【書評】『毛沢東の私生活』を読んで
(李志綏著、新庄哲夫訳、文芸春秋刊)
スターリン治下の政治家や民衆の酸鼻を暴き、ペレストロイカの道を掃き清めたのは、「アルバート街の子供達」「処刑台」などに代表される、いわゆる「告発文学」であった。
一方、一党支配が今なお続く中国では亡命中の作家、文化人の手で主として文化大革命を主要なテーマに過酷な迫害の実態や家族の悲痛な離散などを描いた数々のドキュメント(「上海の長い夜」「ワイルドスワン」)が海外出版され、いままだ霧に包まれている共産中国も徐々にその輪郭を浮かび上がらせてきた。にもかかわらずこれ迄の作品は部分的もしくは断片的な体験の範囲に止まり、その限りでは文革も指導者の「重大な誤り」に根ざす、決して起こるべきでなかったアクシデントとして描かれている。毛沢東は今なお中国人民の心に解放者として深く刻み込まれ、その批判はタブーなのである。 ところが、この常識を打破する衝撃的な書がついに登場した。中国建国以来22年間にわたり毛沢東の侍医を勤めてきた特異な経歴の持ち主であり、やはり米国亡命の医師・李志綏(リ・チスイ)の手による回想録『毛沢東の私生活』がそれである。
職業革命家に公生活と私生活の区別はないといわれるが、毛側近として激動の中国を強かに生き抜いた氏の科学者としての鋭い筆致は、毛の私生活の観察、評価を超えて中国共産党の暗部に深く迫り、党の存在そのものに問題を大きく投げかける。
さて、物語は著者が毛沢東に見初められて悲壮な決意で侍医として赴任する建国の時期から朝鮮戦争-大躍進政策の挫折-中ソ分裂-文化大革命-米中和解-毛の死-へと目まぐるしく揺れ動く中国現代史を背景に、同じく激しく揺れる毛沢東の感情の起伏、増幅する権力欲、策謀と裏切り、募る不眠症と派手な女性関係、栄光から孤立へと、綾なす人間関係をヨコ糸として、指導者の死と著者の亡命で幕を閉じる上下二巻、900頁にわたる大河ドラマであり、かつサスペンスに富んだ作品となっている。
本書の読者は先ず、毛の死を直前にして、不安と狼狽、猜疑と相互不信に満ちた側近達の臨場感溢れる描写に圧倒されるであろう。またそして、中ソ論争のような重大な出来事が往々にして些末な事件、毛がフルシチョフを出迎えせずに自宅のプールに呼び付けた-ことによっても規定されたことに歴史の大きな気粉れを発見して一驚するであろう。また妻・江青を文革小組副委員長の要職に毛が任命したのは、実は自分の浮気を認知させるためであったというくだりを読めば、一国の最高意思が寝室の中でいかに安直に決まるのかと、唖然とするのではないだろうか。そして「赤い太陽」「偉大なる舵手」の本質はこんなものだったのか、社会主義とは一体何だったのだろうか、と大きな幻滅と疑問を抱かれるのではないか。
今、新旧左翼を問わずシニシズムと清算主義が蔓延している。過去の自己総括もないまま昨日は東、今日は西と無責任な言動を繰り返す「民主主義者」には吐き気を催す。
李氏の体を張った労作がこれら亜流に悪用されるのはやりきれない。極端から極端へと移行するのは、昔から小市民の特性だ。社会主義体制の崩壊の原因や天安門事件の究明は必要だ。しかしそれはバランスのとれたものでないと危険である。中国革命は帝国主義の百年にわたる支配を覆し、半封建中国を近代社会へ引き上げた歴史的偉業であった。この中核はむろん中国共産党であるが、その成功は毛沢東のリーダーシップ抜きには語ることが出来るか。この歴史的使命と正しく結びついた時、毛の強烈な個性と機横縦略が遺憾なく発揮された。抗日統一戦線時における戦術の驚嘆すべき柔軟さ、党内の団結を常に第一義とする相互自己批判の絶え間ない継続等の優れた党風は、同時に士気粗喪した蒋の軍隊を完全に粉砕した。
毛沢東の政策はマルクス主義の創造的適用の模範とされ、その名声はスターリンと比肩して、海外に轟いた。(スターリンは毛沢東を密かに怖れていた。)
しかし彼も所詮時代の子であった。「歴史における個人の役割」には限界がつきまとう。ロベスピエールの権威の源泉は、広大な民衆との結合にあった。彼が権力維持に汲々としてもはや革新的な役割を果たさなくなったと見たとき、サンキュロットは彼を見捨てた。
毛の天才は、両刃の剣であった。社会進歩と民衆の声を正しく反映していた時の毛沢東の強烈な個性は前向き方向に決定的に作用した。誤った路線(大躍進、戦争不可避論、文革など)に固執し、カリスマになって大衆から孤立したとき、彼の資質は中国社会に大きな災害を引き起こす逆の関数に転化してしまったのである。
(高橋 禄朗)
【出典】 アサート No.211 1995年6月17日