【投稿】阪神大震災のその後 —復興は順調に進んでいるのか
阪神大乗災からすでに2ケ月が過ぎようとしている。今や地元の人も日本のすべての人々もようやくそのショックから立ち直り、やっと復興への歩みが踏み出されてきたところと言っていいだろう。新聞にも円高、東京共同銀行問題等、地震以外のニュースのスペースも多くなってきた。しかし、本当は具体的に復興に踏み出した今こそ、その内容を検討し、地震による被害者を救済し、今後もおこるであろう、地震の被害を最小限にくい止められる町作りが行われているかをチェックする必要があるのではないだろうか。
今回の震災での報道や議論は実に様々な分野にわたっていた。地震の被害の大きさ、悲惨さから、政府や自治体の対応、特に地震直後の危機管理体制とその後の住宅建設、義援金、住宅ローンヘの対応、町作り計画、ボランティア支援等。また、地震予知や活断層、耐震建築、建築基準の改正等科学や技術に関する問題。都市経営と防災との関係。マスコミ、特にテレビの報道のありかた。在日外国人の被害。民間ボランティアの活躍等々。
これらの議論の中身は、復興への積極的な方向を示しているものもあれば、一方疑問のあるものもあり、それぞれ十分検討しなければならないが、今回はその余裕がないので、私自身、実際ボランティアとして神戸の状況を見てきて感じたことを書いてみたい。
■日立つ「復興」の格差
去る3月4日、私は子ども会指導員組織の取り組みとして、神戸の避難所の子どもたちを相手に「遊ぶ」ボランティアとして長田区に出かけていった。このボランティアは、以前アサートでも紹介した東南アジアを中心に活動をしているNGO「SVA」(曹洞宗国際ボランティア会)が中心となってやっているもので、長田区を中心に10数ケ所の避難所を活動の場としている。指示を受けるために本部に行く道中、まだまだ震災による傷跡は深く、かたずけられていない倒壊家屋がいたるところに残っている。JR神戸線は住吉・灘間が不通で、住吉駅前は傾き折れたビル、2階が押しつぶされたマンションがそのままで、代替バス停近くの木造民家は国道2号線に大きく崩れだしている。復興は確実に動きだしてはいるが、町をよく観察すると、その進展状況に大きな差があることがわかる。大企業のビルは大きな機械がはいり、すでに解体撤去を終え、更地になっているところもある。一方、狭い路地裏の木造長屋等は路地に倒れかかったまま完全に道をふきいでいる。おじいさんが一人で手作業で瓦礫を整理している姿が印象的だった。
今回の震災では、その被害が木造家屋の密集地等に集中し、本多勝一氏は「差別的人災」と指摘しているが、現場の状況を見ると復興もやはり「差別的」に行われるのではないかと強い懸念を感じた。また、政府、各自治体は復興に向けての都市計画作りをおこなっているが、これも本当に住民の意向を反映したものになるのであろうか。すでに、住民の意見が反映されていないと計画中止の請願が出ている地域もあると報道されている。震災をチャンスとばかりに被災者の弱みにつけこんで、大手デベロッパーが土地を買い占め、結局人の住まない「防災都市」ができるのではないかと心配するのは杞憂であろうか。
■在日外国人に手は行き届いているか
SVAのボランティア本部で、数人のグループに分かれ、私達はバスで長田区の南端にある南駒栄公園に向かった。この公園には約2榊人の人達がテントを張って避難生活しており、その内半数以上がベトナム人だと聞いた。確かに入り口近くには紙で作ったベトナム語の「表札」の貼ってあるブルーシート製のテントがかなりの数ある。日本人は段々減っていっているが、ベトナム人は教会のツテなどでむしろ段々増えてきているということであった。ボランティアはかなりたくさん入っているようで、共産党等専用のテントがいくつかあった。SVAは子どもの遊び広場というのを作っていて、ちょっとした遊具や工作道具等が置いてある。子どもたち(主に小学校低学年)は三々五々集まってきて、ボランティアと一緒に遊ぶ。ここに入っているSVAのボランティアは東京の学生を中心としたグループである。本部でもそうだが、ボランティアは若い人が多い。しかし、長期の滞在で少し疲れているように見えた。
その日は寒いこともあってあまり子ども達は集まってこなかったが、避難所の様子を見ていると、車やテントでほとんど遊び場の空間がなく、おとな達も生活を切り回すので精一杯で、なかなか子どもまで目が行き届かないといった感じであった。そういう意味で、地味ではあるがこのようなボランティアも大きな意義があると思う。ボランティアの定着している避難所では親の相談相手にもなっているらしい。ベトナム人の子ども達も何人か遊びに来たが、彼らは日本語が達者で意志疎通になんら問題ない。しかし、手や頬が垢で汚れているのが気になった。日本人でも相当辛い避難生活の中で、ベトナム人達の生活の困難さは想像に難くない。また、将来の展望ということになるともっとしんどい状況があるだろう。だからこそ仲間を求めてこの公園に集まってくるのだろう。ここでも震災の被害は在日外国人という弱者により大きくダメージを与えている。しかし、現在十分な援助が行われているとは言いがたい。政府や自治体は彼らへの対策をさちんと復興政策の中に盛り込まなければならないと思う。
■ボランティア活動の転機
SVAのボランティアは、私達に今後も継続して来れるかどうか真剣に問いかけてきた。実は、この公園のボランティア活動を調整しているボランティア本部が3月中旬で一旦解散することになっているらしい。彼らも3月一杯で東京に帰らざるをえず、ボランティア活動は一つの転機にさしかかっているようだった。しかし、被災者の避難所生活はまだ長期間続きそうである。今回の震災ではボランティアの活躍が大きな力となった。しかし、ボランティア活動にも限界がある。復興の進展状況と被災者の自立ということを考えながら、今後のボランティア活動はどうあるべきなのか、行政はそれをどう支えていくのか、ハードの面だけでなくそういうところもきちんと政策化する必要があるのではないだろうか。
今回の震災はあまりにも大きな犠牲とともに、実に多くの問題を提起してくれた。平和運動も反差別の運動も労勤運動も結局人間の幸福を求めるものである。地震が人間の幸福を損なうものならば、それに対しても私達は積極的に立ち向かっていかなければならないだろう。
(若松 一郎)
【出典】 アサート No.208 1995年3月18日