【投稿】地方分権と政治改革(2)

【投稿】地方分権と政治改革(2)

2、地方分権の意義と理念
                —-「新保守主義」との分岐——

<地方分権は大きな政治上の課題>
前号末尾で、地方分権は「非常に地味ではあるが、今後大きな政治上の課題となると思われる」と述べたが、その理由は次の三点である。
まず第一に、地方分権の問題は、単なる「国と地方自治体の権限争い」の問題ではなく、21世紀を展望した国家システムの再編成に関わる課題である。
第二に、地方分権に関する議論の背景には、急速な高齢化の進展など社会構造の変化が存在している。分権論は、分権後の地方政府が高齢社会を支える福祉に対していかなる役割を果たすのかなど、「政府」のあり方をめぐる課題としての性格を持つ。「大きな政府か小さな政府か」という対立軸の整理は聞き慣れたものだが、「政府」という概念には「中央政府」のみならず「地方政府」を含めることが重要だろう。「アサート204号」で大阪M氏は、リベラル・新保守・社民の三極の政策の相違について「インサイダーNO.327」の整理を紹介されている。ここでは「政府」という対立軸について、リベラル=大きな政府、新保守=小さな政府、社民=小さな政府・大さな自治体と整理されているが、適切だと思う。ただ、「政府」という概念が「行政機構、組織」を意味するのか、「行政機構、公的責任」を意味するのかの整理がなされていない場合が多いので、議論の際には注意が必要だ。私は、後者の意味で理解している。
第三に、地方に権限が移ることによって、国会と地方議会の関係性が変化する。それに従って、分権後の政治体制は、現在のものとは大きく異なるものにならざるを得ないし、地方政治のあり方に変革を迫る。地方分権の問題は、地方政治を活性化して地方分権を支えるような新たな政治構造を作りだす課題として焦点化する。
これら3点については、それぞれ関連する章で、また詳しく述べることとするが、中央・地方を含めた政府のあり方、政治のあり方を包括するこの課題は、実は政治理念や政策の違いを明確にする最大の課題であろう。政治的な対立軸には国際貢献など外交に関わるものもあるが、「外交は内政の延長」という言葉のように、めざす国家像が明らかになれば、選択できる外交政策は自ずと決まるからである。
社会党の新党論議は相変わらず内容抜きのかけひきに終始している。しかし、今、最も必要なことは、結成しようとする新党の政策理念のたたき台となる「95年宣言(案)」の論議をもっと活発に、開かれたものとして行わうことではなかろうか。そして、宣言の中で、「地方分権(地域主権)」を単なる政策目標の一つではなく、全体を貫く理念として位置づけることが重要ではいかと、私は考えている。

<上からの地方分権論>
「地方分権」という言葉は、ここ一、二年、随分あちこちで語られたが、その内容は、連邦制や道州制への移行、市町村の統合・再編成、広域行政機構の整備や権限移管など、実に多種多様であった。しかし、昨年11月22日、首相の諮問機関である第24次地方制度調査会(会長・宇野収関経連相談役)が「地方分権の推進に関する答申」を決定。地方分権の枠組みの具体化が進むにつれ、連邦制や道州制などの「大きな話」は影をひそめてきた。さらに、12月25日、政府が決定した「地方分権の推進に関する大綱」に至っては、地方分権そのものが何やら腰くだけになりそうな雰囲気を漂わせている。ブームとも呼べそうな先の地方分権論議の華やかさと、骨抜きにされようとしている現在におけるリアクションの小ささは、何を物語っているのだろうか。
地方分権がなぜ必要なのかについては、「東京一極集中の是正」「地域の活性化」「国際対応力の強化」「高齢社会への対応」など様々な理由付けが論じられてきた。
しかし、この一、二年、地方分権論を牽引してきた議論は、間違いなく「国の統治システムの合理化を図ろうとするもの」(辻山幸宣・中央大学法学部教授。「自治労大阪」1995年1月1日号。府本部第7回自治研集会講演「分権・自治推進と市民参加」報告)であった。具体的には、『日本改造計画』(1993年、講談杜)に現れている新進党(旧・新生党)の小沢一郎氏と彼を支えるプレーンの主張が特徴的であろう。同書は次のように述べている。

