【投稿】 日米貿易戦争の新たな段階
日米自動車交渉の決裂とハリファクス・サミット
<<「戦争ではないのだから、冷静に!」>>
日米自動車交渉の決裂は、がぜん重大な政治的経済的紛争へと拡大してきている。5月10日の記者会見で、カンター米通商代表は、米政府は日本が自動車・同部品市場を外国に開放していないとして、米通商法301条(不公正な貿易相手国に対する制裁)にもとずく制裁候補リストを近日中に公表すること、さらに日本市場の不公正取引慣行に対してWTO(世界貿易機関)に提訴する方針(45日後の正式提訴)を発表したのである。同氏は、「この分野で米国は370億$の対日赤字をかかえ、これは日米の貿易不均衡の約60%、米国の赤字全体の約25%を占めている」として、「対日措置では米自動車産業、労働組合、議会が一致団結している」ことを強調した。そしてこの措置が「日本と日本の消費者の利益になると考える。日本の消費者は市場開放によってより多くの選択の幅と低価格の恩恵を受けることになろう」と述べている。
一方これに対して、橋本通産相は「米国がWTO違反の措置と、WTO提訴を併用するのは矛盾だ」と非難し、制裁候補リストが発表されれば直ちにWTOに提訴することを明言し、日本自動車工業会も「(制裁リストの公表は)国際的な通商法にずうずうしく違反している。外国政府が独立した企業に取引の指示を行うことは出来ない」と激しい口調の非難声明を発表している。さらに同工業会は5/11、「日本車の輸入規制? そんなのはうまくいきません」と題して、ワシントン・ポスト紙に、制裁を発動すれば自動車の高価格を招き、損をするのは米国の消費者であり、日系自動車工場や日本車ディーラーで働く従業員、それに国際貿易システムだと主張する制裁反対の意見広告を掲載している。
日本の自動車業界の一部では「この際、自動車の対米輸出を1年間、ゼロにして米国の消費者に訴えたらどうか」という意見まで出ているというが(4/28日経)、5月11日、堤通産事務次官は「戦争ではないのだから、(産業界は)冷静に対処してほしい」と主戦論を抑えるのに必死である。
世界の二大自動車生産国が互いに脅しあい、応酬しあうという大がかりな貿易紛争に発展してきたといえよう。逆に、ヨーロッパの自動車業界は自己のシェア拡大にこの機会を逃すまいと期待と不安をこめて成り行きを注視している。
<<「3回出れば、脱退を勧告」>>
クリントン大統領は、自動車産業の町、デトロイトの地元紙と異例の電話インタビューに応じ、「自動車・同部品貿易での米国の対日赤字は360億$で、対日赤字全体(600億$)の6割を占める」ことを明らかにしつつ、カンター代表の厳しい対日姿勢について、それは「私の路線であり、その正しさを確信している」と強調している。クリントンの民主党政権は昨年末の米中間選挙において手痛い敗北をこうむり、上下両院とも共和党に多数を明け渡してしまっている。自らの大統領再選と民主党離れに危機感を持つクリントン大統領としては、自動車産業と自動車労組は民主党の重要な支持基盤であり、この基盤を強めることが今や極めて重要な優先課題となっている。ここに自動車は単なる通商問題以上の国内政治の問題となっており、共和党との対抗上も経済ナショナリズムに政治的な生き残りをかけざるをえない現政権の矛盾を露呈しているのである。
「過去はいずれも米国が自国の権利を守り、日本は市場を開放してきた。今度もそうなる」(5/8、ゲッパート米民主党下院院内総務)という見通しがくじかれ、問題が国際紛争の場に提起されたのである。
WTO協定では一方的措置を違反とする規定が明示されており、これに関しては提訴国の主張が通るようになっている。したがって日本の提訴で301条による制裁措置だけを争えば米国側が敗れる恐れが強いことから、日本の不公正貿易慣行を逆提訴するという先制攻撃を行ったのであるが、さらにこれ以上にもまして、「WTOのパネル(審査委員会)で米国側にとって不公正な決定が三回出れば脱退を勧告する」という法案が準備されており、これは米議会の圧倒的多数の賛成で可決成立する見通しである。
6月15日から3日間、カナダのハリファクスでサミット(主要国首脳会議)が予定されているが、米側はこれに合わせるかのように制裁措置の最終リストの決定とWTO正式提訴を六月中旬に設定している。カンター代表は「サミットでの村山首相との会談などについては、日程を数えているわけではない」と弁解しているが、サミットを照準にして虚々実々の取引と交渉を展開しようとしていることは明らかである。
<<対米輸入の6割以上が逆輸入車>>
ここで客観的な事実を冷静に見てみよう。日米とも、年間1000万台以上の自動車を生産している。日本は生産した自動車の5割近くが輸出向けであるが、米国は輸出比率は1割以下である。94年の日本からの対米輸出は164万台であったが、対米輸入の方は円高ドル安のもとで、94年に相当増えてもようやく9万台を突破したところである。つまり対米輸入は、対米輸出の5.5%にしかすぎない。しかもその対米輸入車の内、6割以上は、ホンダ、トヨタなど日本企業によるアメリカからの逆輸入車であった。これに対して対日市場開拓努力が少なかったとはいえ、米ビッグスリーの94年の対日輸出台数は35000台にすぎず、これを日本側の市場開放によって、25万台の輸出をめざそうというわけである。
