【投稿】これからの安全保障について
○「戦争観」の改革が必要
総選挙にむけ突き進む政局は、「民主党」を軸とする各政党、議員の離合集散ばかりが先行し、政策論議については後追いになっている感がある。
その中でも軍事政策については、沖縄米軍基地土地問題の一定の解決を機に、一時見られた「新安保体制」を巡る活発な論議も鳴りを潜めてしまった。
一方経済面では、規制緩和論議の中で「40年体制」の解体、など日本型経済構造の大幅な変革が、中央官庁の改変も含めて提起されるなど、刺激的な論議が交わされている。
実は軍事面でも、こうした論議が必要なのであるが政治家、学者を含めて多くの人が軍事上の「40年体制」の呪縛を受けたままであり、これが論議や政策の展開を妨げているのである。
それは、どういうことかと言えば多くの日本人にとって戦争と言えば第2次世界大戦、もっと言えば「日米戦」のことであり、その実態、経験に縛られてしまっていうということだ。
極言すれば第2次世界大戦は、戦争の特殊な一形態であり、これを普遍化して戦争を考えることはできないということである。
たとえば第2次大戦を特徴付ける「総力戦=国家総動員体制」や「無差別都市爆撃」は、現在の戦争ではほとんど不可能になっている。さらに、冷戦時代に構築された核戦争シナリオを含む数々の戦略、戦術、例えば軍集団規模の機動戦などは修正を余儀なくされている。
こうした事態をもとに、欧州での軍縮は、部隊編成およびその運用、兵器の改・再編と一体となって進められている(フランスが徴兵制を廃止するのは、経済的理由はもちろん、総力戦を想定しないことを基本にしたからである)のである。
これまでの戦争(ベトナム戦争まで)を規定してきた「長期、広域、無差別」は、現在の戦争にあっては「短期、局地、差別」となってきている。これは、そのことが良いとか悪いとか言うのではなく、厳然たる事実だということだ。
米軍は確かに世界に展開しているが、それは世界戦争を遂行する能力があるということではない。湾岸戦争は如実にそのことを示した。また、ロシアは局地戦争でも困難な状況だ。
しかし、日本では冷戦も含めて「過ぎ去った戦争」を前提として、「防衛論議」や現在の自衛隊の編成や運用計画も進められているのである。そして当然、戦争に反対する取り組みも、こうした枠内で進められているため、以前は戦争の恐ろしさ、悲惨さを伝えるのに有効だった「徴兵制」や「絨毯爆撃」を持ち出しても、現実と乖離し説得力を失っていくことになるのである。(もちろん、戦争犯罪の責任は別問題であるが)
○有効な軍縮とは
今後、アジアでは多少の停滞や揺り戻しがあっても、世界的には全般的な軍縮が進むことは疑いない。
しかし、以上のような戦争状態の変化を踏まえるなら、現在の自衛隊を縮小コピーにかけたような軍縮案は、非合理的であり、褒められたものではない。
例えば陸上自衛隊は、慢性的な定員割れを前に、師団(現在9千人と7千人の2種類)の一部を5千人規模の旅団に縮小することとしている。
しかし、近い将来日本がそうした規模以上の部隊を動員せざるを得ない事態は、大地震など天災以外には考えられない。朝鮮半島に有事が起こった場合でも、積極的な介入=朝鮮半島上陸をするつもりでなければ、考えられないことだ。
軍事的に最も稼働率が高くなるのは、カンボジアがそうであったように、PKO(PKFや邦人救出の可能性も含め)に要請される、大隊規模(数百人)となり、その行動内容も非武装、軽武装の特別なものが多くなるだろう。こうした想定のもと、そのような部隊(ユニット)を基本に改編を進めていくべきである。そして、装備もそれに適応したものとして、主力戦車や野砲の数を減らすことができるのである。
今後、国家間の信頼醸成が進み、いわいる国際紛争は過去のものとなっていくであろうが、非国家組織のテロは大規模、悪質化する傾向がある。こうした集団に対する対策上からも、どのような軍事力の保持が必要か、真摯な論議が必要である。(大阪O)
【出典】 アサート No.226 1996年9月21日