々に関する多様な意見を集めてきたところに特徴を持っている。
ところがここに登場した『近現代史・・・』は、この性格をがらりと変え、いわば戦後の歴史教育に真っ向から挑戦するものとなっている(これに抗議して『社会科教育』のリベラルなグループでは、この雑誌への執筆を取り止めた。しかし出版元の明治図書は、強気の姿勢をとっているといわれている)。
編集長・藤岡信勝(東大教授)の「創刊の辞」がこのことを端的に示している。
「戦後の『近現代史」教育は、自国の歴史に対する誇りを欠き、未来を展望する知恵と勇気を与えるものではありませんでした。日本の『近現代史』を暗黒に塗りつぶしてきた『東京裁判史観』の克服が今こそ必要です。」
この観点から藤岡は、従来の「戦争の授業」のパラダイム(本多公栄などに代表される侵略国としての責任追及を重視する立場)からの転換を主張して、「元気の出る」歴史、「健康なナショナリズム」を提唱する。
すなわち戦後の歴史教育は、日本の侵略戦争、日本軍による残虐行為の側面のみを重視し続けた結果、「自虐的・反日的日本人を再生産」するという欠陥をもたらした。これに対して、(1)「自国に対する肯定的イメージ」(2)「国際環境の重視」(3)「理性的・批判的アプローチ」(4)「戦争の哲学の探究」をはかろうとするのがその内容である。
また「よびかけ人」の一人、斎藤武夫(埼玉県大宮市の小学校教師)はこう語る。
「現在、私たちに与えられている課題は、『戦後』の歴史教育の問題点(「自らを批判し反省すること自体を『国民』の立場とする』見方――評者)を洗い出し、明治以後のこの国の大きな物語を構想することにある。」
かかる立場から本誌は、「世界史の中の日露戦争」(第2号)、「明治維新の授業をどう構想するか」(第3号)と特集を組み、第4号では、これを批判した『近現代史の真実は何か』(大月書店)を反批判する。そして第5号は「『日本占領』これだけは教えよう」となっている。
以上概観したように本誌は、戦後民主主義の観点から教えられてきた歴史教育に対して、社会主義体制の崩壊とマルクス主義の失墜という背景に力を得て、右の方から攻撃しようとするものである。そのやり方は、今までしばしば繰り返されてきたように、「南京大虐殺」への「反証」、「日露戦争の世界史的意義」の主張、「明治維新へのロマンと共感」、「従軍慰安婦」の「虚構」性等々、総じてファシズムと侵略戦争と敗戦の時代をすっぽりと欠落させた日本の近代化の肯定的評価・賛美である。
本誌の出現は、戦後歴史教育の右からの見直し(それは今まで絶えず文部省からの圧力となっていたが)が、民間の教育のレベルでも明確なかたちをとったことを意味するであろう。しかし同時にわれわれは、かかるものが出てきた背景とそれが本誌に与えている性格にも目を向けなければならない。
まず本誌が現行の歴史教育についての不満を一定程度反映しており、それなりの支持基盤が存在するということである。本誌がマルクス主義に対する敵意をむき出しにしていることは疑いないが、しかしそこに示されているものの裾野には、素朴なナショナリズムから郷土愛にいたるものまでが、渾然一体となったままでかなりの程度含まれている。これらは右として簡単に切り捨てられない大衆の気分を反映しているのではないであろうか。
次に本誌の歴史教育の方法論としては、歴史の動きを法則としてではなく、英雄のエピソード史として扱う英雄史観や物語がメインとなっていることである。これは大衆小説得意の分野であるが、大きな影響力をもつものであることに注意がはらわれなければならない。さらに言えば、戦争についての把握の仕方を、日本の国際戦略と戦術の立場でとらえようとする(日本海海戦のシュミレーションなど)姿勢が目立つのも本誌の特徴である。
しかしながら本誌のポーズとして、その内実はともかく「理性的・批判的アプローチ」をうたわざるを得ないということも留意されねばならない。彼らの側からする「理性的・批判的」とは(国家)「理性的」・(戦後民主主義)「批判的」という意味であるが、それにしても「神がかり的」「超理性的」「皇国史観」という主張ではなく、一応は「科学的・実証的」体裁をとりつつ、戦後民主主義を批判するというスタイルには、原理原則からする教条主義的な対置ではなく、具体的実証的大衆的な「理性的・批判的アプローチ」が必要とされるであろう。
本誌の第5号までの目次を見るとき、そこに示されているのは、意図的に戦後民主主義を否定していこうちする動きと、それには直接はかかわらないが雰囲気として歴史教育を見直そうとする「純粋な(?)」「熱意」「善意」である。この観点からすれば、本誌の論述には粗雑な思い入れによる推論が多いことは否定できない。そして今までのところ、こうした「努力」は大した成果を生んでいないし、種切れの観すらある。
とはいえ、嘘も百回繰り返せば「信念」になり、本当らしく聞こえるということ危険性を忘れてはならないであろう。問題は、本誌のようなものが出てきた基盤の分析から、民衆の生活における民主主義的要素とそうでないものとを腑分けし、民衆自身が自覚していく方向を確立していくことである。そうでなければ本誌のような動きは、体制の支配権力と呼応して、絶えることなく続くものと思われる。(R)

(追記・1)本稿を書き終えてから、次のような文章を発見したが、たとえばこれに対して本誌の編集者たちはどう答えようとするのか。
「日本兵と中国兵とのたたかいを『事変』と呼ぶ、その名づけかたの中には、意識的なものか無意識的なものかはわからないが、日本の支配者のずるい智恵がはたらいている。地震やかみなりのように、この一時を辛抱していればとおりすぎていくものだという希望的観測が、われわれ日本人の中に自然にできてくるからだ。この気持ちのもちかたは、戦後にまでもちこされて、『満州事変』以来の事変つづきの年月を日米戦争とはちがうものと感じる態度が、私たちの間で何年もつづいた。今でも相当に残っている。
それは、日米戦争だけを区切って一つのものと考え、日本は米国には負けたが、中国には負けなかったと思いたい希望とむすびついている」(鶴見俊輔「私の地平線の上に」、鶴見俊輔集第8巻)。
(追記・2)なお本誌をめぐる歴史教育の動きについて、歴史学の専門家や教育現場からのレポートがあればと思いますので、ぜひともよろしくお願いします。

【出典】 アサート No.226 1996年9月21日

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