【投稿】参議院選挙を前にして
2年ぶりの国政選挙となる参議院選挙が目前に迫ってきた。今回の選挙は、自社さ連立の村山政権の信任投票として位置付けられようとしているが、統一地方選から続く選挙疲れもあり、6年前の消費税のような明確な争点もなく、ム-ドとしてはいまひとつといった感じである。そして何よりも3年前とは大きく変わった政治地図や「無党派層の増大」なるものにより、簡単には読み切れない複雑な選挙となっている。中でも注目されているのは、新進党がどれほどとれるかということと並んで、社会党の敗け方が22だの15だの数字が乱れ飛ぶなかで語られていることであろう。
自分自身、選挙権を得て10年近くになるが、今回ほど自身の投票行動が定まっていない選挙は初めてである。今までは何らかの形で支持・支援できる候補者がいたし、実際に選挙運動もやってきた。先の大阪府知事選でも、複雑な思いを持ちながらも、ノックは信頼できず、連合大阪の政治的イニシアチブを維持してほしいがために平野に投票した。しかし、今回は一体どうすればいいのか。村山政権に対する私なりの評価や社会党との関わりを思い起しながら考え、悩んでいるのである。
村山政権の評価は様々であるが、批判的な評価が下されているのは否めない。「危機管理能力のなさ」「経済無策」「実行力・決断力のなさ」などを始め、左の側からは国会決議の不十分性、長良川河口堰の運用の問題、従軍慰安婦問題への対応など、数えあげればきりがない程である。自社の連立という1年前の「掟破り」の手法により実現した社会党首班の政権ではあるが、与党内第一党は自民党であり、力関係では社会党は圧倒的に不利な状況にある。ただ政権のキャスティングボ-ドを握っているにすぎない。保・保連合も叫ばれている中では、いつ捨てられてもおかしくないのである。今の日本のシステムでは内閣が行政権力の持ち主であり、内閣総理大臣ではなく内閣に重きをおいた制度になっている。その意味では、首相が社会党だからといってその政策が次々に反映されるかというとそうではない。また、それが連立政権というものである。
私も村山政権にはいろいろと不満はある。しかし、これまで政策の俎上にすらのらなかった被爆者援護法の制定が不十分ながらも実現したし、水俣病の解決の糸口も見えてきているのだ。旧連立政権での社会党へのなめられた対応のことを思えば、社会党の意向はかなり反映され、自民党単独政権ではとてもできなかった諸課題を次々にこなしているといえるのではないだろうか。連立政権の政策と政党の政策の整合性の問題についてはいろいろと議論はあるだろうが、社会党の政策転換=もはや社会党には何も期待できない、護憲・平和勢力ではない、と簡単には言い切れないのである。
私がこれまで社会党を支持してきたのは何故か。共産党のセクト主義を批判しつつ、消去法的に社会党だったということもできるが、やはり何よりも学生運動以来関わってきた解放運動や労働運動などの諸課題を実現させるための政治的意志を表明できたのは社会党だけであったという、まさしく大衆運動の要請からくるものだったのである。私自身社会党の政策そのものを丸ごと評価していたわけではなく、私たちのグル-プとしても護憲や民主主義に果たした社会党の役割を評価しつつも、組織的に社会党を支持していたわけではない。むしろ、運動のリ-ダ-が社会党公認の候補者であったり、先輩方が社会党員であったりすることにより、社会党を大きく、強くしていくことが自分たちの運動の目標に近付き、民主主義の実現につながると考えていたのである。
そんな社会党が時代の流れについていくことができずに低落傾向にある中で、生き残りをかけた最後の手段が第3極の勢力-民主主義リベラル勢力の結集だったはずである。しかし、この構想も遅すぎた感が強く、実現性に疑問を持たざるをえない。そんな中で、これまで社会党に大きな影響力を持ったグル-プの人たち、私が社会党を支持するにいたったリ-ダ-たちが次々に社会党を離れようとしているとの話を聞いた。新進党にのる人もいれば、ノック支持グル-プを形成する人もいる。それぞれの団体、それぞれの人々の考えがあっての方針・行動なのであろうが、私には納得することができない。何らかの政策課題を実現させていくために様々な勢力と連携していくことを否定するものではない。むしろ私たちの考え方からすれば広範な勢力の結集という意味で積極的に推し進めるべきものである。ただし、それはこれまで共に闘ってきた勢力と縁を切ることではないはずである。何も社会党への義理がどうのと言っているわけではない。民主主義リベラル勢力の結集にささやかな期待を持っていた私にとっては、先の人たちがその中核となり、社会党の再生を担ってくれるものと勝手に思い込んでいたのである。
大阪選挙区で社会党は推薦候補となった。どんな人なのかよく知らない。今まで支持していた公認の現職は衆議院の選挙区にくら替えしている。私が学生の時に初めて立候補して以来応援してきた人である。他党の候補者にはとても投票できない。寂しい国政選挙になったものである。「無党派層の増大と言われているが、これまでの浮動層が名前を変えただけじゃないか」と思っていた私が、いつしか無党派層になっていたことに気付かされたのである。
現在大衆運動を主体的に取り組めていない私がこんなことを言うのはおこがましいのはわかっているが、一歩離れた視点から冷静に物事を考えていけるようになっていると思うのである。第3極のリベラル勢力の結集の基盤は地域のロ-カル政党やグル-プのネットワ-クにあるとするならば、政治屋のみなさんのわかりにくい動きとは一線を画した、新たな行動指針が求められているのであろうか。以前からこのアサ-ト紙上で第一線で活躍している方々の投稿を呼びかけているが、いつもMさんやOさんなど特定の人に限られている。先に述べた団体や個人の方々は、アサ-トの読者とは決して無縁ではないはずである。この間の動きや方針、行動をわかりやすく読者のみなさんに説明していただけないだろうか。
(江川 明)
【出典】 アサート No.212 1995年7月15日