「したがって、国政改革の第一歩は、国民生活に関係する分野を思い切って地方に一任することだ。その結果身軽になった中央政府は、次の章に述べるように、強いリーダーシップの下に国家として真剣に取り組むべき問題、例えば国家の危機管理、基本方針の立案などに全力で取り組むのである」(82頁)

いわば、「国際対応力の強化」など中央政府の機能充実を目的とした地方分権論である。同様に、1992年12月に出された政治改革推進協議会(民間政治臨調)の「地方分権に関する緊急提言」においても、「分権革命」が必要な第一の理由として、何よりも国の存亡にかかわる」と、国内政治・行政構造の分権化こそ中央政府の国際社会への対応能力を高める手法だとの主張を行っている。
このような、いわば「上からの地方分権論」が地方分権推進に関する世論形成をリードしてきたのだが、現在では、やや勢いをなくしているように見える。いくつかの理由が考えられるが、一つは、「政変」であろう。すなわち、自民党単独支配の崩壊、細川・羽田「改革」内閣を経た後の「揺り戻し内閣」としての自社連立・村山内閣の成立、それに伴う日本型政治・経済システムの構造的改革路線の減速、ないしは中断である。他の一つは、地方分権に消極的な中央官僚の抵抗を排除するパワーの欠如である。これは「上からの地方分権論」が、まさに「上から」の議論であるがゆえに、地方分権の真の主人公である地方自治体や市民の広範な合意やバックアップを得られないということに起因している。

<自治労の「分権自治構想」>
「国際対応力の強化」を目的とする地方分権論に対して、分権・市民自治の拡大という視点で地方分権のあり方を提言しているのが自治労の「分権自治構想」(1994年10月25日)である。同構想は、自治労本部に設置された「分権自治プロジェクト」の検討結果をもとに作成されたもので、同プロジェクトは、先の辻山教授をはじめ地方自治研究機関の研究員など8人の学識経験者で構成された。1993年11月から1994年6月まで計11回の作業委貞会と2回のヒアリングを経てまとめられた同構想は、地方分権に関する基本的な考え方のみならず、税財政面での改革、自治体自立のための法制度改革、自治体の自己改革などの課題にまで踏み込んだ、極めて優れた力作となっている。
同構想は、なぜ地方分権を求めるのかという点に関して、中央政府の危機管理機能強化のための地方分権論を「地方分権を『国家改造』の手段と位置づけるこのような議論は市民不在との批判を免れないものである」と厳しく批判している。そして、重視するものを「そこに住むものの多様な意思にかなった個性的で豊かな地域社会で市民生活が営まれることであり、これを可能とするような仕組みを実現することである」とした。
また、「市民のまちづくり」を考える要因として、高齢型社会システムの設計は高齢者の日常生活に密着した地域を基礎に行われなければならないこと、人間と自然の共生など環境をめぐる問題も自治体の課題であること、各地の創意と英知を妨げる制度的障壁を廃し自由でいきいさとした地域づくりを可能にする仕組みに変える必要があることなどを指摘している。
具体的な事務権限・財源のあり方についての原則に関する提言では、「立法分権の原則」が注目される。この原則によると、今後の行政施策は、複層的な基準(デュアルスタンダード/dual standard)にもとづいて実施されるという。その一つは、国が定める全国的最低基準(ナショナルミニマム/national minmum)で国が確実に保障しなければならない性格のもの。もう一つは、自治体が定める地域最適水準(ローカルオプティマム/local optimum)で施策内容、水準、費用負担に関する住民意向にもとづき、自治体が自主的に制定しうるものとされる。
同時に、新しい「利害調整・合意形成機能」を創造するため、市民参加重視の計画策定手法の開発を自治体の自己改革課題として指摘している点も重要な点であろう。