さらに問題となっている自動車(部品)市場における外国車(部品)の占有率は、アメリカでは34%(部品32.5%)であるのにたいし、日本ではわずか4.6%(部品2.6%)にしかすぎない。このことはアメリカの自動車産業自身が、海外との依存共存関係で成り立っていることを一方では示している。アメリカの国際自動車販売業者協会のフイゼンガ会長が述べているように、一方的制裁措置の実行は、「何千もの中小規模の自動車ディーラーを困らせ、米消費者にとっては自動車価格高騰をまねき、何千もの雇用を失う」(5/9声明)可能性を持っている。
それと同時に、米側が要求している自動車部品の購入拡大は、日本のメーカーが独占的に強固に築いてきた系列取引、系列販売、系列金融、総じて中小零細企業に至るまでの系列支配が打破されない限りは遅々として進まないのも事実である。こうした実態は日本にとっても今や重大な桎梏となりつつあるが、いずれにしても結果として日本側の一方的な膨大な黒字を計上してきたのであった。94年度の日本の自動車(四輪車)分野の対米黒字は234億$で、対米黒字全体の4割以上を占めている。しかもここに円高ドル安要因が加わっている。94年の日本の自動車輸出台数は、446万台で、平均価格130万円、1$=102円として約570億$の輸出額であった。これが95年、仮に100万台の輸出減であったとしても、1$=85円であれば、価格を20%近く下げない限り、輸出額は減少しないのである。現在の低価格競争の下ではそれは不可能なことであろう。
<<カオスの中の「危険な兆候」>>
しかし重要なことは、現実に日本の自動車の対米輸出が、86年をピークに下がり続け、93年にはついに現地生産台数が輸出台数を上回ったことである。海外生産台数の比率は、85年が10%弱であったが、90年には20%強、94年がほぼ1/3にまで達しており、98年の海外生産計画は、750万台強、海外生産比率は40%を超えると見込まれている。このところの急速な円高ドル安の進行の下では、これがさらに速まるであろう。それは同時に日本の国内生産の空洞化を進行させているのである。
従業員数も、日本の自動車産業11社で、ピークは91年前後の28万人強であったが、それ以後減少傾向が明瞭になってきており、日産やマツダは年間千人単位の人員削減計画を実行に移しており、日産の人員削減計画によると、98年までにピークの56000人から42000人へ3/4体制へ移行しようとしている。
さらに大手五社は、ほぼ一律に97年度までの3年間で、部品総原価を25~30%引き下げる経営計画を立てている。円高によるコスト削減が急務になっているからである。当然ドル安によって輸入部品の調達メリットが増大しているにもかかわらず、米側が要求しているように総額で大幅に増える要素はないのである。
そして今や、逆輸入車の方が国内産車よりも安いという逆転現象が生じ始めている。
この5月に明らかにされたトヨタの逆輸入車アバロンは、1$=90円レートで、288万円、同クラスのクラウン・ロイヤルサルーンより80万円安く、それより下級クラスでマーク2の上級モデルよりも40万円も安いのである。しかし日本の消費者にとって、円高のメリットはデメリット以上には還元されておらず、国内における円の購買力の向上は微々たるものでしかない。
こうして日米双方共に国内市場は、このところの拡大傾向から混沌とした縮小傾向に陥り始めており、互いの国内市場に限定する限り、妥協の余地は双方共に非常に狭いものとなっている。個別国同士ではもはや解決能力を失っており、多国間協議ではドルの役割の凋落にとって代わる体制は形成されておらず、G7も、サミットもましてやWTOも大きく期待されてはいない。このような状況の下における日米貿易戦争の激化は、円高ドル安の進行と共に危険な兆候を示すものであろう。米MIT名誉教授のキンドルバーガー氏は「外為市場は混沌としており、かなり危険な兆候がある。過去に何が起きたかとか、これから何が起きるかは別物。しかし、カオス理論によれば最初はごく小さいことから始まることを想起すべきだろう」と警告している(4/12日経)。日米双方共に、目先の個別利害で行動するかぎり、この危険な兆候は、兆候では済まなくなるであろう。国際的な協力にもとずいた南北・東西格差の解決、平和と環境保護に向けた新たな世界的ニューディール政策への転換にこそ努力を傾注すべきであり、そのためのイニシャチブこそが期待されているのではないだろうか。クリントン政権、村山政権ともにそこに最大の欠陥があるのではないだろうか。
(生駒 敬)
【出典】 アサート No.210 1995年5月20日