<攻めぎ合いの本格化にむけて>
さて、地方分権をめぐる対立構造は、いわば三極である。
一方の極には地方分権に極めて消極的な勢力が存在する。中央官僚はもとより、権限ある中央省庁への影響力の大きさを自らの存在価値とする国会議員、分権に伴い再編の対象となる組織の労働組合なとがこの勢力に含まれるだろう。後で述べるが現在の状況を「地方自治の反動的再編」ととらえ、「自治体リストラ反対」闘争を中心課題とする日本共産党や「左翼」諸党派の人々も、主観的な意図はともあれ、結果的には現状維持を指向するという点において、この極の側にあろう。
もう一方の極は、先に述べた中央政府の危機管理機能強化のため、『国家改造』の手段としての地方分権論を展開する勢力である。現状に強い危機感を抱く若手中央官僚や旧新生党グループ、財界などがこの勢力に含まれる。
もう一方の極が、高齢社会を見据え、分権・自治型の社会システムの形成をめざす勢力である。現実には勢力と呼べるだけのものがないから、こうした勢力を作ることが必要だということである。
地方自治体行政や「分権自治構想」をまとめた自治労でさえ、内部的には、地方分権に関する論議は低調である。関心が低いわけではないが、一つは、突き詰めていくと議論の拡がりがあまりにも大きいこと、二つには、地方自治体における地方分権の課題は紛れもなく自己改革の課題であり、その対応に臆するということが原因で、議論が成熟していない。市民レベルでは、更に議論にならない。地方分権をして何が変わるのか、何が良くなるのか、さっぱりわからないからである。
ただ、地方分権がこのまま腰くだけで終わることはありえない。それは、今日の成熟した社会構造が求める必然的な社会システムであるからであるからだ。世界で最も地方分権が進んだ国のひとつであるスウェーデンのルポルタージュである「高齢社会と地方分権–福祉の主役は市町村–」(斉藤弥生+山井和則著、ミネルバ書房)の『中で著者は、中央集権型経済大国の優等生である日本と、地方分権型生活大国の優等生であるスウェーデンの差は、イデオロギーではなく人口構造の変化がそうさせている、と述べ、その書を次のように結んでいる。

「高齢社会へソフトランディングするためのキーワードは地方分権だ。地方分権の時代は、ローカルデモクラシー(地域の民主主義)が問われる時代。人生80年時代は、地方政治の時代だ。地方政治の活性化なくしては、安心して老いられる日本を築くことはできない」

地方分権の実現が最大の政治的課題として再度焦点化する時までに、高齢社会を見据え、分権・自治型の社会システムの形成をめざすという理念と政策を明確にする勢力を形成しなければならない。これこそが、「社会民主主義」の中心的課題である。地方政界や市民レベルにおいては、こうした理念・政策に支持を寄せる人々は圧倒的多数派である。自信を持って、積極的に内容をアピールしていくことが求められよう。
そして、地方分権をめぐる最終的な対立軸は、新保守勢力との間にあることに留意しなければならない。政府・国家・福祉・産業などの各分野で「リベラル・新保守・社会民主」の三極の違いを整理、争点化しようとする著書、「カオスの中の対立軸」(1994年、悠々社)を出版した社会党の前衆議院議員の筒井信隆氏は、昨年12月16日付の社会新報紙上で、「分権の問題では、(社会民主は)『小さい政府』を強調する新保守と近い」と述べている。しかし、表面的なものは別にして、新保守主義の立場と社会民主主義の立場は大きく異なっていると見るべきでる。地方分権の位置と性格がどのようなものになるかについて、辻山教授は「より豊かな高齢社会を実現するために分権を構想するのか、それとも中央政府の機能を強化するために分権を重視するのか。結局のところこの二つのベクトルの攻めぎ合いの中で決まる」と述べている(「自治労大阪」1995年1月1日号)。
違いを明確にしながら、わかりやすく市民にビジョンを指し示す.‥新党に求められているのは、まさにこうした作業であろう。 (〔大阪〕依辺 瞬1995.1.7)

【出典】 アサート No.206 1995年1月15日

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